多様性の中で起きる憎悪(ヘイト)にどう向き合うか――『アジア系アメリカを知るための53章』から見える世界
記事:明石書店
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アメリカ大統領選を通して、民主党候補のカマラ・ハリス副大統領の出自に注目が集まっている。彼女が当選したら、アメリカ合衆国(以下、アメリカ)で初の「女性」大統領が誕生するだけでなく、初の「アジア系」大統領が誕生するからだ。黒人女性であり、インド系ルーツをもつカマラ・ハリスは、異人種間の「ミックスルーツ」である。さらに7歳からシングルマザーに育てられ、伝統的黒人大学の名門ハワード大学を卒業した彼女は、カリフォルニア州検事としてキャリアを積み重ね、2010年に初の女性、初の黒人として同州の検事総長に就任し、2021年には初の黒人女性で、初のアジア系として副大統領に着任した。大統領選の演説に立つ彼女の姿は、まさにアメリカの「多様性」と「アメリカン・ドリーム」を体現する姿そのものであった。
このアメリカの政治を日本からみていると、多様性をめぐるアメリカ独特の政治にも気づく。それはインド系のルーツをもつカマラ・ハリス副大統領が、初の「インド系」といわれずに、初の「アジア系」と紹介されることである(日本語の記事では彼女を「南アジア系」と紹介する記事もあるがアメリカでは「アジア系」と紹介されることが多い)。なぜ「アジア系」が強調されるのであろうか。そして近年の「アジア系」をめぐる動きは、日本にいる私たちに何を示唆しているのであろうか。
カマラ・ハリス副大統領を紹介するときに使われる「アジア系(Asian)」というカテゴリーは、人種的カテゴリーとしての「アジア系アメリカ(Asian American)」のことをいう。アメリカ・センサス局の統計調査によれば、「アジア系」は2020年時点で2400万人存在し、総人口の約7.2%を構成する。ただし、センサス局の統計調査は留学生などの一時滞在者を含むため、厳密にはこの数字が「アジア系アメリカ人」と「アジア人」をあわせた数となるが、それでもこれらの統計調査から示されるのは、「アジア系」の人口がこの20年で約2倍に増え、アメリカで人口増加率が最も高い集団になったことである。さらにピュー・リサーチ・センターによれば、2060年には4600万人に達することが予想されている。これはアジア系の人口がさらに2倍膨らむことを示唆する。
「アジア系アメリカ人」には、もう一つの特徴がある。それは多様な背景をもった人たちによって構成される点にある。センサス局は、「アジア系」を極東アジアから東南アジア、インド亜大陸までの地理的範囲をルーツにする人としている(そのためセンサス局は西アジアを「アジア系」に含めていない)。この内訳をみていくと、中国系(24%)、インド系(21%)、フィリピン系(11%)、ベトナム系(10%)、コリア系(9%)、日系(7%)が上位を占め、これらの人びとだけでアジア系の85%を占める。しかし実際のアジア系は、20カ国以上の国と地域に及ぶ人たちによって構成され、ミックスレイスやインターマリッジの家族もいるため、その実像はさらなる多様性を含むものである。しかし一方で、家族編成や世帯収入、居住地域などをみていくと、エスニック集団によってその様相が異なるため、彼らの社会的経済的立場は「エスニック」によって条件づけられている面もみられる。そのためアイデンティティも、「アジア系アメリカ人」よりも、「中国系」や「インド系」などのエスニックな属性にもとづく帰属意識が強い場合もある。このように社会的立場も内面世界も大きく異なるのが「アジア系アメリカ人」の姿である。
しかしこれら人びとが一様に経験することがある。それが人種的偏見と差別である。アメリカの人種主義の中で「アジア系アメリカ人」は、「外国人」や「よそ者」という「まなざし」にさらされ、「英語が上手ですね」と言われる。何世代暮らそうとも、超一流といわれるような名門大学を卒業しようとも、アメリカン・ドリームを成し遂げようとも関係ない。
そのためアジア系アメリカ人の歴史は、差別と偏見との闘いでもある。アジア系アメリカ人のアメリカへの移住は19世紀から始まるが、アジア系の人びとはさまざまな呼称で呼ばれ、排除されてきた。こうした中、1960年代の公民権運動(市民権獲得運動)の高まりの中でアジア系の大学院生が訴えたのは、自分たちは「アジア系アメリカ人」であるということであった。つまり主流社会から名づけられてきた「オリエンタル」という呼称が、オリエンタリズムにもとづく外国人的イメージをもとにしたものであるため、こうしたイメージが繰り返し流布されることに対して異議を唱えたのである。そのためアメリカにおいて「アジア系アメリカ人」であると名乗ることは、それまで奪われてきた尊厳を回復し、自分たちの「声」を取り戻すという「抵抗」の意味がある。
こうした中で起きたのが、新型コロナウィルス蔓延によるパンデミックの渦中で起きたアジア系に対する憎悪(ヘイト)や攻撃(以下、アジアン・ヘイト)である。アジアン・ヘイトは、「国へ帰れ」といった暴言から、職場での差別、公共交通機関の乗車拒否、身体的暴力にまで及んだ。中国の武漢で新型ウィルスの集団感染が始まったことで、とりわけ中国人や中国系に対する暴力が横行し、2020年には当時のドナルド・トランプ大統領が「チャイナ・ウィルス」と発言したことでさらに激化した。またアジア系の高齢者や女性は暴力にさらされることが多く、2020年7月にニューヨークでは89歳のアジア系高齢女性が歩行中にライターで火をつけられる事件や、2021年3月にはジョージア州アトランタではアジア系女性6人が死亡する銃撃事件が発生するなど、痛ましい事件の被害者となった。
こうした中、アジア系アメリカ人が素早く取り組んだことがある。一つは、非営利団体「ストップAAPIヘイト(#STOP AAPI HATE)」を立ち上げ、アメリカ国内で起きている「暴力」を報告する仕組みをつくりだしたことである。結果的に、2020年3月から2年間で1万1000件に上るヘイト被害が報告され、アジアン・ヘイトによる熾烈な攻撃を「可視化」することを可能とした。もう一つは、ヘイトのターゲットとなるアジア系の人びとに対する精神的なケアに取り組んだことである。立ち上げ当初は実験的な試みであったものの、アジア系アメリカ人に「ケア」が必要であることを訴えることで、アジアン・ヘイトの「暴力性」に警笛を鳴らすものになった。
さらにアジア系アメリカ人は連帯を訴えた。アジア系アメリカ人がヘイトにさらされたのは、主流社会の歴史叙述や社会的言説が白人男性を中心に形づくられてきたため、アメリカの歴史や言説においてアジア系アメリカ人が「いない者」とされ、その身体に刻まれた社会的烙印(スティグマ)も、その実存も、不可視化されたためであると訴えた。そしてこのような暴力が再び起きないよう、同じように「不可視化された」マイノリティに連帯を求めたのである。
このような人びとの声をもとに、新たにバイデン政権となったアメリカ政府も2021年5月に「新型コロナウィルス憎悪犯罪法(COVID-19 Hate Crimes Act)」を成立させ、憎悪犯罪に対する取り組みを強化する姿勢を見せた。この時、副大統領に就任したカマラ・ハリスは「今こそすべてのアメリカ人がともに立ち上がらなければならない」と、同じ「アメリカ人」としてアジアン・ヘイトを容認してはならないと国民に訴えている。
こうして「アジア系アメリカ人」は、アメリカの多様性を象徴する存在であり、「ヘイト」や「暴力」に「NO」と言う人びとの声となった。そしてカマラ・ハリス副大統領は、こうした人びとの期待を一身に受け、「初のアジア系」として大統領選に臨んだのである。
日本にとっても「多様性」と「ヘイト」は他人事ではない。グローバル化が進む中、1990年代から国際化、多文化共生、ダイバーシティ&インクルージョンといった多様性を推進する政策が打ち出されてきたが、2000年代からは熾烈なヘイトも横行した。こうした中、2016年にヘイトスピーチ解消法が成立したものの、外国籍住民や外国ルーツの人をターゲットにしたヘイトは今日も続いている。このように多様性とヘイトが相克する中、私たちは「多様性」と「ヘイト」にどう向き合うことができるのであろうか。
これまで日本語で「アジア系アメリカ」を網羅的に解説した本は少なかった。しかし『アジア系アメリカを知るための53章』は、41人の専門家が53章にわたって「アジア系アメリカ」の歴史と現在を紹介している。アジア系アメリカの事例を知ると、人びとがヘイトと歴史的にどう向き合ってきたのか、そしてこれからどのように多様性をもとにした社会を築こうとしているのか、さらにそこでなぜ不可視化された人を可視化する必要があるのか、多くの示唆を与えてくれる。