西洋美術を読み解くためのパーフェクト・ガイド ――『キリスト教美術シンボル事典』より
記事:筑摩書房
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シチリア島の童貞聖女殉教者.真実性のすこぶる乏しい殉教伝説によれば,キリスト教の信仰を捨てなかったために,乳房(breasts*)の切断を含む数多くの拷問を受けたといわれている.最後は,それらの苦難がもとで死を迎えた.
聖アガタ崇拝はイタリアやその他の地域で広まった.またマルタ島の守護聖人でもある.しかし,イングランドで同聖女名を冠した古い教会は4つしかない.地震,火山噴火,火事(⇨veil)などから帰依者を守護する聖女と信じられていたので,燃える建物を持つアガタ像が描かれることがある.
動物は多くの隠修士伝説で重要な役割を演じている(⇨Giles, St*).野生動物が隠修士たちと接すると,動物たちから獰猛性や恐怖感が消失してゆき,これが隠修士の聖者たる証しとなる.たとえば,獣たちが聖ブラシウス(Blaise, St*)のお供をする姿は,ブラシウスのいやしの業が人間の病人だけにとどまらず動物にまで及ぶことを想起させる.
動物は,特に中世のケルト聖人伝説で顕著である.たとえば,5 世紀のアイルランドの聖人,ゴブネット(Gobnet)は熟練した養蜂家だった.クロンマクノイズのキアラン(Ciaran[Kiaran] of Clonmacnoise)と6 世紀初頭のアイルランドの聖人,ブリギッド(Bridget of Ireland, St*)はウシを飼っていた.5 世紀あるいは6 世紀のアイルランドの長老,セアーのキアラン(Ciaran of Saighir)が修道士たちとともに小屋を建てるとき,野生動物が彼らの手伝いをしたという.7 世紀のスコットランド人,ロナン(Ronan)は,クジラによってノース・ロナ島へ運ばれた.年代不詳のコーンウォールの聖人,グウィニア(Gwinear)は,自分自身だけでなくウマとイヌの飲み水を確保するために地下の泉を掘り当てた.年代不詳で後にブルターニュの司教となったコランタン(Corentin)は,魚(fish*)から食べ物を与えられた.6 世紀のブルターニュの聖人で盲目の大修道院長,エルヴェ(Hervé)はオオカミに助けられた.
聖書の場面では,エデンの園で動物が重要な役割を果たしている.神による動物の創造(『創世記』1, 24-25)とアダムによる動物の命名(『創世記』2, 19)は,「天地創造」と「人間の堕落」を描いた中世の絵画群の標準的な構成要素である.異なった種の間の調和,捕食動物と被捕食動物との間の調和は,堕落以前のエデンにおける至福の状態を物語るものである.ノアの箱船(Ark, Noah’s*)への動物の乗船も,中世の芸術家が好んで取りあげた画題である.⇨deer, sheep, stag.
砂漠で神がモーセの前に現われ,エジプトのイスラエル人を奴隷の身から救出するための指導者としたときに,モーセが見たしるし(『出エジプト記』3).「火に燃えているのに……燃えつきない」(『出エジプト』3, 2)柴は,初期キリスト教時代から,神の子を宿す聖母マリアの体に類似しているとして寓意的に解釈された.したがって燃える柴と並んで,エバを誘惑するためにヘビが身を潜めたエデンの園(Garden of Eden*)の善悪の知識の木を描く場合がある.善悪の知識の木が人間の堕落(Fall of Man*)をもたらしたように,燃える柴に予表された聖母マリアが人類の救済を可能にしたからである.そのような配置を試みた作例としては,グロスターシャー,フェアフォードのセント・メアリー教会を飾る15世紀後期の窓装飾がある.
殉教者.兵士,射手,鉄工,武具師のような軍事関係の仕事に携わる人々の守護聖人.ゲオルギウスの周辺では早い時期から伝説がつぎつぎと生まれていた.このような架空の経歴の中核となった物語によると,キリスト教徒を迫害したディオクレティアヌス帝の時代に,拷問されたのち斬首刑に処されたパレスティナの兵士であったともいわれている.現在のイスラエルのロド,かつてのリッダには同聖人のものといわれる墓があった.6 世紀初頭にいやしの奇跡が起こってから墓は一躍有名になり,聖ゲオルギウス崇拝の中心地となった.
その生涯に真偽のほどが疑わしい事実があるにもかかわらず,ゲオルギウスは東西両世界で崇敬されている.東方正教会では「偉大なる殉教者」という敬称を持つ.ゲオルギウスという名前は,「大地を耕す者」つまり「農夫」を意味するギリシア語のゲオルゴス(georgos)に由来するといわれている.このゲオルギウスとゲオルゴスの地口から,ゲオルギウスは農耕暦において農夫の守護聖人となった.ギリシアでは,かつて聖ゲオルギウスの日(西欧と同じく4 月23 日)に農業労働者の雇用契約が履行されたという.今でも羊飼いの守護聖人と考えられている.
聖ゲオルギウスが竜を退治して王女を救出する武勇伝は,後世になって伝説に付け足されたもので,武勇伝が人気を博するのは13 世紀以降にすぎない.その物語には,ペルセウスとアンドロメダの異教神話と酷似した点があり,聖テオドロス(Theodore, St*)の伝説を継承した可能性もある.西欧の芸術家の想像力を搔き立てるのはまさにこの武勇伝であり,鎧で完全武装し,ウマの背にまたがった騎士姿のゲオルギウス像が描かれた.聖人の身元を示すため,盾には白地に赤十字の記章を施すのが一般的である.聖ゲオルギウスの竜退治の場面は,悪魔に勝利する大天使ミカエル(Michael*)の場面と酷似しているが,上述した盾の模様と,天使の翼の有無で両者を区別することができる.伝統的にゲオルギウスのウマは白馬であることが多い.これは,『ヨハネの黙示録』(6, 2)の「見よ,白い馬が……勝利の上にさらに勝利を得ようと出て行った」という一節が殉教者にも当てはまるとする解釈に従ったものである.
東方教会のイコンでは,まさに戦士聖人のいでたちのゲオルギウスが描かれる.ローマ兵士かビザンティン兵士に特徴的な鎧をまとい,ウマに乗る場合もあるし,乗らない場合もある.ときとしてウマの後部に小さな人物が腰かけることがある.それは同聖人が解放した奴隷の少年を表わす.少年がカップを手にするのは,主人にワインの給仕をしているときに救出されたからである.聖人の乗る白馬によって,ゲオルギウスとデメトリオス(Demetrius, St*)を区別することができる.後者のウマは,概してこげ茶色か栗毛色である.竜を退治する聖ゲオルギウスを題材としたイコンは,15 世紀のクレタ島の芸術家が得意とするジャンルとなり,その後2 世紀にわたって人気が衰えなかった.しかし,血腥い戦闘用の鎧は,天上の聖人を表現する聖障(イコノスタシス)には不釣り合いなことから,教会の聖像画では一般市民の衣装,すなわち殉教者の赤い衣服かチュニカをまとうゲオルギウスが描かれる.
中世では騎士道と騎手の守護聖人として崇敬されたため,聖ゲオルギウスの重要性はさらに増した.その意味で,ゲオルギウスの竜退治の物語には,武勇と女性の守護という一対の騎士道的理想の縮図を見ることができる.少なくとも7 世紀には,聖ゲオルギウスの名は西欧に知れ渡っていたことだろう.〔以下略〕
永遠の生命に至る復活のシンボル.特に聖母や聖母子を描いた絵画に見られる.たとえば,ボッティチェッリの「マニフィカトの聖母」(フィレンツェ,ウフィツィ)では,幼子キリストの左手により正式な球体(globe*)にかわり,ザクロが握られる.聖母もザクロに手で触れ,贖罪の業への関与を表わす.
中世のキリスト教の著述家も,内部に多くの種子をつけるザクロが,多くの教会の信徒を象徴するものと解釈した.
磔刑の3 日後にキリストが死から蘇ること.復活祭はキリスト教のもっとも重要な祝祭であるが,美術上の取り扱いは東西で大きく異なる.
復活を題材にした西欧の美術作品では,実際にキリストが墓から蘇る瞬間を描く伝統がある.脇腹の聖痕や茨の冠などのキリストの受難を示すシンボルが描かれる場合もあるが,手には復活の勝利を示す旗(banner*)あるいは十字架,そして三角旗を持つ.もう片方の手は上にあげて祝福を与える.イエスの墓は石棺で,蓋は開いて脇に置かれる.福音書の物語にあるような岩をくりぬいた墓ではない.墓の周囲では,ローマ兵士の服装か,当時の鎧を着用した衛兵が仮眠を取る.西欧で復活を取り上げた古典的作例としては,イタリアの画家,ピエロ・デッラ・フランチェスカ作の15 世紀後期のフレスコ画(イタリア中部,サンセポルクロ)がある.
復活を描いた中世イングランドの作品では,ノッティンガムのノッティンガム城博物館蔵の雪花石膏(アラバスター)パネル(1400 年頃-1430 年)のように,実際に眠る兵士の上に足を踏み出すキリストを描いたものもある.同時代の大陸の美術ではまず見られない作例で,復活を主題としたイングランド聖史劇の影響によるものかもしれない.
復活を題材とした東方の作品では,キリストの地獄への降下(⇨Harrowing of Hell)を描いたものが非常に多い.ちなみにギリシア語で復活を意味する「アナスタシス」(Anastasis*)は,キリスト自身の復活とキリストによる死者の復活の両方を指す.キリストの地獄への降下が,東方教会の一連の祝祭において復活祭と同義になったのはこのためである.キリストの本性を論じた学説が難解であったことや,墓の中で3 日間眠ったキリストに何が起こったのかについても論議が巻き起こったため,アナスタシスの場面でさえ定着するにはかなりの時の経過を必要とした.ごく初期のキリスト教美術では,キリストではなく,墓を訪れた3 人のマリア(ThreeMarys*)によって復活が表現された.フルナのディオニュシオスは『画家の手引き』(1730 年-1734 年)で復活の描写法を解説しているが,実際にキリストが墓から蘇る場面は比較的新しい作品の部類に入り,東方正教会の美術ではあまり見られない.死者の復活に関しては,⇨Last Judgement.