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「フェミニズムは希望だ」、人と関わることを諦めない私たちにあるのは未来だ

記事:明石書店

『性差別を克服する実践のコミュニティ』(矢内琴江 著、明石書店)
『性差別を克服する実践のコミュニティ』(矢内琴江 著、明石書店)

他人との連帯は可能か

 矢内琴江先生による『性差別を克服する実践のコミュニティ』。担当編集である私は、この本の原稿を読んだ時、絶望に苛まれていた。男社会、男性が構築するこの社会で生きるしんどさに苛まれていた。

 男性とは、もちろん連帯できない。でも女性同士だって連帯できないことも多い。そして社会では対立ばかりが増えていっている。無理だと感じた相手と関わる必要はない。でもじゃあこの社会が行きつく先は、どんな状態になるんだろう。そんなことを感じていた。

 

 そして矢内先生も、似たような思いを持っていたようだ。まえがきに、こんな文章がある。

考えるほどに溢れてくる怒りや、胸のうちにたまるモヤモヤを、私は誰と分かち合ったらよいか分からなかった。だから自分1人で考えようとしたし、「きっと分かってくれない」と、誰かと考え合うことは、はなから諦めていた。

 そして、そのうえで、こう続ける。

でも、それでは何も解決しないことは分かっていた。本当に性差別の問題を解決したいのならば、自分を他者から切り離すことはできない。性差別は私と他者の関係性の間にある問題なのだ。

 そうなのだ。わかっている。「共同生活を営む人間の集団」が「社会」なのだから、そのなかで生きるのなら、問題は1人で居たって解決しない。人と関わって、話して、考えて、行動していくしかない。

 しかし人とコミュニケーションを取るなかで、人はわかり合えないという主張や、わかり合えると思っている人をバカにするような言説を目にすることは少なくない。わかり合う努力をするよりも、“言い負かしたい” “論破したい”と考える人も多い。

 でも、それがすべてではないのだ。カナダのケベックで起こった連帯には、希望がある。

性別、世代、信仰を超えた連帯は、可能だ

 『性差別を克服する実践のコミュニティ』の第Ⅰ部では、モントリオールにあるフェミニストギャラリーの「ラサントラル」の歴史や実践が紹介・分析される。ラサントラルのギャラリーメンバーたちは、世代、セクシャリティ、性自認などが異なる人びとと協働し、試行錯誤し、時には批判を受け、改善し、活動を続けてきた。様々に異なる立場の女性たちによる連帯の記録からは、被抑圧者/抑圧者の両面を持つ自分を見つめ直すことができる。

 そして、私がとにかく希望を感じたのは、第Ⅱ部である。

 連帯を諦めたくないとはいえ、さすがに大枠で目指すものは同じ方向でないと無理ではないかと思っている。しかし、モントリオールにあった民衆団体CQCの実践のなかでは、カトリック教会の関係者、民衆運動の関係者、そして先住民族の女性たちが歩み寄ったのである。

 カトリック教会といえば、中絶の権利を認めないなど、女性に対して抑圧的な立場を取ってきた。カトリック教会とフェミニズムは水と油レベルで相容れないように思えるが、そうではないこともあるようだ。

 また、現代であってもカトリック教会による性差別は根強い一方で、文化において長い歴史と影響力を持つカトリック教会を完全否定することは乱暴だろう。「カトリック教会がケベック社会に生きる人びとの暮らしや精神性にとって重要な意味を持つことには変わりない」という点も明言されており、社会を考えるうえで役に立つ。

 さらに、先住民族女性への抑圧には植民地支配の影響があり、西洋中心主義的な自由主義の男女同権論に基づくフェミニズムへの批判は、日本の読者にとっても学ぶところが多いはずだ。

 家族でも友人でも、クラスメイトでも同僚でも、人と関わることに疲れている人は多いだろう。でも、本書に記された人びとの関わりの記録を読むと、人間・社会では、やっぱり人びとの交流から生まれるものは大きいのだと、再認識させられる。

 フェミニズムと出会った矢内先生は、「私は世界との関係を取り結び直すことができ、怒りを「しゃべる場所がないなら作ればいい!」という閃きに転換することができた。フェミニズムは希望だ」と語る。

 フェミニズムを知ることで、逆につらくなることもある。だって社会への解像度が上がるのだから。1人ではどうにもできない社会構造的問題まで見えるようになったり、それによって親しかった友人や彼氏、夫、パートナーに幻滅することになったりしたら、誰だって悲しみは感じるだろう。でも、無視していた自分の違和感を言語化できて、それによって別の誰かと繋がっていけることは、やっぱり希望だ。

 フェミニストだということは、差別された経験がある、被害の経験がある、怒りがある、絶望がある。そういうことだと思う。でもみんなで、希望を失わずに生きようね。じゃないと、この社会はあまりにしんどすぎる。私たちはみんな、小さな希望を大切に、人と関わり、言葉を紡ぎ、ここまできた。そう簡単には死ねないし、だったらそうやって私たちは生きていける。生きるためには、希望が必要だ。そしてこの本は、誰かの希望になりえる。

文:柳澤友加里(明石書店)

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