「パレスチナ/イスラエル問題の根っこにあるものは? ──植民地主義問題として考える」早尾貴紀×中井亜佐子 ①
記事:平凡社

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早尾:早尾貴紀です。僕は90年代に初めてパレスチナ/イスラエルに行き、その後2002年から2004年にかけて約2年間エルサレムにあるヘブライ大学で研究をしながら、当時はまだ入ることができたので、ガザ地区にもよく行きました。
2023年の〈10.7〉を契機に、ガザ地区がものすごい攻撃に遭い続けています。なぜイスラエルはここまで残虐なことをやり続けているのか? この問題は本質的には百年、あるいはもっと長い時間軸で考える必要があります。『イスラエルについて知っておきたい30のこと』は、そのことを伝える本としてつくりました。
中井:中井亜佐子と申します。専門は英文学と批評理論、ポストコロニアル研究です。近著として、『エドワード・サイード ある批評家の残響』(2023年、書肆侃侃房)を書いています。
早尾さんのご著書では、イスラエル建国を駆動した19世紀のシオニズムの思想と政治運動について、いずれもヨーロッパ近代の産物である国民国家の概念と人種主義、それにヨーロッパの植民地主義によって成立している点が、ていねいに解説されています。私はもともとの研究領域が19~20世紀のイギリス帝国の植民地期の文学だったこともあり、個人的にはそのあたりの記述に感銘を受けました。
ところが、最近は「シオニズム」という言葉自体がメディアで使われていない気がしています。日本のメディアでは「ユダヤ教」と「ユダヤ人」と「イスラエル」がほぼ等式で結ばれるような、そういう扱われ方をしていると思うんです。
早尾:言われてみると、たしかにそうですね。日本では、パレスチナ/イスラエル問題に関しては、シオニズムの問題というよりも「ユダヤ人対アラブ人」とか「ユダヤ教対イスラーム」と捉えるような意識があるように思います。
シオニズムとは、ヘブライ語聖書の中で「シオン」と呼ばれるエルサレムの地にユダヤ人の国をつくるという思想であり、それを実現しようとする運動を指します。明確に運動化してからおよそ130年が経ちます。シオニズムは世俗的な政治運動で、宗教的でない人たちがそれを担いました。にもかかわらず我々は「ユダヤ教」=「ユダヤ人」=「イスラエル」のように宗教的なものと混同してしまっている。ここに大きなズレがあります。
それは、ユダヤ教とシオニズムがあたかも一体であるかのように誤認させる言説――意図的なすり替え――を建国から20年後の1960年代後半から、シオニスト、イスラエル側が戦略的に世界に対して発信するようになり、それらを浴びるように受け取ってきた結果です。そのために、近代的な政治運動としての側面が後景に退けられ、我々は「イスラエルはユダヤ人国家である。だからパレスチナ/イスラエル問題は宗教対立であり、解決不能である」かのように認識してしまっているのだと思います。
中井:私たちより上の世代の方には、この問題を宗教対立だと信じ込んでいる人が多いような気がします。また、「イスラエルはホロコーストの犠牲者が作った国だ」と信じている人も多いと思いますが、その言説がナチスの将校だったアドルフ・アイヒマンの裁判からいかに巧妙に作られていったかについても、早尾さんは論じていらっしゃいます。
早尾:「ホロコーストがあったからイスラエルは必要だ」「ホロコーストがあったからイスラエルは批判できない」という構図が明確に打ち出されたのは、1960年のアイヒマンの逮捕、裁判以降だと思います。それ以降、イスラエルという国を国際的に正当化するための資源としてホロコーストがものすごく使われています。
世代的なことをおっしゃいましたが、それにはエドワード・サイード(1935-2003)の存在があると思います。サイードは70年代後半くらいから、「パレスチナ/イスラエルの問題はシオニズムの問題なんだ」「シオニズムは帝国主義と植民主義の問題なんだ」という視点を強く世界に訴え始め、日本でも80年代後半くらいから翻訳出版されるようになって、我々の世代はその影響を大きく受けているのだと思います。
中井:私は、ジョゼフ・コンラッド(1857-1924)という作家を研究していたことから、サイードを読み始めました。サイード自身、コンラッドの研究者でもあります。サイードのパレスチナへのコミットメントとコンラッドがつながる瞬間が、『オリエンタリズム』(1978年、日本版1986年、平凡社)と同時期に書かれた『パレスチナ問題』(1979年、日本版2004年、みすず書房)にあります。
コンラッドの代表作である『闇の奥』の最初の方で小説の語り手が、植民というのは要するに「肌の色が違ったり鼻が少し低かったりする人びとから土地を奪い取ることであって、よくよく見れば美しくなんかない」「それを償うのは理念だけだ」と言っている箇所があります。「理念で償う」というのは、「野蛮人の文明化」といった大義名分によって、たんなる土地の乗っ取りでしかないものを覆い隠している、という意味に解釈できます。この箇所をサイードは引用して、コンラッドが描いた19世紀末の植民地主義の問題がまさにシオニズムの問題でもあることを示唆しています。
『パレスチナ問題』のそのくだりを読んだときに、イスラエルがやっていることが植民地主義なんだと、私自身あらためて納得しました。
早尾:今、「植民地主義は乗っ取りである」とおっしゃいましたが、シオニズムの本質はまさにヨーロッパの入植者によるパレスチナの乗っ取りです。宗主国が植民地を経営するのではなく、集団で入植して先住民を虐殺や追放などで排除して完全に乗っ取ってしまう、それがセトラー・コロニアリズム(入植植民地主義)です。シオニズム、イスラエルは今、セトラー・コロニアリズムの思想でガザ地区とともに西岸地区においても、完了していない乗っ取りの遂行を現在進行形で行っています。
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(構成:市川はるみ)