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男がフェミニズムに参加することが必要だ――イヴァン・ジャブロンカ著『マチズモの人類史』

記事:明石書店

『マチズモの人類史』(イヴァン・ジャブロンカ著、明石書店)
『マチズモの人類史』(イヴァン・ジャブロンカ著、明石書店)

 本書は、フランスの歴史学者イヴァン・ジャブロンカが2019年に出版したDes hommes justes: Du patriarcat aux nouvelles masculinitésの翻訳である。イヴァン・ジャブロンカはソルボンヌ・パリ・ノール大学で教鞭をとる歴史学者で、フランスの孤児の歴史を研究してきた。作家としても著名で、ノンフィクション作品『私にはいなかった祖父母の歴史――ある調査』ではアカデミー・フランセーズ・ギゾー賞や歴史書元老院賞、オーギュスタン・ティエリ賞を受賞している。

 近年は歴史研究の射程を広げ、本書では孤児の原因でもあった家庭の病理の根源にある家父長制の問題にメスを入れた。男女の不公平が社会に軋轢と不幸を引き起こしており、解決法は男性優位の家父長制社会を覆すことだと語っている。もちろん、これ自体はこれまでもフェミニズムの文脈で語られてきたことではある。では本書の新しさ、注目される点はどこか。それは男性が子どもの頃から口酸っぱく「男らしくしろ」と言われてきたところの「男らしさ」とは何かを歴史的に検証し、そこから男の支配の力学と病理に切り込んでいる点だろう。

男は男に生まれるのではない。男になるのだ

 男らしさって何だろう。訳者は学校で厳密な定義を習ったことはないし、親から教わったこともない。漫画やCMや文学、映画、あるいは家族や学校などの近隣社会での経験を通して、無意識のうちに理想たる「男らしさ」が幼い頃から刷り込まれていくのだ。男ならくだくだしく言い訳するな。男は涙を見せるな。男は妻子の面倒を見ろ。男なら勇ましく戦え、などなど。しかし、このような勇ましい男のありようは、生物学的属性ではなく、文化的属性、いわゆる「ジェンダー」の中の男性性の一つのあり方にすぎない。

 ジャブロンカは男性性は一つではないと言う。男性性には、権力志向で他者を抑圧する〈支配する男性性〉もあれば〈支配しない男性性〉もある。〈曖昧な男性性〉とか、〈敬意を払う男性性〉あるいは〈これ見よがしな男性性〉、さらにまた〈犠牲を払う男性性〉などもある。私たちはあまり意識したことはなかっただろうが、さまざまな男性性が存在しうると著者は説く。これは先述の通り、男性性がジェンダーだからだ。今、男女が不公平な社会になっている理由は〈支配する男性性〉が女性ばかりか、他の男性性を制圧していることによる。〈支配する男性性〉が女性を支配するだけでないというところが重要だ。〈支配する男性性〉のおかげで幸せになれない男性も多い。

 こうした男性性の分析手法について、ジャブロンカはオーストラリアの社会学者、レイウィン・コンネルの研究からヒントを得たと言う。本書によれば、コンネルと歴史家のジョージ・モッセは、男らしさが人間関係の中でどのように自己定義されるかを示し、男性ジェンダーの秩序を永続化するためには、常にどれか特定の男性グループの価値が切り下げられなければならないことを明らかにした。

 一方、ジャブロンカは男女平等にとって大きな壁であり、家父長制の岩盤だった〈支配する男性性〉が産業構造の変化や環境意識の変化によって、従来の「男らしさ」を維持できなくなってきたために、さまざまな形で新しい病理現象を起こしていると見る。この病理の分析は本書の核心でもある。そこで著者は〈支配する男性性〉に代わる〈新しい男性性〉の時代を打ち立て、家父長制社会を覆す必要があるが、そのためには男がフェミニズムに参加することが必要だと説く。

 フェミニストのボーヴォワールが「女は女に生まれるのではない。女になるのだ」と言ったように、男もまた男として生まれるのでなく、男になる。ジャブロンカは、この言葉のルーツとして、欧州ルネサンスの文人・エラスムスを挙げている。

エラスムスがその『幼児教育論』(1529)の中で「人は人として生まれるわけではない。人はそのようにつくり上げられるのだ」と記したとき、彼はすべての人間について考えていた。もし、この言葉の「人」の代わりに「男」を入れてみれば、男をつくり上げるための無数のしきたりに思い当たるだろう。

 女性がボーヴォワールの言葉に刺激され、自己を考察してきた過程を、今度は男性が歩む日が来た。男は男に生まれるのではない。男になる、男につくり上げられるのだ。つまり、男性がフェミニストになるということは、このことを自覚して、子どもの頃から無意識に強いられた男らしさをいったん離れ、男らしさを自覚的に選択しなおすことだろう。

 ジャブロンカはこれまで主流だった男らしさは歴史の産物にすぎないとして、はるか旧石器時代から人類の歴史をたどりながら、男らしさがどう構築されてきたかを時代時代で検証していく。ジャブロンカは多様な視点から社会の実像を研究するアナール学派から影響を受けた歴史学者で、学生時代は歴史学の泰斗アラン・コルバンに学んだというだけあって、歴史の検証にはさまざまな事象が満載である。

鍵としての〈支配する男性性〉――自殺から戦争まで

 本書はこうした内容を四部構成で伝えている。「第Ⅰ部 男性の支配」「第Ⅱ部 権利の革命」「第Ⅲ部 男性の挫折」「第Ⅳ部 ジェンダーの正義」。

 第Ⅰ部ではなぜ男性が女性を支配するようになったのか、家父長制社会の成立を旧石器時代までさかのぼって検証する。出産能力のない男たちは、その能力の欠損をカバーするべく女性の役割を生殖と出産・子育てに絞り込み、その他すべての社会的役割を独占し、全能的な存在となった。新石器時代が訪れると、農業が発達した結果、人口が増え、富が蓄積され始める。この結果、家父長制はますます強化される。この頃、宗教的国家が形成されるが、教祖たちは基本的に男であり、したがって国王も男が独占する。

男性支配の確立が、紀元前四千年紀には文字を、紀元前三千年紀には国家を、紀元前二千年紀には武器を、そして紀元前一千年紀には宗教を男性がすばやくわがものとした事情を説明してくれる。しかし、社会が複雑になるにつれて、男女の不平等は乗数効果をもたらした。定住化、農業と牧畜の発明、社会の階層化、領土の獲得、政治・宗教の権力など、すべてが女性を服従させるために結びつく。

 このパートで紹介される古代遺跡から出土した土器や彫刻で表現されたさまざまな女性のイメージはあまりにも象徴的で、読者の興味を掻き立てるだろう。なぜ男性優位の社会が洋の東西を越えて生まれてきたのか、この歴史的な理解を抜きにして男女の公平な社会は実現できない。

 第Ⅱ部では、フェミニズムがどのように始まり発展してきたのかを、フェミニズム以前の時代から検証する。寡婦や結婚しない女性、修道院の尼僧など、女性の中に例外的に男性に準じる権利を持って社会的活動をする存在が近代以前にも一定数存在していたことがまず紹介される。女性の中には読み書きを学び、学問を修める女性も稀に存在した。そこから、少しずつ読み書きのできる女性が増えていったことがフェミニズムの誕生の基礎となった。その後、大きく進展したのはフランス革命期だった。人間の平等をうたう画期的な人権宣言が出された。

 だが、女性の権利だけは疎外された。革命のため男と並び貢献したにもかかわらず女性たちはその成果を受け取ることができず、国王や貴族が廃止されたものの、男性は女性に対して特権貴族的な立場を維持した。人権思想と革命からの疎外によって、フェミニズムが生まれたとジャブロンカは述べている。

 ルソーのようなフランス革命期の思想家たちが女性の権利を無視したとしても、革命の原理それ自体の中に男女の平等は原理的に内包されていたのだ。さらに著名なフェミニストたちの多くが、男女平等を唱える父親を持っていたことや、ニコラ・ド・コンドルセやシャルル・フーリエ、ジョン・スチュワート・ミルのように男女平等を訴え、実際に行動した男たちもいたことが示される。

 フェミニズムを語る第Ⅱ部は、男がフェミニストになる上で、重要な事実が詰まっている。フェミニストたちのあいだの考え方の違いや実践上の対立などについても触れられている。女性には既知のことも少なくないだろうが、男性と女性が手を携えてフェミニズムの闘いを進める上で、フェミニズムの歴史を共有することは大切だ。

 第Ⅲ部では、男性が没落していく過程とその原因が分析される。旧石器時代から積み上げられ、強化されてきた家父長制社会に産業構造の変化から転機が訪れていることが示される。たとえば次のようなデータである。

 世界中で、男性の自殺は女性よりも三~四倍多い。国によっては、若い男性が若い女性より三倍から七倍多く自殺している。米国では白人男性の自殺率が最も高い。

 こうした男性の自殺率の高さは、覇権を握ってきた〈支配する男性性〉がすでに現代社会とずれてしまったことが原因と考えられる。男性が得意とした産業の空洞化やどちらかと言えば女性に分があるサービス産業の台頭、さらにエコロジー意識の台頭で、男性支配の内実が揺らいでいるのだ。過去のような威厳を示せなくなったにもかかわらず、過去を忘れられず、未だにジェンダーとして〈支配する男性性〉を引きずっている悲劇である。ミソジニーや暴力もこれとつながっている。今主流になっているこのジェンダー意識では、男性は現実を受け入れることができない。それは男性自身の危機である。

 第Ⅳ部で、男性性を転換させる時期に来ていることが示される。〈支配しない男性性〉や〈敬意を払う男性性〉、〈平等を重んじる男性性〉などである。そこから演繹される未来についても歴史学者ジャブロンカが考察をしている。

 この中で特に興味深く思われたのが〈敬意を払う男性性〉のくだりである。女性と性交渉をする際に、どのようにコミュニケーションして意思確認するか。ここでは世界で先駆的に試みられたことをジャブロンカは記している。スマートフォンをベッドで使って、性交渉を進めるたびに、その一つ一つのプロセスで、女性に合意のチェックをもらうアプリまで出ている。こうした取り組みへの考察も興味深いが、さらにポルノとは違った性教育が必要だと指摘していることも注目される。新しい時代を切り拓くためには津々浦々の多くの男女の知恵と経験と参加、それとユーモアが必要だ。それらがあれば必ず時代は変わると訳者は信じる。

 本書を読まれた方には、本書が時代の処方箋になっていることがわかっていただけるはずだ。コロナ禍を経て、リモートの会議や仕事が増えた結果、厨房に立つ男性や地域社会での暮らしに以前よりなじんだ男性も多いだろう。これは男性性の変革への追い風に見える。しかし、その一方で、道のりは決して平坦ではないようにも感じられる。それはウクライナやパレスチナでの戦争の勃発に象徴される戦争と暴力の台頭である。

 本書の第Ⅲ部で考察された、追いつめられた〈支配する男性性〉が今、「窮鼠猫を噛む」ように復権を期して世界各地で冒険的行動に出ていることがわかる。性差別的な宗教原理主義も想像以上に現実政治に波及している。フランスの社会学者エドガール・モランは「歴史上獲得されたもので不可逆的なものは何もない」と語っているが、今、このことはフェミニズムに対する反動という形で暴力的に私たちに襲いかかっている。逆説的になるが、だからこそ、本書の価値はより高まっているとも言えるのだ。

(本書の訳者あとがきより抜粋、一部を修正)

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