SDGsを考えるときの「見取り図」 『環境経済学──『沈黙の春』から気候変動まで』
記事:白水社
記事:白水社
【著者動画:Environmental Economics: A Very Short Introduction】
1952年12月5日金曜日の朝、ロンドン市街は黄色がかった濃い酸性の靄、「スモッグ」に一面を覆われ、数メートル先も見えず、息をすると喉の奥が痛んだ。ここ数週間は寒い日がつづいており、冷たい空気が上空から地表に下降し、上空よりも地表の気温が低くなる気温逆転現象が起こり、家庭や工場による石炭の燃焼、ロンドンの新しいディーゼルバスから排出される硫黄煤が、地表付近に垂れ込め、それは5日間、風向きが変わるまで滞留した。都市生活のほとんどが停止した。バスは各人を家まで導く灯りを持った乗客を要した。車の運転は、前の車のテールランプを頼りに、正しい方向に向かっていることを祈りながら進むしかなく、その結果知らない人の家までついて行く人もいたという。スポーツ観戦は、観客席から競技が見えないため中止され、ホワイトシティで開催されるドッグレースは、グレイハウンド犬が、追いかける兎の模型を視界に捉えることができず中止となった。土曜日には、サドラーズ・ウェルズ劇場で上演された『椿姫』が、劇場に流れ込んだスモッグで歌手や観客の咳が止まらなくなったため、第1幕で中止された。
ロンドンでは昔から、地元の人が「黄色の濃霧」と呼ぶ濃い霧が有名だが、このときは、それまでとは全く次元が違う規模で発生し、深刻な被害をもたらした。スモッグの犠牲者は4000人と伝えられたが、最近の調査では、実際はその3倍だったと推計される。この出来事に怒った市民が抗議したことから新たな規制が導入された。1956年、「大気浄化法」が制定され、ロンドン市内の各所に煙の排出禁止区画が定められ、一般家庭の暖炉は火入れ式の石炭ストーブからガスや電気など無煙の密閉式ストーブへ移行した。このようにして、イギリスでは近代的な汚染規制の整備が進められたのである。
アメリカでも、1962年、生物学者で博物学者のレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を出版してから数年後に、やはり市民の怒りに端を発して、政府が環境政策を矢継ぎ早に打ち出した。カーソンは著書で、マラリア蚊を退治するために殺虫剤DDTを広範かつ無差別に空中散布することが深刻な環境汚染をもたらすと警告した。これは綿密な調査に裏付けられており、説得力があった。彼女は、〔殺虫剤に含まれる〕有害物質が自然界の食物連鎖に入り込み、広範囲にわたって鳥類や哺乳類が急減していると論じた。それだけでなく、有害物質が環境に残存する結果、食物連鎖を通じて人体へ悪影響を及ぼすことも指摘された。この本のインパクトは自然界への有害な影響についての観察にとどまらない。野放図な技術革新が環境に及ぼす潜在的リスクについて、特に、収益を生む新商品に関して、産業界が安全であるとする主張は誤っており、それを無批判に受け容れる当局の姿勢に警鐘を鳴らした。この本を受けた市民の怒りは、当時のケネディ大統領を動かし、科学諮問委員会が本書の内容を調査した。その結果、内容の正しさが確認され、抜本的な政策が打ち出されることになった。そして、DDTの使用は次第に制限され、最終的に禁止された。1970年には強力な環境保護庁(EPA)が設置され、その後の10年間で環境規制を厳格化する法律が次々と制定されていった。
1952年のロンドンスモッグと『沈黙の春』という2つの出来事は、環境問題に対する社会的関心の高まりが、政策対応と法整備の主要な原動力であることを示した。英米両国とも、この2つの出来事の後に制定された法律が、初めての環境規制立法だったわけではない。イギリスでは1863年にアルカリ監督官が置かれ、産業公害が規制管理されるようになっていた。また、アメリカでは従来、汚染対策は連邦政府でなく各州の問題と考えられていたが、徐々に考え方が変わり、1955年にはロサンゼルスのスモッグや他の問題を受けて連邦大気汚染対策局(National Air Pollution Control Administration, NAPCA)が設置されている。それでもなお、英米で起きた2つの出来事は、環境の質が工場の安全性といった技術的問題にとどまらず、官民の別なく、消費やライフスタイルの核心であること、多少の不便を受け入れることを含め、広範囲に及ぶ公的・私的行為を変えていかなければならないことに、人々が気づく最初のきっかけとなったのは確かだ。
環境経済学は、トレードオフと選択について分析する方法を提供する。世論の強いプレッシャーを受けて、当時の政策立案者の意志決定が幾分安易になされただろうことは疑いない。今考えても、その政策対応は正当化されるものと思われる。だが、2つの出来事は、環境経済学が環境政策の選択肢について考えるのに役立つ見取り図を提供し、さらに、それほど単純でないと思われる根本的な問題の諸側面にも光を当ててくれる。
ロンドンスモッグを規制する対応では当初、家庭用暖房に石炭を使用することが制限された。一般家庭にとっては厳しい規制だったが、相応の金融支援策と相俟って、家庭では火入れ式の石炭ストーブから汚染の少ない形の暖房へ急速に移行した。しかし、長期的に、ロンドンをはじめとする主要都市の大気をクリーンな状態に維持するには、自動車や発電所、工場施設の排出規制を含むより広範かつ多様な対策が必要になる。こうした汚染削減対策は多額の費用を要するが、1950年代にスモッグで多くの人が犠牲になり、病気で苦しみ、社会に大きな混乱をもたらしたことを考えれば正当化されるだろう。現在ではロンドンの大気は1952年よりはるかにクリーンになった。粒子状物質汚染の水準は1950年代初めの100分の1まで下がった。しかし、費用をかけて汚染削減策を進めても、大気を完全に浄化することは不可能なのである。1991年12月には、またも気温逆転現象が起こり、道路交通からの安全基準を超過する汚染物の集中がピークとなる凍結スモッグが起こった。1952年ほどではないにしても、死亡率が上昇したのである。
こうした汚染現象が再発するリスクを完全に除去する方法はあるのだろうか? 排出規制を厳格化し、道路交通や民間の活動を広範に規制することが必要であるのは明らかだ。汚染リスクの上昇を軽減するために、どこまで対応するべきだろうか? 残存するリスクを除去することの便益は、そのために要する費用を正当化するだろうか? この種の問いが環境経済学の核心である。環境経済学は、こうしたトレードオフについて、また政策の費用対効果のバランスを分析するためのツールを提供するのである。
同じように、『沈黙の春』に対する政策対応は、農薬使用による環境被害のリスクを抑えるために、どこまで対応する必要があるかという問題を提起する。DDT散布による損害を軽減するための費用は、新しい形のペストコントロールに要する費用である。効果がなければ、農作物の生産は減少し、収入も減ることになる。自然環境破壊と健康被害を取り除く便益のために、どこまで費用負担をすることが必要なのだろうか? 残存するリスクや被害を軽減する観点でこれ以上の費用負担は正当化されないとストップをかける目安はどこになるのだろうか?
本書のテーマは、政策の視点から環境と経済の適切なバランスを考えることである。第2章では、どのような選択肢があるかを見ていく。一般的には、クリーンな環境にするためには費用が嵩む。環境の改善に費用をかけることを正当化する意思決定はどのようになされるのだろうか? これはゼロサムの問題ではなく、汚染規制を一段厳しくする利点と、そのために必要となる追加費用の比較考量となる。では、どこで線引きすればよいのだろうか?
第3章では、政府が汚染排出や環境破壊を規制するための政策ツールについて検討する。環境政策のほとんどは、環境を汚染する行為を禁止する立法(DDT使用の禁止など)と環境を改善する行動を強制する立法(火入れ式暖炉からクリーンな室内ストーブやヒーターへの移行など)から構成される。経済学者は、直接的かつ柔軟性を欠く規制では費用が高くなり過ぎ、柔軟な市場重視型の規制にする方が、より低い費用で環境改善を実現できるとする。第3章で後者のアプローチについて事例を見ていく。
第4章では、市場価格についてまわる費用対効果と同じように環境の便益を評価する方法を検討し、どのように環境改善と費用を比較考量できるかについて考える。価値づけられないものは無視され、あるいはその反対に、発生する費用に関係なく過大評価される危険がある。第4章は、環境経済学者が、環境政策を策定する上で、環境の質、生活の質、その他の重要な要素をどのように取り入れるかを見ていく。
第5章では、さまざまな議論をまとめ、現代社会が直面する重大な環境問題である世界的な気候変動について見ていく。世界的な気候変動を防止することの経済的問題とは何か? 防止策が現役世代、さらに将来世代に利益となるかをどのように評価することができるだろうか? どのような規模とスピードで防止策を実施することが妥当か? 最後に、具体的にどのような防止策を実施することが望ましいか? 特に、炭素税や排出量取引といった価格評価手法は、人々が低炭素を選択する方向へ舵を切る上で、どのような役割を果たすことができるだろうか? こうした問いについて考える。
【スティーヴン・スミス『環境経済学──『沈黙の春』から気候変動まで』(白水社)所収「第1章 経済と環境」より】