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主役と敵役のせめぎ合い 『経済学の思考軸――効率か公平かのジレンマ』に寄せて

記事:筑摩書房

経済学に登場する主役と敵役、「公平性」と「効率性」
経済学に登場する主役と敵役、「公平性」と「効率性」

 東京・丸の内の帝国劇場が、老朽化による建て替えのために2025年2月に休館する。それまでの1年間、帝劇を彩ってきた名作ミュージカルが上演されている。そのクロージング・ラインナップの最後を飾るのが「レ・ミゼラブル」(略称「レミゼ」)だ。原作は言わずと知れたヴィクトル・ユーゴー、製作はキャメロン・マッキントッシュ、作曲はクロード=ミシェル・シェーンベルク。舞台を観たことはないけれど、シェーンベルクが手掛けた数々のミュージカル・ナンバーはどこかで耳にしたことはある、という読者も多いのではないか。

 この「レミゼ」を観ていて筆者がつねに感心するのは、主役と敵役という2人の役者の緊張関係だ。主役は、1本のパンを盗んだことをきっかけに19年間もの監獄生活を送った後、深い人間愛に目覚めるものの、さらに脱獄して逃亡するジャン・ヴァルジャン。そして、彼を執拗に追う、社会正義の塊のような警部ジャベールが敵役。

対立する概念や命題を互いに戦わせ、理解し、より高次なものに

 どちらか一方が善、他方が悪という単純な構図にはなっていない。複雑に絡み合いながら、「愛とは何か」「正義とは何か」を観客に考えさせる主役・敵役は、ともに魅力的だ。世界中で多くの人々に愛され、各国で何度も上演されてきた作品であることも、納得できる。

 この作品を観て気づくことは、西洋で生まれた芸術や学問は、2つの対立する概念や命題を互いに絡ませ、戦わせ、互いを深く理解するという課程を踏んで、より高次なものに到達するという構造になっているという点である。経済学も、西洋で生まれた学問だ。同じような構造になっている。

 筆者が大学生の頃は、「専門課程に進む前にはヘーゲルやマルクスを読んでおかないと」という気風が残っていた。そこで必ず目にするのが、正・反・合という「弁証法」のアプローチだ。ある判断(正)と、それに対立・矛盾する他の判断(反)とが、いちだんと高度な総合的な判断(合)に統合される。その過程が「止揚」(aufheben)である。「なつかしいなあ。久しぶりに聞いた言葉だ」と昔を思い出した、シニアの読者も少なくないだろう。

 弁証法なんて難しい訳語だが、ドイツ語でDialektik、英語でdialectic。何のことはない、「対話」dialogueの親戚みたいな言葉だ。異なる意見や考え方を持つ者が議論し、より高次な段階に進む。無意識であるにせよ、私たちが日常生活の中で普通に行っていることである。

「効率性」と「公平性」という2人の役者の舞台

 経済学にも主役と敵役が登場する。限られた資源をどのように効率的に配分するかという「効率性」。そして、世の中の不平等や格差を縮小するにはどうしたらよいかという「公平性」。この2つの見方がそれだ。その両者のせめぎ合いを明確に打ち出すことを狙ったのがこの『経済学の思考軸』という本だ。

 「レミゼ」を例にすると、どちらかと言えば、公平性が主人公のジャン・ヴァルジャン、効率性が敵役のジャベールに近いような印象がある。しかし、どちらか一方だけでは、「レミゼ」は平板でつまらない舞台になってしまう。状況は、経済論議でも同じだ。デフレ克服策や成長戦略は重要なテーマだが、それだけで終わると抜け落ちる論点は山のようにある。同様に、社会福祉を充実させ、困っている人を支援することには誰もが賛成するが、経済に余計な負担がかかると困る。両方を同時に考え、苦しまなければならない。

 経済学は、「効率性」と「公平性」という2人の役者が丁々発止の演技をする舞台である。どんな演出をしているか、装置はどうなっているか、音楽、照明にはどんな工夫がされているか。本書の内容は、経済学のいわば〝バックステージ・ツアー〟のようなものだと受け止めていただければと思う。

小塩隆士『経済学の思考軸』(ちくま新書)
小塩隆士『経済学の思考軸』(ちくま新書)

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