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世界的ベストセラー『センス・オブ・ワンダー』待望の新訳

記事:筑摩書房

森田真生による新訳、そして「その続き」
森田真生による新訳、そして「その続き」

 京都の夏は暑い。気温が体温を超えるような日には、子どもたちと虫を探していても、すぐに日陰に避難しないといけない。日なたではあっというまに全身の血が煮えてしまいそうになるから、この時期は、子どもたちと外に出かけたとしても、すぐに川に飛び込んでしまうことが多い。
 僕たちが散歩がてらによく出かける高野川(たかのがわ)は、下鴨神社の南で賀茂川と合流すると「鴨川」に名前が変わる。高野川、賀茂川、鴨川が、ちょうど南北にY字の形を描くようにして京都市内を北から南へ流れていくのだが、高野川は、このY字の右上(北東)の部分にあたる。流れが穏やかで、浅い場所も多いので、小さな子どもでも安心して遊べる川だ。
 自然の河川のほかにも、街のいたるところに川から引かれた用水路がめぐっていて、夏は、そうした水路も子どもたちの恰好の遊び場になる。魚やカニを探し、あるいはただ足を冷たい水に浸して木陰で涼む。

 先日そんな小さな水路の一つで四歳の次男と、向こうから流れてくる落ち葉をつかむ遊びをしていた。水路は大きな屋敷の邸内を抜けて、木の塀をくぐり抜けて流れ出してくる。川が流れ出てくる向こうの視界が塀でさえぎられているので、次にどんな落ち葉が流れてくるか、二人でドキドキしながら待ち受ける。
 サクラの葉やカエデの葉、緑の葉や紅い葉、いろいろな葉が不規則なリズムで、川の流れに乗ってやってくる。黄色の小さな落ち葉ばかりがいくつも連続して流れ出てきたときなどは、塀の向こうでいっせいにハラハラと、風に吹かれた落ち葉が舞い落ちる風景が目に浮かぶようである。水の流れが、それまで川の見てきた過去を、語り伝えてくれているかのようだ。

 カニや虫の死骸、コガネムシの幼虫やアマガエル、ときにはダイコンやタマネギが、なぜか流れてくることもある。いつか大きなモモが流れてくるんじゃないかと、二人で笑いながら落ち葉を拾う遊びを続ける。すべてがただ流れ去っていくのに、「いま」は常に新しい。次男はこの遊びが、それだけで楽しくて仕方ないらしい。
 いま自分のいる場所が、見えない場所とつながっている。川の流れは、このことを教えてくれる。川に浸かり、水の流れを受け止めていると、水が運ぶ幾重(いくえ)もの時間の来歴を全身で味わうことができる。
 山に降った雨が、ここに流れてくるまで、いくつの水脈をたどり、どれだけの土をくぐりぬけてきただろうか。石を転がし、枯れ葉を乗せ、記憶を運びながら流れる水が、こんなにもさらさらと爽やかなのだ。

言葉だけでなく、風景を、子どもたちには残していきたい

 人間の言葉を巧みに模倣する人工知能より、僕は川の言葉を翻訳できる機械を見てみたい。川はきっと、繊細で壮大な、いくつもの物語を語り始めるにちがいない。
 鴨川はかつて、氾濫をくり返す暴れ川だったという。それでもここに人が住み続けてきたのは、しばしば洪水があることもふくめて、生きた川が、多くの恵みを、人の暮らしにもたらしてきたからである。
 洪水はただ人の暮らしに侵入するだけではないのだ。山を削り、砂礫(されき)を運びながら、人や、人をとりまく生き物たちが暮らす足場を形づくってきた。洪水は石礫(せきれき)を流し、川に瀬や淵などの構造をつくる。そこが魚類の生息する環境となる。あふれ出した水は、やがて大地にしみ込み、人々の生活を支える豊かな地下水となる。川の氾濫でときに大木がなぎ倒されることは、生態系のダイナミズムの大切な一部でもある。

 山河に沿って形成される場所の感覚は、京都で暮らす日々の身体性の基盤だ。東山、北山、西山と、三方をいつも山に囲まれているため、どこにいても方向感覚を失うことがない。変わらないものを基準に、変わるものを計ることで可視化されるのが「時間」だとすれば、京都の大地は、動き続ける川と不動の山並みの対比のなかに、固有の時間を描き続けている。
 高野川で上流に向かって立つと、視界の右手にはいつも比叡山(ひえいざん)がある。ここから南へと連なる東山連峰は、丹波層群と呼ばれる三億年前から一億五〇〇〇万年前に海底にあった地盤が隆起したものを起源とするという。こうした古い地層にあとから花崗岩マグマが貫入(かんにゆう)して東山が形成された。マグマが冷えてできた花崗岩は少しずつ風化し、流出した砂礫は、山麓に扇状地を形づくった。このとき堆積した砂が白く見えることから、比叡山と、大文字の送り火で知られる如意ヶ岳のあいだの扇状地には、「白川」の地名がつけられている。

 小林秀雄は「蘇我馬子の墓」と題したエッセイのなかで、田舎道を歩きながら大和三山を見上げて、「(万葉の歌人らは)あの山の線や色合ひや質量に従つて、自分達の感覚や思想を調整したであらう」と書いた。僕は、高野川から、北山や東山の山並みを眺めていると、この言葉をいつも思い出す。数多(あまた)の先人たちが、それに従って自分の「感覚や思想を調整」してきた山の線や色合い、そして質量。だがそうした「変わらぬ」京都の山の姿も、長い年月をかけ、水の流れが、動き続ける大地から削り出してきたものなのである。
 思想や言葉は、真空を伝わるのではなく、山河を背景とし、風景を媒体としながら、長い時間をかけて受け継がれていく。
 言葉だけでなく、風景を、子どもたちには残していきたいと思う。

本書より 絵:西村ツチカ
本書より 絵:西村ツチカ

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『The Sense of Wonder』の新訳に挑戦へ

 二〇二〇年の秋、筑摩書房の吉澤麻衣子さんから、一通のメールが届いた。そこには、レイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder』の新訳に取り組んでみないかという、少し意外な提案が記されていた。
 この時点で僕はまだ、吉澤さんと面識はなかったが、提案のきっかけはこの年の初めに、僕が新聞に寄稿したエッセイを目にしてくださったことだったという。

 このエッセイは、冬に庭の椿(つばき)の最初の花が咲いて、当時三歳の長男が「ねぇ、見て! 咲いたよ!」と、窓の外を指差しながら叫ぶ場面から始まる。花の姿に心躍らせ、暖かな日差しにホッとし、雨音の静かさに耳を澄まし、石を握りしめながら物思いにふける……
人が生きるという営みが、いかに人間ではないものたちに支えられているかを、子どもたちに学び続ける日々であった。
 人間と人間以外のものとの生態学的な関係をテーマとしたエッセイや論考を、僕はこのころから少しずつ書き始めていた。人間の活動によって地球環境が急速に変容し、大量の生物種が絶滅していく時代に、人間の生き方やものの見方を根底から見直していく必要があると痛切に感じていた。
 そうしたなかで記したエッセイのひとつが編集者の目にとまり、そこからレイチェル・カーソンの著書を連想してもらったということは嬉しく、ありがたいことだった。

 レイチェル・カーソンといえば僕にとってはなにより『沈黙の春』の著者であり、時代に先駆けて農薬などの化学物質が地球環境に及ぼす影響に警鐘を鳴らした科学者である。生物をそれぞれ単独で切り離して考えるのではなく、複雑に絡み合う生物同士の関係に着目する視点は、それまで見落とされていた化学物質の危険性を浮かび上がらせるとともに、地球規模で環境問題をとらえる見方を開いた。
 生態学的なものの見方から、新たな人間像を模索しようとしていた僕にとって、カーソンは偉大な先達なのだ。そんな彼女の言葉をじっくり読み直していくことは、それ自体とても魅力的な挑戦になると思った。

本書より 絵:西村ツチカ
本書より 絵:西村ツチカ

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