なぜ「石」なのか? 日本列島における、石の文化・石造物の歴史をたどる―『日本石造文化事典』を読む―
記事:朝倉書店
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『日本石造文化事典』編集代表の浜田弘明先生は、序文の「刊行にあたって」で次のように書かれます。
石の文化は,土器が誕生する以前の旧石器時代から存在し,信仰対象のみならず,生活用具や土木・建築用材など幅広く展開し,人類の歴史にとって欠くことのできない存在となってきた.しかしながら,これまでの日本文化研究においては,木の文化や紙の文化が強調されることはあっても,石の文化について詳述される機会は少なかったように思われる.
本事典は,日本列島の石の文化とその歴史に焦点を当て,体系化しようとするものである.信仰対象の石仏や石造物にとどまらず,日本列島から琉球諸島にわたる人間と石に関わる文化全般にわたる事象を対象とする.「刊行にあたって」より
確かに周囲を見渡してみますと、木や紙だけではなく、現代でも歴史的な石造物を数多く見ることができます。石仏・石碑や、道標や石畳、石燈籠、石垣・礎石などなど。2017年に古代の「上野三碑(こうずけさんぴ)」がユネスコ「世界の記憶」に登録されたことも記憶に新しいです。2023年には新たに石造アーチ橋「通潤橋」が国宝指定されています。
一方で、文学碑などの記念碑、墓石、公共施設・機関の銘板…と、今なお新たな石造物がつくられています。「木の文化」と同じくらいの「石の文化」が日本列島に息づいてきたわけです。
そんな日本列島における、石の文化とその歴史の全体像を俯瞰するために、本書では以下のように多彩な分野からのアプローチと時代ごとの特徴を重視した構成としました。
本事典では,単なる資料紹介にとどまることなく,時代区分を軸に,分布や文化的意味を重視した切り口から石造物を総観し,解説を試みたものである.そのため本事典は,個別の学問分野を超えて,考古学・歴史学・民俗学・地理学・社会学・美術史・宗教学・地図学・測量学・建築学・土木工学など,多彩な分野の研究者を交え,石をめぐる文化と歴史について,学際的かつ学術的観点から検討した.「刊行にあたって」より
本書の構成をご紹介しましょう。
全体は4部構成(Ⅰ 総説編 Ⅱ 各論編 Ⅲ 特論編 Ⅳ 資料編)となっており、石造物の歴史や石にまつわる文化をテーマごとに解説する小論で構成される「Ⅰ 総説編」と、個別の概念や石造物を小項目形式で解説する「Ⅱ 各論編」が本体となっています。「Ⅲ 特論編」では、テーマや個別紹介では入りにくい、石材や石工、石切り場・鉱山といった項目から、特徴的な文化をもつ沖縄・琉球、そして近代土木・建築遺産を取り上げます。「Ⅳ 資料編」では、本書や石の文化を理解するのに参考となる用語解説や文献・サイト等の各種資料・情報を紹介しています。
たとえば、中世に数多く造立されたものに「板碑」があります。一般的に剥離性のある偏平な石材を利用し、頭部を山形にして、下に2条の切込みを施したわが国独自の形態の供養塔婆です。とても大きいものもあり、その迫力はなかなかのものです。
本書では板碑を含めて「石塔」として、まず「I 総説」5章「墓制」の「5.3 中世の墓所・墓塔」の中で解説されます。「II 各論」4章「中世の宗教・信仰関連の石造物」の「4.2 石塔」においては、「高野山奥院種子板碑」などといった個別の石塔が紹介・解説されていきます。「III 特論」の「2.3 生産遺跡」では「下里・青山板碑製作遺跡」などといった板碑の石材の原産地も紹介し、「IV 資料編」では、板碑が多数展示されている「埼玉県立歴史と民俗の博物館」を「石の博物館」の1つとして紹介し、「国立歴史民俗博物館」では「東国板碑データベース」を集成していることを「関連情報」として掲載しています。
このように「**板碑」という個々の石造物をたどるだけではなく、さまざまな関連性をたどることができます。一つの石造物の背景には実に多様な時代や地域における「石の文化」があることが理解できることでしょう。
なお、巻末には取り上げた項目を網羅した50音順の「索引」や都道府県別に構成した「掲載石造物一覧」を用意し、「辞典」としての役割をもたせています。
『日本石造文化事典』以前にも、石仏・石塔や石碑についての本は何冊も刊行されてきました。その背景には1970~1980年代の「石仏ブーム」があります。このブームの中で関心をもつ愛好家・研究者も増え、日本石仏協会をはじめとするさまざまな団体・組織も生まれました。
様々な地域で、教育委員会をはじめ「文化財としての石仏・石造物調査」がはじめられるようになり、本書が準備される素地ができました。実は本書編集代表の浜田先生も、この石仏ブームに前後するように、十代から石仏・石造物の調査研究をはじめられた一人です。
では、そもそも、なぜ「石」が用いられたのでしょう?
石器・建造物などでは「素材として適当であった」となることでしょうが、「石の文化」はそこにはとどまりません。石仏などの信仰対象は、それぞれの願いに応えるため、未来永劫に変わらない「石」が選ばれたのは間違いないでしょう。
一見、宗教とは離れたかにみえる現在の記念碑も同様でしょう。慰霊碑などが多くつくられていますが、その「祈り」に込められた強い思いは今も昔も変わらないはずです。
ところで、最近、目にしたチラシに興味深いフレーズがありました。
「紙と石以外のメディアはすべて絶滅する」(「絶滅メディア博物館」の謳い文句)。
紙の本によって石造物を紹介する本書は、どうやらこのデジタル社会でも絶滅しないようです。それ以上に、人々の強い思いがある限り、さまざまな石造物が残り続け、新たに作られ続けることでしょう。