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「カナダ人」はシンボルによってどのように形作られてきたのか―『シンボルから読み解くカナダ』

記事:明石書店

マイケル・ドーソン、キャサリン・ギドニー、ドナルド・ライト編著、細川道久訳『シンボルから読み解くカナダーメープル・シロップから『赤毛のアン』まで―』(明石書店)
マイケル・ドーソン、キャサリン・ギドニー、ドナルド・ライト編著、細川道久訳『シンボルから読み解くカナダーメープル・シロップから『赤毛のアン』まで―』(明石書店)

22の多彩なシンボル

 「カナダのシンボルは?」と訊かれて、何を思い浮かべられるだろうか。カエデの葉をあしらった国旗だろうか。文学好きの方なら『赤毛のアン』かもしれないし、スポーツファンならアイスホッケーかもしれない。あるいは、カナダ土産の定番(?)のメープル・シロップかもしれない。

 本書には、22のカナダのシンボルが登場する。国旗、国歌、「国技」であるラクロスとアイスホッケーといった公認のシンボルもあれば、カヌーやトーテムポールのような先住民社会と深く結びついたもの、戦争やその記憶にかかわる出来事や人物、社会制度としての「メディケア(公的健康保険制度)」、ナイアガラの滝や、心象風景としての「北の大地」、そして、先にも挙げた『赤毛のアン』やメープル・シロップも入っている。

 それだけではない。カナダ人が会話でよく使う「エ~?」という表現や、ファーストフード店フランチャイズであるティム・ホートンズや、ソウルフード的なプーティンなど、意外(?)なものまで取り上げられている。カナダの政治・社会・文化をほぼカバーするように、22のシンボルが選ばれているといってよい。

 では、これらのシンボルが、どのようにして創られ、その表象や意味が、時代とともにどのように変化してきたのか。また、シンボルから想起されるカナダ社会のイメージが、実際の社会とどのように異なっているのか。本書は、シンボルの起源や変容、社会の実像と虚像について、豊富なエピソードを織りまぜながら、わかりやすく解説する。

 ひと言でいえば、本書は、シンボルを切り口として、カナダの過去と現在をトータルに描いた、きわめてユニークなカナダ史/カナダ社会文化論の書である。

 

カナダのシンボルが勢ぞろいする観光PRのポスター
カナダのシンボルが勢ぞろいする観光PRのポスター

 カナダ多民族社会におけるシンボルの役割

 カナダは多民族社会である。では、カナダ社会を統合するのに、シンボルはどのような役割を果たしてきたのだろうか。本書が描くのは、先住民やエスニック集団の個々の歴史や文化から生まれたシンボルが、カナダ全体で共有され、カナダ社会の統合が進んだ、というような単純なストーリーではない。

 シンボルには、社会を統合させる機能がある。だが、その一方で、社会を分断させることもありうる。シンボルが持つ表象や意味を自己のアイデンティティと重ねる人びともいれば、それを受け入れない人びとや、排除されてしまう人びともいる。つまり、シンボルは、多様な社会を包摂できず、統合の破綻を招いてもいるのである。また、シンボルのありようは不変ではないし、それが持つイメージが捏造されることもある。

 本書は、植民地期から今日まで、22のシンボルがたどった複雑多岐で錯綜した軌跡を描き出している。たとえば、国旗や国歌をめぐって、フランス系とイギリス系の間でいかなる対立があったのか。アメリカ合衆国とは異なるという意識を育むうえで、アイスホッケーや英語はどのような役割を果たしてきたのか。騎馬警官、国連平和維持活動、「メディケア」といったカナダが誇るシンボルの裏には、どのような現実があったのか。

 これらの点について、史実を踏まえながら、平明に解き明かしていく。そして、シンボルの分析をとおして、多民族・多文化社会のカナダの成り立ちを描き出すとともに、今日のカナダ社会の実態を浮き彫りにしていく。

 

(左)ほほ笑む可憐な少女・アンの飲料広告。(右)プリンスエドワード島州で妊娠中絶の医療設備を求めるカラッツの運動ポスター。ハッシュタグ「ヘイ・ウェード」は、州首相ウェード・マクラクランに向けたもの
(左)ほほ笑む可憐な少女・アンの飲料広告。(右)プリンスエドワード島州で妊娠中絶の医療設備を求めるカラッツの運動ポスター。ハッシュタグ「ヘイ・ウェード」は、州首相ウェード・マクラクランに向けたもの
 

カナダ社会の光と影

 カナダは、多民族・多文化共生の先進国である。だが、勿論、影の部分もある。特に、先住民の処遇は喫緊の課題である。

 2021年5月、衝撃的なニュースがカナダ全土を駆けめぐった。ブリティッシュ・コロンビア州カムループスの旧寄宿学校近くで元生徒の遺骨215基が「発見」されたのである。翌月には、サスカチュワン州でも751基が「発見」され、カナダ国民にさらなる衝撃を与えた。日本のメディアも大きく取り上げたので、ご記憶の方もおられるかと思う。

 「寄宿学校」とは、先住民子弟のための寄宿舎付きの学校で、19世紀前半から20世紀末にかけてカナダ各地につくられた。英語またはフランス語が教えられる一方、先住民の言語の使用は禁止された。教師や寮監による虐待も少なくなく、精神的トラウマを抱える者が後をたたなかった。「文明化」策としての寄宿学校制度は、先住民社会に大きな傷跡を残したのである。寄宿学校問題に限らず、先住民の不満や怒りは、数世紀にもわたる白人支配、つまり、「セトラー・コロニアリズム(入植者植民地主義)」に端を発しており、彼らはそれに対する和解を求めている。

 本書には、先住民起源のシンボルが登場する。太平洋岸の一部の地域でしか作られていなかったトーテムポールが、カナダのシンボルとなり、カヌーは、白人の土地測量やレジャーに用いられた。また、ラクロスは、白人、特にイギリス系の間で広まった。こうしたシンボルの盗用は「セトラー・コロニアリズム」の一端であり、今日、先住民はそれを取り戻そうとしている。

 先住民問題に限らず、光と影の両面を知ってはじめて、真のカナダ理解につながる。多民族・多文化共生の先進国であるカナダが乗り越えるべき課題を知ることは、日本社会での多文化共生を考える有益な手がかりにもなろう。

 訳者の私自身、22の多彩なシンボルを通してカナダの過去と現在をあぶりだすというアイディアに惹かれて、原著を手にした。カナダ歴史学界の重鎮をはじめとする総勢20人の歴史家が、約200枚の図版や数々のエピソードで興味をひきつけながら、鋭い洞察力でカナダ社会を分析し、シンボルをめぐる「神話」を解体していくという、硬軟まじえたスタンスとその内容の面白さに魅了された次第である。

 カナダの過去と現在を知りたい方々は勿論のこと、シンボル・表象・ポピュラー・カルチャーや社会文化史に関心のある方々にも、本書を手にとって頂ければ幸いである。

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