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シスターフッドなき男の世界に何をみる?――『トランスジェンダー男性のきみへ』

記事:明石書店

『トランスジェンダー男性のきみへ――性別移行した19人からの手紙』
『トランスジェンダー男性のきみへ――性別移行した19人からの手紙』

トランスジェンダー男性とは誰か

 『トランスジェンダー男性のきみへ――性別移行した19人からの手紙』は、2010年にアメリカで刊行された“Letters For My Brothers: Transitional Wisdom in Retrospect”の邦訳である。タイトル通り、19人のトランス男性たちが過去の自分や仲間に向けて綴った手紙だ。

 トランスジェンダー男性(以下、トランス男性と略記)とは、他者から女性として生きていく人生を期待されたものの、人生の途中で「女ではなく、男である」と自己理解し、男性として生きていく人のことをいう。調査によると、トランスジェンダーの割合は人口の約0.5%だが、トランス男性に限ると人口の0.1%くらいである(参考:はじめてのトランスジェンダー「トランスジェンダーはどれくらいいるのか」https://trans101.jp/2021/10/30/1-5/)。これまでFtM(Female to Maleの略)、トランスセクシュアル、性同一性障害、オナベなどと呼ばれることもあった。

 トランスジェンダーの物語といえば、「性別違和に苦しんで、どうにか納得のいく性別で生活できるようになって、そこで終わり」というエピソードがお決まりだった。だが、トランスの人生はそれからも続いていくはずだ。トランス男性がすっかり男性として生活できるようになったら、その後の人生はどうなるのだろう。見かけ上はシスジェンダー(=トランスではない人)の男性と同じでも、直面する困難や感覚が同じとは限らない。だからこそ、本書は稀少な試みを提示してくれる。

性別移行には予想外の変化もある

 トランス男性ではなくとも、「もし自分が違う性別になったら」と想像したことのある人は多いと思う。「もし現在『女』である自分が、『男』になったら」……。ところが、本書を開くと、そうして私たちが想像できる範囲には限界があったのだと気づかされる。当のトランス男性たちでさえ、性別移行前にどれほど情報収集していようとも、予想できなかった出来事はある。

 例えば、テストステロン(男性ホルモン)投与によって生じる、身体的変化のままならなさ。周囲の人々の酷さや、逆に優しさ。親戚から実年齢より12歳も年下の男の子だと勘違いされること。「もう二度と恋愛できないのではないか」という不安が、いずれ解消されること。以前お世話になったレズビアンのコミュニティと、新たに参入したゲイのコミュニティにおける違い。さらに、クィア・コミュニティから遠ざかり、「ただの男」として自分が不可視化されること。女性からはもちろん、男性からも信用されず孤独になること。ときには女性から迷惑行為を受けて、その対応に困ること。

一人の男性としてこの社会を生きるには

 なかでも、女性差別の激しいこの社会で、客観的に「女性」から「男性」へ変化したトランス男性は、女性集団と男性集団に対する対応を変えなければならず、戸惑うことになるかもしれない。寄稿者のなかにはフェミニズム運動に関わってきたトランス男性もいるが、性別を変えるというプロセスを経ると、その人が以前と全く同じようにフェミニストでいることは叶わなくなる。

 たとえ本人が同じ言動をしていても、かつては「勇気ある女性のふるまい」と評されたものが今では「野蛮な男性のふるまい」に様変わりしてしまう。女性から警戒されるようになり、もはや仲間意識は失われる。他の人からすればトランス男性も「有害な男性」と区別がつかなくなるため、身に覚えのない批判を浴びることもある。限られた紙面のなかで、複数のトランス男性が「女性との距離感」を話題にしているのは、それがよほど衝撃の大きい変化だからなのだろう。これまで無批判に頼ってきた女性同士の絆に、実は問題点があったということも、その場を離れたからこそ理解しやすくなるらしい。

 そして、新たに「男性として」女性差別との向き合い方を模索したり、はたまた、男性解放運動のほうに希望をみたりする。トランス男性にとって、自分や身近な人たちが培ってきたミサンドリー(男性嫌悪)に対処することも重要な課題となる。「男性って、性差別ばかりして嫌な存在だな」というイメージは、そのまま男性となった自分自身に跳ね返ってくる。だからミサンドリーを放置しておくわけにはいかないのだ。

 本書は、トランス男性に特有の孤独について丁寧に綴られており、その意義は計りしれない。とはいえ、ふと顔を上げてみると、実は他の男性たちも似たような課題を抱えているらしいとわかる。もちろん、シス男性の困難はトランス男性のものと同じではない。それでも、性別移行で失ったものを嘆くのではなく、新しく出会うものに希望を託してもいいのではないか。

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