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種村季弘没後20年記念刊行 入門書としても最適な『種村季弘コレクション 驚異の函』

記事:筑摩書房

贋物、異端、影、神話、錬金術……没後20年、〈知の怪人〉種村季弘の粋を一冊に。
贋物、異端、影、神話、錬金術……没後20年、〈知の怪人〉種村季弘の粋を一冊に。

 本当に早いもので、種村季弘が亡くなって、今年でもう二十年になるという。 
 一九七〇、八〇年代には、仏文の澁澤龍彥と独文の種村季弘の二人は、多くの読者から《異端文学の両輪》と見られていた。驚異的な博覧強記で知られた種村はその交友関係だけでなく、幻想文学、幻想美術、人形、ユートピア、魔術、錬金術など、文学的主題も確かに澁澤と重なり合うところが少なくなかった。
 しかし、金と銀のような両者の資質は、奥深いところで本質的に異なっていたように思う。澁澤に色濃いアンジェリスムは種村にはない。種村の文学世界は徹頭徹尾、陰画の世界、あべこべとニセモノの世界である。

種村季弘の弟子たち

 そんな種村季弘には弟子と言ってさしつかえのない人たちが(少なくともはたから見れば)、文学関係だけでも何人もいた。
 たとえば、種村が序文を寄せた大著『日本夢文学志』でデビューした文芸評論家の堀切直人さん。『石の花』や『大正幻滅』の著者である堀切さんは、一九八〇年代に、のちに『小説万華鏡』に纏まる朝日新聞の文芸時評を種村が手がけた際、その手伝いもしている。当時のこの師弟の濃密な繋がりは、湯河原在住の種村夫人が、苦笑まじりに大男の堀切さんを「種村の東京の奥さん」と呼んでいたほどだった。

 ドイツ文学者でグリム童話や『ソフィーの世界』の訳者としても知られる池田香代子さんは、都立大学の学生の時からの古弟子である。学生時代、人生に迷っていた池田さんは、恩師種村に、「うじうじ悩んでないであすこで体を動かしてこい!」と言われて、暗黒舞踏の大魔王、土方巽の道場で下足番みたいなものをやっていた時期があったらしい。
 フランス文学者で、『失われた時を求めて』の個人全訳という大業を現在進行中の高遠弘美さんもまた、種村門下の一人だ。高遠さんが、種村の名アンソロジー『日本怪談集』等の編纂に参画していたことは、意外に知る人は多くないかもしれない。

最後の弟子による、入門的タネムラ傑作集

 さて、本書を編んだ小説家の諏訪哲史さんは、いまお名前をあげた三人よりもひと世代以上若く、種村が國學院で教鞭をとっていた時期のいわば最後の弟子にあたる。小説より奇なるこの二人の師弟関係をめぐっては、すでに諏訪さん自身がその一端をいくつかの文章にしているけれど、いずれより本格的な《先生とわたし》がきっと書かれることだろう。この『種村季弘コレクション 驚異の函』は、恩師から「世界の読み方」を教わったという編者が全霊をあげて作り上げた、入門的タネムラ傑作集だ。

 種村文学はしばしば迷宮になぞらえられる。じつに多彩で面妖なコスモスだが、つごう十五編が選りすぐられた本書には、「器具としての肉体」や「怪物の作り方」など鋭利きわまる本格的論考があるかと思えば、「現世の生活を放棄しないと、本当の文学はできない」と語る「落魄の読書人生」や「人生、怖いものがあるうちが花です」と喝破する「洋の東西怪談比較」のごとき洒脱なエッセイと講演記録も収まっている。迷宮世界を一望するにはまたとない文庫アンソロジーである。

 この一冊でめでたくラビリントスに参入を果たした読者は、次には種村の『怪物の解剖学』と『アナクロニズム』を手にとることをお薦めしたい。七〇年代のある時期に埴谷雄高は、「今は種村くんがトップを走っているね」と漏らしていたというが、ゴーレムから自動人形まで人工的生命の系譜をたどった『怪物の解剖学』は、種村のそうした時期の名著だと言えよう。『アナクロニズム』も同様に初期の著作だが、ぺてん奇人吸血鬼少女迷宮舞踏ナンセンスなどなど、それぞれ一冊の単行本に発展する種村ワールドの主要主題が勢揃いした痛快な読み物である。また、種村文学の最高領域かもしれない作家作品論集として、綺想図書館『壺中天奇聞』と、その枝道の笑いがあふれる書物随筆『書物漫遊記』の二書も忘れずにあげておこう。

 澁澤龍彥は生涯弟子のような存在を綺麗さっぱり持たなかったが、いっぽう種村季弘にはグルを仰ぎ見る弟子が数多かった。このことは先に書いた通りだが、しかしまた、なんでそんなに周りを沢山の忠実なるお弟子がとり囲んでいたのだろうか?
 もしかしたら、それは、タネラムネラが「詐欺師」だったからかもしれない。

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