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世界に広がる伝説を味わい、学ぶ 吸血鬼のルーツをたどる古典と評論3点

妖しく美しい女吸血鬼ものを新訳で

 まずご紹介したいのはレ・ファニュ『カーミラ レ・ファニュ傑作選』(南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)。おそらくブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』に次いで知名度の高いヴァンパイア小説「カーミラ」を中心にした短編選集である。1814年にアイルランドのダブリンに英国国教会牧師の子として生まれたレ・ファニュは、大学卒業後文学の道を志し、ゴシック小説、歴史小説などを執筆。怪談にも強い関心を示し、本書に収められている「緑茶」「クロウル奥方の幽霊」などのようなホラー史上に輝く短編を残している。

 レ・ファニュの作品は細やかな描写に特色があり、筋の展開も古典的でおっとりしているので、現代の読者には少々じれったく思えるかもしれないが、恐怖のピークに向けてじわじわとエピソードを積み重ね、読者をゾクッとさせたところで、綺麗に物語を閉じる語りの上手さはやはり名人芸。得体の知れない求婚者が死と恐怖をもたらす「シャルケン画伯」や、幽霊城での事件をユーモラスに描いた「幽霊と接骨師」を読めば、レ・ファニュが今なお世界のホラーファンに愛されている理由が、あらためて納得できると思う。平明で味わい深い訳文も、作品との距離を縮める手助けになってくれるだろう。

 表題作の「カーミラ」はオーストリアの古城で暮らす孤独な少女ローラが、カーミラという美しい客に魅入られ、次第に生気を失っていく、という物語。ローラの耳元で熱っぽく愛を囁く、女吸血鬼カーミラの存在がなんとも妖しく魅力的だ。ロマンティックで恐ろしく、レ・ファニュらしい怪奇美の横溢した名作なので、ぜひとも読んでみてほしい。

ヴァンパイア文学のネットワークを提示

 今日の吸血鬼イメージを決定付けたのは、ブラム・ストーカーの金字塔『吸血鬼ドラキュラ』(とその映画化)だが、ストーカー以前にもヨーロッパでは吸血鬼小説が数多く書かれていた。ラウパッハ、シュピンドラー他『ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集』(森口大地編訳、幻戯書房)は、1820〜30年代のドイツ語圏で発表されたヴァンパイア文学の短編集。収録作7編はすべて初訳で、これまで詳しく知られていなかった19世紀前半におけるドイツ語圏での吸血鬼ブームの実態を伝える、貴重な試みといえる。これを読むと私たちの知らないヴァンパイアの物語が、英語圏以外にもまだまだ存在していることが分かる。

 官能的な前妻を墓から呼び起こしたばかりに主人公の君主が危機に見舞われるラウパッハ「死者を起こすなかれ」、作中作を使った趣向が意外な新しさを感じさせるイジドーア「狂想曲 ヴァンパイア」、ドラキュラ伯爵のモデルとされるワラキア公ヴラドにいちはやく言及したクリスマー「ヴァンパイア ワラキア怪奇譚」などの収録作は、いずれも荒削りながら面白いものばかり。未知の作家・作品が並んでいるが、吸血鬼好きなら興奮させられるはずだ。

 ヴァンパイア文学はヨーロッパ各地の民間伝承や事件、先行する文学作品のイメージなどを取り込むことによって発展を遂げてきた。編訳者はその複雑な影響関係を「ヴァンパイア文学のネットワーク」と呼び、このアンソロジーを通してその網の目を読者に示そうと試みている。詳細な注釈と関連事項年譜、そして80ページにも及ぶ圧巻の解題に目を通せば、近代ヨーロッパにおけるヴァンパイア文学の成り立ちを、詳しく知ることができるだろう。そのネットワークは今も途切れることなく、アニメやライトノベル、ゲームのヴァンパイア像にも繋がっている。なお本書において編訳者は「吸血鬼」という語を用いず、訳語を「ヴァンパイア」で通している。その理由(ヨーロッパの歴史とヴァンパイアの出自に関わっている)についても解題をお読みいただきたい。

種村季弘の先駆性を堪能

『種村季弘コレクション 驚異の函』(ちくま文庫)は今年で没後20年となるドイツ文学者・種村季弘のエッセンスを凝縮したアンソロジー。

 その巻頭に置かれているのが「吸血鬼幻想」である。1960年代に書かれたこの先駆的なエッセイにおいて、種村は「吸血鬼といえば」とドラキュラとカーミラの名を挙げたうえで、バルカン諸国の吸血鬼伝説に言及し、世界各地に広がる吸血伝説に話題を広げ、吸血行為の心理学的な意味を考察していく。そこからさらに……と話題が展開し続けていくのが種村エッセイのひとつの特徴で、読者は振り落とされないように次々に提示される風変わりな逸話とその分析に興奮を覚えながら食らいつくよりない。読み終える頃には、吸血鬼幻想をめぐる世界旅行をし終えたような心地よい疲労感に包まれる。吸血鬼に関する文献のまだ少なかった時代、よくこれだけの文章を日本で書きえたものだ。

 その他、怪物を論じた「怪物の作り方」、稀代のぺてん師を紹介する「ケペニックの大尉」、迷宮論である「K・ケレーニイと迷宮の構想」など、種村が生涯のテーマとしてこだわり、多方面に展開させていった“贋物”にまつわる刺激的な論考が並ぶ。幼い頃の読書体験を小川未明の童話を中心に述べた「文学以前の世界 童話のアイロニー」も興味深い一文だ。種村がなぜ贋物にこだわり続けたのかについては編者解説に詳しいが、そこには東京大空襲の惨禍が影を落としている。

 編者の諏訪哲史は種村の教え子で、過去にも亡き師への敬愛の念を込めて『種村季弘傑作撰Ⅰ・Ⅱ』を編んでいる。今回はそこからさらに選り抜いた代表作に加え、くつろいだ語り口の自伝的随想、講演録なども収録しており、博覧強記で知られた“怪人”の広大な関心領域と人間味をともに伝える一冊となっている。いわば著者の肉声が聞こえてくるようなアンソロジー。初めての読者も久しぶりの読者も、思わず他の種村本にも手を伸ばしたくなるだろう。