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不世出の異才の生涯 礒崎純一『龍彥親王航海記 澁澤龍彥伝』あとがき 

記事:白水社

 澁澤龍彥の日本文学史上における位置は没後三十年を過ぎたいまなお明確になったとは言いがたいが、回想記などを中心とした澁澤をめぐる資料類はかなり豊富に出揃(そろ)っている。

 澁澤が生前も少なからぬ熱烈な愛読者たちをもった作家であり、またその死後は、ほとんどの著作の文庫化とともに、生前にもまして多くのひとびとに読まれ、多くのひとびとに関心をもたれつづけている人気作家となったことが、関係資料が数多く公けに出されている理由の一つと当然考えられる。澁澤の特集を組んだ雑誌類の数も、すでに両手の指を越えている。

 また、澁澤の没年齢が比較的若かったために、その時点ではおもだった関係者のほとんどが存命しており、多くの得難い証言が幸運にも散逸する前に残されたことも、資料が豊富な理由のもう一つとしてあがるだろう。とりわけ、河出書房新社刊行のすぐれた『澁澤龍彥全集』『澁澤龍彥翻訳全集』の月報と、幻想文学会出版局が出した力作「澁澤龍彥スペシャルⅠ」に掲載された、多数のインタビュー類は、インタビューをうけた人たちがほとんど没した現在となっては、いっそうのこと有意義な証言となっている。

 本書『龍彥親王航海記』は、そうした、澁澤龍彥の生涯と作品について書かれ、語られた、膨大な文章(もちろんそこには澁澤本人のものがもっとも多い)に、あたうかぎり目を通し、それらを選択して、編集配列することにより成った「伝記」である。

 あえてバッハの受難曲に喩(たと)えれば、ここでは曲の中核となるアリア、アリオーソ、コラールはもう作曲されて筆者の前に揃っていた。だから、本書の筆者が新たに書き下ろしたのは、すでに存在するそうした美しいアリアやコラールのあいだとあいだを語り繋(つな)いでいく〈福音史家(エヴァンゲリスト)〉のレチタティーヴォのパートと、それに少しばかりの序曲やら間奏曲だけにすぎないとも言えるだろう。役目は〈福音史家〉なのだから、福音史家がみずから朗々と歌う愚は厳につつしんだつもりであるし、いわんや、ロマネスクな想像力などといったものは、本書の叙述にはいっさいもちいられていない。

 ただ、澁澤最晩年の三年ほどの短い期間だが、筆者は編集者として澁澤龍彥本人とじかに接している。その回数もせいぜい二十たらずだが、そうした意味では、石井恭二と小野二郎にはじまる幸福な澁澤編集者の系譜の、どん尻の最末席にいた一人であることは真実であり、その時に澁澤から聞いた話は、記憶のある限り本書に採りいれるようにした。まだ若かった筆者が澁澤と交わした会話はたわいもないものも多いけれども、それでも今となっては重要だといえる部分をふくんでいないわけではないかもしれないからだ。

 本書執筆における、伝記的事実の最大の拠(よ)り所となったものは、『澁澤龍彥全集 別巻2』に収録された、巖谷國士さんによる「澁澤龍彥年譜」である。澁澤没後数年にしてつくられた、百ページを越えるこの大変な労作の存在がなければ、本書のような後塵(こうじん)を追った書き物はまったく成り立たなかっただろう。

 澁澤龍子さんには、二年以上にわたった北鎌倉での蔵書目録『書物の宇宙誌』の編纂(二〇〇三〜〇六年)のおりなどに、さまざまに貴重なお話の数々をうかがった。本書の執筆にあたっても、あたたかい励ましのお言葉をいただき、資料や写真についてもご高配を賜った。

 すでに故人となられた、種村季弘さん、松山俊太郎さん、出口裕弘さん、矢川澄子さんには、仕事を通じての長いお付き合いの中で、たくさんのいろいろな話を聞かせていただいた。矢川澄子さんからは、一九九三年の八月、池田香代子さん、東雅夫さんと筆者の三人が、黒姫のご自宅に招かれ、その際、二日にわたって矢川さんの話を録音にとった。四半世紀以上も前の大昔の、六本になるその九〇分カセットテープから、少なからぬ重要な証言と情報を本書は得ている。

 いまお名前を挙げた、巖谷さん、龍子さん、種村さん、松山さん、出口さん、矢川さんには、この場を借りて、心からの感謝を申し述べる次第である。

 また、三十数年前に、筆者が澁澤龍彥の生身に接しえたことは、まさにひとつの「恩寵」であった。そうした意味で、本書の主人公である澁澤龍彥さんに、あらためて深い感謝を捧げなければならないだろう。

【礒崎純一・本書あとがきより転載】

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