政治に翻弄されてきたオリンピックの「激動の歴史」を知る――『国際情勢でたどるオリンピック史』
記事:平凡社
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オリンピックは衛星中継によって世界中で数十億人が観戦して一喜一憂する、サッカー・ワールドカップ(W杯)と並ぶ最大級の世界的スポーツ・イベントだ。近代オリンピックが1896年に始まってから120年以上経った2021年夏には、新型コロナウイルス感染症が大流行していたにもかかわらず、東京で2回目となるオリンピックが挙行された。
そのオリンピックは戦争によって何度も中止に追い込まれたり、政治的理由により参加をボイコットする国が続出したり、陰惨な政治目的のテロの舞台となった。国際情勢の激動のあおりをもろに受けてきた。しかし、それでもオリンピックの輝きは失せていない。
世界最高レベルの運動能力の発現や演技に加えて、自国の選手の活躍や獲得メダル数の競争で喚起される「プチ・ナショナリズム」の側面もあるが、それだけが魅力の源泉ではないだろう。スポーツの国際交流による世界平和の実現を目指す場として、これまで大きな役割を果たしてきたことは否定できない。
オリンピック会場、特に陸上競技が行われるメイン・スタジアムには独特の雰囲気がある。開会式の国別選手団の入場行進に始まり、トラック・アンド・フィールドでの熱戦を経て、競技を終え、解放感と安堵に満ちた各国選手が入り乱れる閉会式。ほかの国際スポーツ大会では、まず見られない情景だ。この背景には近代オリンピックの理念と長い歴史がある。
「近代オリンピックの父」と呼ばれるフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵が創立した国際オリンピック委員会(IOC)は国際機関としては最古参の一つで、120年過ぎた今も、クーベルタンの唱えた国際交流を通じた平和の実現という理念を堅持しており、オリンピック運動の土台を支える強靭な組織だ。第一次世界大戦が終わってから設立されたが、その後第二次世界大戦の勃発を防げず、消滅した国際連盟とは好対照だ。
クーベルタンはもともとフランスにおける青少年の教育手段として体育を重視していた。彼は「フランスのみならず世界の青少年の相互理解と国際親善をスポーツを通じてできないかと考えるに至った」のである。古代オリンピックの復興=近代オリンピックの立ち上げに至る原点である。
古代オリンピックもそうであったが、近代オリンピックは当初から政治の影響を色濃く受けていた。一方、オリンピックが政治に影響を及ぼしたことも何度かある。前者の例としては1936年のベルリン・オリンピックが挙げられよう。より正確には、ヒトラーがオリンピックを政治目的に利用したのだ。後者の例は、1976年のモントリオール・オリンピックだろう。南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)に反対して、多くのアフリカ諸国がボイコットしたことがきっかけで、世界的にアパルトヘイト反対の機運が盛り上がった。
また、冷戦下にあった1980年のモスクワ・オリンピックと1984年のロサンゼルス・オリンピックでは米ソのボイコット合戦があり、むき出しのナショナリズムが見られた。「片翼飛行」のオリンピックが続いたのだ。1972年のミュンヘン・オリンピックでは血塗られたテロによる「政治的主張」がなされ、大会期間中には一時、競技が中断された。
オリンピックは平和、緊張緩和の実現に向けた格好の舞台を提供したこともある。2018年2月に韓国・平昌で開かれた冬季大会がその一例だ。韓国と北朝鮮の和解プロセスを促進するための場となった。その後、南北朝鮮、米朝の首脳会談が行われ、朝鮮半島情勢は予断は許さぬものの緊張緩和の方向に一時的に向かった。
韓国/北朝鮮は最近の例だが、オリンピックは合同選手団の結成などを通じて東西ドイツの分断状態の解消に向けて一役果たしたこともある。両独が統一されたのは1990年10月のことだ。
また、オリンピックは経済復興・発展のてことしても作用した。1964年の東京大会、1988年のソウル大会、2008年の北京大会にはそうした側面があった。近代オリンピックが巨大化するにつれて、国家や開催都市では開催費用を賄いきれなくなり、コマーシャリズムがはびこるようになった。1976年のモントリオール大会が大赤字となった反省を踏まえて、1984年のロサンゼルス大会から民間の資金の導入が積極的に進められるようになった。テレビ放映権料やスポンサー収入への依存が強まったのだ。
さらに「勝利至上主義」が蔓延するようになり、多くの選手は是が非でも勝つためにドーピングに手を出すようになった。特にソ連とその後継国家ロシアは国家ぐるみでドーピングを行ってきたと疑われている。
オリンピックは様々な問題をはらみながらも、巨大化の一途をたどり、「観衆スポーツ」の底知れない魔力もあり、それと絡み合って人々を惹きつけてやまない。そして国際情勢の動きに影響を受けるだけでなく、国際政治の一つの有力な「アクター」「プレーヤー」となった側面もある。
本書は、国際情勢に翻弄されるとともに、国際情勢を動かす一因ともなるオリンピック運動を様々な切り口から大まかな通史として提示することを目指したものだ。どこまでその意図が達成できたかについては心もとないが、これから開催されるオリンピックをより深く理解するための手助けとして、目を通していただければ幸いである。
第一章 古代オリンピックはなぜ消滅したか
第二章 クーベルタンの苦悩
第三章 戦争による中断
第四章 ナチスの祭典――ベルリン・オリンピック
第五章 幻の東京オリンピック
第六章 アジアで初開催の一九六四年東京オリンピック
第七章 人種差別とテロの悲劇
第八章 冷戦下のボイコット合戦
第九章 分断国家の悲劇
第一〇章 新興国への道――ソウル、北京、ソチ、リオデジャネイロ
第一一章 二〇二一年東京オリンピック
第一二章 二〇二四年パリ・オリンピック