公用語話者なのに国内で言葉が通じない? 「独自の社会」であり続けるカナダ・ケベック州を読み解く
記事:明石書店
記事:明石書店
ケベックと聞いて、何をイメージするだろうか。フランス語を話す人が多数を占めるカナダの一地域である、カナダからの分離・独立を求める動きがみられる、といった回答がすぐに返ってきそうだし、正しい認識でもある。
ただ、一つの言語のみで生活できるのが当たり前の日本にいると、一つの国に複数の公用語が存在することは頭では理解できても、そのうち少数派の方を話すというのはどういうことか、想像もつかないかもしれない。たしかにカナダは英語とフランス語を公用語としているといっても、英語はほぼどこでも通用する一方で、少数派であるフランス語は同じようにはいかない。
すなわち、ケベックで暮らすフランス語を話す人々にとっては、ひとたびケベックから出ると、カナダ国内であっても、自分の言語はカナダの公用語なのに、そこでは通用しないのがふつうなのである。それだけでなく、実はケベックにおいてさえ、フランス語の地位は安泰ではないのが現実である。効率的な発想をしがちな日本人からすると、それならもう一つの公用語で「国際共通語」たる英語を話せばいいじゃないか、となるかもしれないが、そうはいかないのがケベックである。
『ケベックを知るための56章【第2版】』は、2008年に設立された日本ケベック学会の15周年を記念し、学会の総力を挙げて知られざるケベックを多面的に一般読者に紹介しようとする試みである。第2版と銘打ってはいるが、2009年に刊行された初版(『ケベックを知るための54章』)とは執筆陣が大きく入れ替わっており、この間のケベック社会の変化やケベック研究の進展を反映しつつ新たに書き下ろした章がほとんどである。以下では、本書の内容をケベックの現実をふまえながら紹介していきたい。
ケベック最大の都市でカナダでもトロントに次ぐ大都市のモントリオールは、北アメリカ有数の大河であるセントローレンス川沿岸に位置している。そのセントローレンス川をさかのぼって探検した最初のヨーロッパ人がフランス人であり、そこに建設されたフランス植民地がケベックの始まりである。その後、フランスが撤退してケベックはイギリスの支配下に入り、さらには19世紀半ばに発足したカナダの1州となる。ケベック理解に欠かせないカトリック教会が果たした役割を含め、「地理」と「歴史」のセクションは、なぜ北アメリカの片隅でフランス語を中心とする社会が形成され、どのように維持されてきたのかを詳述するとともに、ケベック州外のフランス語圏も複数のコラムで紹介している。
多様な移民を受け入れている現代のケベックは多文化社会である。しかしその様相はカナダの英語圏とまったく同じではない。フランス語を中心とする社会の維持はケベックにとって最重要課題であり、公式の文化はないとするカナダの発想とは相容れず、「多文化主義」と一線を画すインターカルチュラリズム(間文化主義)という独自の移民統合モデルを模索している。また、1960年代に至るまでカトリック教会に生活を強く支配され、そこから脱した現代のケベックの人々のなかには宗教自体に嫌悪感をもつ人もいる。そこで、イスラム教徒をはじめとする移民の宗教的慣行をどこまで受け入れるのかが議論の的となっている。「多文化社会」セクションでは、先住民や性的マイノリティを含め、ケベックに暮らす多様な人々や考え方を多面的に検討している。
ケベックはまるで国のように感じられることさえある。日本に住む人々には理解しにくい連邦制の下でケベックの政治はどのように機能しているのだろうか。また、カナダからの分離・独立運動はどのような経緯をたどり、何をめざしたのか。ケベックは東京を含め世界各地に州政府事務所をかまえているが、カナダの1州にすぎないケベックの対外関係、とりわけ世界のフランス語圏におけるケベックの立場や存在感はどのようなものだろうか。一つの国家に匹敵する人口とGDPの規模をもつケベックの経済や日本との関係はどうなっているだろうか。こうした問いに「政治・経済・対外関係」セクションが答えている。
ケベックに関心をもつ人の多くが注目するのはやはり言語であろう。英語を話す人々が圧倒的多数の北アメリカにポツンと存在するフランス語圏であるケベックでは、フランス語を守るためにどのような取り組みがなされているのだろうか。「言語・教育」セクションでは、世界で最も厳格な言語法として知られるフランス語憲章や「言語警察」と揶揄されることもあるケベック州フランス語局についてくわしく解説するとともに、ケベックで用いられているフランス語の特徴やそれをふまえた移民に対するフランス語教育、さらには宗教文化教育を含むケベックの教育制度について紹介している。
続く「文学」セクションでは、12の章・コラムで多様な担い手からなるケベックの文学が紹介され、さらにその社会への影響も考察されている。日本以外の地域にルーツをもつ書き手が日本語で書いた作品が著名な賞を受賞しているのと同様に、ケベック文学もその担い手はケベック生まれの白人とは限らない。めざましい活躍で邦訳の刊行も相次ぐキム・チュイはベトナム出身だし、日本を題材にした作品をフランス語で発表する日本出身作家もいる。そうしたなかでも、ケベックで作家として頭角を現し、ついにはアカデミー・フランセーズの会員に選ばれたハイチ出身のダニー・ラフェリエールは大きな存在であろう。
シルク・ドゥ・ソレイユ、グザヴィエ・ドラン、ロベール・ルパージュ、セリーヌ・ディオンと聞いて、みなケベック出身ないし発祥と気づくだろうか。ケベックでは手厚い文化政策を背景に芸術文化活動が非常に活発である。「芸術文化」セクションでは、北アメリカできわだって充実するケベックの文化政策を概観したうえで、演劇、ダンス、映画、アニメーション、シャンソン、ミュージアムについて紹介し、さらに日本でも著名なシルク・ドゥ・ソレイユには1章を充て、気鋭の映画監督ドランと世界一有名なケベック人であろう世界の歌姫ディオンも個別にコラムで取り上げている。
モントリオールの1月の平均気温はほぼマイナス10度である。すなわち、寒いことはケベックの大きな特徴といえるが、「社会と人々の暮らし」セクションでは、まさにその冬の暮らしやそこで育まれた食文化が紹介されている。また、寒くて長い冬を越してやっと訪れる夏のうれしさは格別であり、夏には各地で多くのフェスティヴァルを楽しめる。「社会と人々の暮らし」セクションの8つの章・コラムは、冬さえも含めて、ジョワ・ド・ヴィーヴル(生きる歓び)にあふれるケベックの暮らしを伝えている。
このように、『ケベックを知るための56章【第2版】』は最前線の研究者だけでなく、ケベックで生まれ育った人、永住している人、滞在が長かった人にも執筆陣に加わってもらい、ケベックの最新事情を紹介するものである。ケベックはなぜ「国際共通語」たる英語の浸透に抗うのだろうか。一方でそれは英語を拒絶することを意味するわけではなく、ケベックの人々はむしろ二つの言語を駆使して、マルチメディア産業や芸術をはじめ、さまざまな分野で世界に向けて発信している。そうしたケベックのあり方は、日本の将来を考えるうえでも示唆に富むだろう。本書がケベック理解の促進に大きく貢献できれば幸いである。