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「日本に一番近いインド」を知る――三砂ちづるさんが読む『インド北東部を知るための45章』

記事:明石書店

『インド北東部を知るための45章』(笠井亮平、木村真希子編著、明石書店)
『インド北東部を知るための45章』(笠井亮平、木村真希子編著、明石書店)

永遠の憧れ、行かずに心を寄せたインド

 アカデミアにいた30年、国際保健という、今でいうグローバルサウスの国々での保健医療を専門としていたので、仕事で赴いた国は30を越える。インドに行ったことはない。いや、それは正しくない。1980年代半ば、ザンビアでの仕事の帰り、エア・インディアに乗ってアフリカ大陸からボンベイ(現在はムンバイ)まで飛び、一泊している。いわゆるトランジットで、当時は航空会社がトランジットのホテルを用意してくれたものだった。アフリカから飛んできた身には、その人の多さと道の喧騒に驚いたことだけ覚えている。その後も、それより前も、インドに行かなかった。直感で、インドに行ったら出口がない、と思っていたからである。インドに行ったら、おそらくインドに耽溺し、日本に帰ろうとしないであろう。だから、子どもを育てるとか、やらなければならない仕事がある、とか、世話をする人がいる、学生の卒論を指導しなければならない、とか人生のコミットメントが日本で待っているような時期に、インドに行ってはならない、行ったらおそらくは(幸せに)インドに埋没してしまい、日本に帰るまい。インドに行ったら、多大な人たちに迷惑をかけたはずである。インドに行かなくても迷惑かけてもいたのだが、それはともかく。歳60代半ばとなったが、インドに行ったことがない。永遠の憧れの地であり続けるか。来世の課題となるか。そうこうしているうちに、インドは2023年に世界人口一位の国となり、世界五位の経済大国となった。もともと大変存在感のある国であったが、今や揺るぎない世界の大国である。

インド北東部の多様性:文化と歴史の交差点

 『インド北東部を知るための45章』が取り上げるインド北東部は、ブータン、中国、ミャンマー、バングラデシュに国境線の98%を囲まれ、インド“本体”とはわずか幅20kmの“鶏の首”と称される回廊でつながっている地域である。インドと聞いて誰もがイメージする地図の右側のあたりに、飛地ではないものの、あたかも飛地のようにひらりと存在している。編者のひとり、笠井亮平によるあとがきにあるように、「日本から一番近いインド」である。インド総人口の4%に満たない人々が住む。

 アルナーチャル・プラデーシュ州、アッサム州、マニプル州、メガラヤ州、ナガランド州、ミゾラム州、シッキム州、トリプラ州の8州。おそらくアッサム州以外、聞いたことある地名はほとんどあるまい、ともうひとりの編者、木村真希子は書く。実際、インド独立当時、現在のインド北東部と呼ばれる地域はほぼアッサム州を指した。トリプラ州、マニプル州は独立前からの藩王国としての行政単位を残したが他の地域はアッサム州が管轄、山岳地にあるナガランド州、メガラヤ州、ミゾラム州、アルナーチャル・プラデーシュ州は1987年に独立した州となる。2001年にはシッキム州が公式に北東部の一部になった。

インド北東部の地図
インド北東部の地図

 それぞれの州もまたその州内でも、文中に表されるように「多様性の宇宙」であるのが、このインド北東部であり、とても一言で表現できない。本の冒頭、1944年にアッサム州提督のロバート・レイドは、この地域の人々の共通しているのはただ、一点のみ、すなわち、「この地域の人々が人種的、歴史的、文化的、言語学的に、これらの人々は平地の人々や、インド本土の人々と親和性を持たない」ことだと述べている。結果としてこれらの地域のありようは、そもそも親和性を持たないインドという国家とどのように付き合っていくのか、の模索の歴史であったといえよう。それぞれの州の規模も、成り立ちも異なり、インドとの付き合い方も異なる。時代によって、自治独立をめぐる武装化闘争が頻発した時期もあったが、それが全てというわけではない、と木村は語るのだ。彼らの言語、宗教、文化的独自性を踏まえながら、インド本土との関係はどのようになっていくのか。政府の思惑で現在の形になっているものの、今後は国境での関係も踏まえ、変化することもありそうだという。文化的、民族的な、きら星のような多様性こそがこの地域の魅力だといえるのだが、だからこそ、インド本土との関係や統治形態において合意に至る困難さは容易に想像できる。

 ページを繰るたびに、いかに世界は知らないことで満ちているのか、という新たな驚きと、喜びに包まれる。アッサム州の中部、ブラフマプトラ川の中流にマジュリ島と呼ばれる世界最大のリバーアイランド、すなわち中州があり、そこに17万人の人と多様な動植物が住み、宗教組織「サットラ」と「ムカ」という仮面で知られているのだそうだ。知られている、なんていうことも知らない。17万人の住む中州ってどんなところなんだろう。しかも川の氾濫に伴う島の侵食で住まう人はどんどん少なくなっているという。

ブラフマプトラ川下流の中州(撮影:木村真希子)
ブラフマプトラ川下流の中州(撮影:木村真希子)

 ナガランド州ナガの人々は、「リ」という合唱をする。ナガランド州ペク県を中心に居住する「チャケサン・ナガ」の民謡で、南アジアの音楽文化では極めて稀なポリフォニー(多声的合唱)で歌われる。二部合唱から最大では混成八部合唱で、女性は主に恋愛の歌、男性は戦いや村の英雄、友情についての歌が多いのだそうだ。「あまねき旋律」はこの「リ」を取り上げた映画だ。予告編を見るだけで、その歌声に圧倒される。労働しながら歌う、休息しながら歌う、一人が歌うと皆が歌う。人間は、こういう存在であり得るのだ。

辺境から世界を見つめる:インド北東部とブラジル北東部の共鳴

 それにしても、北東部。東北、北東、というところはなぜいつも辺境なのだろう。サンパウロ、リオデジャネイロなど、世界に知られる都市のある南西部から3000キロ離れるブラジル北東部(ノルデステ、と呼ばれる)セアラ州フォルタレザで、私は10年を過ごした。帰国後、ブラジルの人と会う機会があって、ブラジルにいたのよ、10年、というと、どこにいたの、と聞かれる。セアラにいたのよ、というと、みんな心底びっくりした顔で、セアラ!フォルタレザ!と天を仰ぐのである。南米大陸のちょうど右肩、大西洋に面する赤道の周辺の海岸部から、延々と続くセルタンと呼ばれる乾いた後背地が続く。19世紀末、ブラジルが近代的な共和国になろうとしている直前、ノルデステのセルタンに現れた、アントニオ・コンセイレイロと呼ばれる“救世主”のもとに集った農民の共同体「カヌードス」は、政府軍と最後まで戦い、2万5000人に及ぶカヌードスの関係者は全員壊滅した。共和国となったブラジルにおいても、美しい自然、豊かな文化、人情あふれる地、で知られる北東部ノルデステは何度も旱魃に見舞われ、数しれぬノルデステの人たちは、豊かな南西部に出稼ぎに向かい、娘たちの身売りもまた、珍しいことではなかった。『インド北東部を知るための45章』を読みながら、相似象のように浮かんだのはブラジル北東部のことだった。東北、北東、の持つ辺境感からは、日本も免れない。民俗学者、赤坂憲雄氏は、日本で「東北学」を立ち上げ、雑誌も出しておられたが、世界の「東北学」、「北東学」が立ち上げられるのではないか、と思ってしまう。

 辺境から見ると、世界がよく見える。世界で存在感を増すインドの、辺境中の辺境。編者のもと、馳せ参じた30名以上の著者のリストは、このインド北東部という、意識としては日本から最も遠い、しかし距離としては日本から最も近いインドに、興味関心を抱き、心を寄せ、人生の多くの部分をさき、人生の主要な部分をこの地域に捧げる人がいる、ということを示す。それは戦略的なものでもなく、トップダウンなものでもなく、純粋に個人的な興味関心と憧れと人的なつながりによるものだ。これこそが日本の地域研究の強みであり、また、これだけの強みを持つ地域研究が、この国にも育っているのである。読み終えれば、聞いたことのないはずだったこれらの8つの州の名前が、親しいものとなってくる。最も遠いところのことを知ることで、みずからがさらに深く照射され、視点の奥行きのひろがる喜びを感じてもらいたい。

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