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障害学研究の現在と未来への課題を探求する

記事:明石書店

『障害学の展開――理論・経験・政治』(障害学会20周年記念事業実行委員会編、明石書店)
『障害学の展開――理論・経験・政治』(障害学会20周年記念事業実行委員会編、明石書店)

1.障害者を無力化する社会のあり方を問う「障害学」

 障害といえば、目が見えない人や、車いすを利用している人などを想定する人が多いかと思います。たしかに、そうした人々は「障害者」として捉えられ、種々の制度の対象に規定されます。しかし、こうした見方だけではない。こうした見方こそが障害のある人を無力化していく。このような考え方がイギリスやアメリカ、そして日本でも1970年代前後から、障害のある当事者を中心とした社会運動により展開されてきました。

In our view, it is society which disables physically impaired people.
(私たちの考えでは、身体に障害のある人を無力化するのは社会なのである。)

 これは、イギリスの障害当事者団体である、隔離に反対する身体障害者連盟 Union of the Physically Impaired Against Segregation (UPIAS)が1976年に発表した「障害の基本原理」からの一文(p.14)です。UPIASは「障害」を機能障害(インペアメントimpairment)と、社会的障壁により障害者が被る不利益(ディスアビリティdisability)に区分します。ディスアビリティとは、インペアメントのある人々のことを「ほとんど考慮しない現代の社会組織によって引き起こされる不利益や制約」(p.14)のことであり、ディスアビリティの除去を目指す運動が障害当事者を中心に展開されてきました。

 こうした社会運動の影響を受け進められてきたのが障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)であり、ディスアビリティの経験に焦点化し障害を捉える社会モデルを提示してきました。

2.日本における障害学研究のはじまり

 日本では1970年代より、脳性麻痺者による「青い芝の会」という障害者団体が、障害者差別を糾弾する運動を展開してきました。ほかにも入所施設の運営を障害当事者の立場から糾弾した闘争や、養護学校ではなく普通校で障害のある子とない子が共に学ぶことを目指す就学運動などが展開されてきました。こうした運動は、障害者差別の状況を明るみに出すとともに、障害者が街に出る――親元や施設を離れ、介助者を得ながら地域社会で暮らす――ことへとつながっていきました。

 こうした動向を背景に、いくつもの研究が展開されてきました。代表として挙げられるのが、1990年に藤原書店より刊行された、安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也による『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』です。そして、英語圏のディスアビリティ・スタディーズが日本にも紹介されていきます。長瀬修は現代書館が刊行する雑誌『福祉労働』で1995年に障害学を紹介するとともに、「障害学」という言葉を世に出します。

 その後1999年に、日本で初めて「障害学」を銘打つ書籍『障害学への招待――社会・文化・ディスアビリティ』(明石書店)が、石川准・長瀬修により編まれ、2003年に障害学会が創設されました。

3.『障害学の展開――理論・経験・政治』の構成

 前置きが長くなりました。ここで紹介する『障害学の展開――理論・経験・政治』は、障害学会創設20年記念として刊行されました。本書は3部構成(理論、経験、政治)をとり、24名の障害学会会員による論文と、2023年7月に逝去された立岩真也氏の論文の再録を掲載しています。

 理論・経験・政治の各部は関連しあっています。第1部「障害の理論と研究」では、障害学の理論・研究として、反優生と障害学、イギリスやアメリカでの障害学の動向、2006年採択の障害者権利条約に関係する国連での障害概念の議論を紹介し論じるほか、正義論と障害、インターセクショナリティ、ろう者学についての論考を掲載しています。第2部「障害の経験」では、障害学が障害の経験を礎に展開してきたことをふまえ、さまざまな種類の障害の経験とともに、障害のある女性の経験、障害者を家族にもつ/障害者がつくる家族の経験を取り上げています。第3部「障害の政治」は、障害当事者運動や障害学の知見がどのように政策に関与してきたのかという点を取り上げます。日本において障害当事者が国の障害者政策に関与していくようになる一つの契機は、2006年の障害者権利条約制定だと言えます。ただ、それ以前からも障害者が自らの望む暮らしを目指し、周囲の人や地方自治体に働きかけていく――そこで生じる対立に立ち向かったり調整したりする――政治を展開してきました。第3部ではその軌跡を論じています。

『障害学の展開―理論・経験・政治』目次
『障害学の展開―理論・経験・政治』目次

4.20年間の変化①――既存の障害学研究の批判的検討

 障害学会創設から現在までの20年間には障害を取り巻くいくつもの変化があり、それは『障害学の展開――理論・経験・政治』の構成と内容に影響を与えています。変化は大きく二つあると考えます。

 一つは、日本の障害学会創設当初の社会モデルについての理解が、より批判的に検討を重ねられるようになったことです。日本の障害学は、主にイギリス障害学の影響を受け、社会モデルに基づくディスアビリティの理解とその除去に向けた研究を重ねてきました。この方向性は、現在も大切です。しかし学問としての障害学が他の学問領域と相対する時、なにより「障害」だけでは捉えきれない、人の困難な経験に相対する時、これまでの知のありようはバージョンアップされていく必要があります。そこで用いられるのが、第1部や第2部で多く取り上げられるインターセクショナリティ(交差性)の概念です。障害者が被る社会的不利益は、ディスアビリティの観点からだけでなく、他の社会的カテゴリー――例えばジェンダーや年齢など――の点からも考えねばならない。本書第2章のタイトルに用いられた「障害から始まるが、障害では終わらない」は、批判的障害学を論じたダン・グッドレイの言葉です。これまでの障害学の議論を批判的に乗り越えようとする志向が高まっています。

5.20年間の変化②――障害者権利条約の制定

 もう一つの変化が、2006年に国連で採択された障害者権利条約です。障害者権利条約は、障害のない者との平等を基礎に、あらゆる領域での障害者の権利を定めた条約です。この条約の制定にあたっては複数の障害当事者が委員就任し、また複数の障害当事者団体が国連でのロビー活動を展開しました。

 障害者権利条約の思想と内容は、障害学研究および障害当事者運動を大きく動かしました。条約を批准すれば、国内法を条約に合わせて改定したり、新たに法を制定したりすることとなります。その成果が、障害者への不当な差別の禁止と合理的配慮の提供を義務とすることを定める障害者差別解消法です。

 このように、ディスアビリティ除去に向けた変化はたしかにあります。ただ、国際的な条約ができたために刷新的に日本での障害者施策が変化したわけではありません。まず、戦後より障害当事者による、さまざまな障害者差別に抗する運動がありました。こうした運動を土台として、日本の現在の障害者権利条約の時代があります。そして障害者権利条約が制定されても、それはゴールではなく、依然として取り組むべき研究上・実践上の課題があります。第3部「障害の政治」では、日本の障害者の政治を、時代を追って捉えつつ、現在的な課題について論じています。

6.日本の障害学のさらなる展開のために

 障害学会創設から20年。この20年の変化をもとに本書をあらわすなら、「障害についての批判的分析と改革へのアクションのための書」であると考えています。本書を通して障害学を知っていただければ嬉しいですし、日本における障害学研究の20年の歩みと現在、そして未来への課題を読み取っていただけると幸いです。障害学が取り組むべき課題は山積みです。それらの課題を、障害学会の場でともに考えていくことを、障害学会は願っています。

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