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【戦後80年】昭和の敗戦の歴史から私たちが学ぶべきこと——半藤一利《昭和史》より

記事:平凡社

半藤一利『新版 昭和史 戦前篇 1926-1945』(平凡社ライブラリー)496ページより引用。昭和20年9月2日、東京湾に浮かんだアメリカの戦艦ミズーリ号の船上で行なわれた日本の降伏文書調印式。先頭のシルクハットの人物が全権団代表の重光葵、その右が参謀総長の梅津美治郎。
半藤一利『新版 昭和史 戦前篇 1926-1945』(平凡社ライブラリー)496ページより引用。昭和20年9月2日、東京湾に浮かんだアメリカの戦艦ミズーリ号の船上で行なわれた日本の降伏文書調印式。先頭のシルクハットの人物が全権団代表の重光葵、その右が参謀総長の梅津美治郎。

国民的熱狂をつくってはいけない 

 よく「歴史に学べ」といわれます。たしかに、きちんと読めば、歴史は将来にたいへん大きな教訓を投げかけてくれます。反省の材料を提供してくれるし、あるいは日本人の精神構造の欠点もまたしっかりと示してくれます。同じようなあやまちを繰り返させまいということが学べるわけです。ただしそれは、私たちが「それを正しく、きちんと学べば」、という条件のもとです。その意志がなければ、歴史はほとんど何も語ってくれません。 

 この15回にわたる授業を終わるに際して、では昭和史の20年がどういう教訓を私たちに示してくれたかを少しお話してみます。 

左/『新版 昭和史 戦前篇 1926-1945 』。右/『新版 昭和史 戦後篇 1945-1989』。新版となり、新たに索引や解説が付された。ともに平凡社ライブラリーシリーズ、定価各1,320円(10%税込)。
左/『新版 昭和史 戦前篇 1926-1945 』。右/『新版 昭和史 戦後篇 1945-1989』。新版となり、新たに索引や解説が付された。ともに平凡社ライブラリーシリーズ、定価各1,320円(10%税込)。

 第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、昭和史全体をみてきますと、なんと日本人は熱狂したことか。マスコミにあおられ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、不動のもののように人びとを引っ張ってゆき、流してきました。結果的には海軍大将米内よないみつまさが言ったように“魔性の歴史”であった、そういうふうになってしまった。それはわれわれ日本人が熱狂したからだと思います。 

 対米戦争を導くとわかっていながら、なんとなしに三国同盟を結んでしまった事実をお話しました。良識ある海軍軍人はほとんど反対だったと思います。それがあっという間に、あっさりと賛成に変わってしまったのは、まさに時の勢いだったのですね。理性的に考えれば反対でも、国内情勢が許さないという妙な考え方に流されたのです。また、純軍事的に検討すれば対米英戦争など勝つはずのない戦争を起こしてはならない、勝利の確信などまったくないとわかっていたのですから、あくまでも反対せねばならなかったし、それが当然であったのに、このまま意地を張ると国内戦争が起こってしまうのではないか、などの妙な考えが軍の上層部を動かしていました。昭和天皇が『独白録』のなかで、「私が最後までノーと言ったならばたぶんゆうへいされるか、殺されるかもしれなかった」という意味のことを語っていますが、これもまた時の流れであり、つまりそういう国民的熱狂の中で、天皇自身もそう考えざるをえない雰囲気を感じていたのです。 

 二番目は、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしないということです。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中ろうかくを描くのが得意なんですね。物事は自分の希望するように動くと考えるのです。ソ連が満洲に攻め込んでくることが目に見えていたにもかかわらず、攻め込まれたくない、今こられると困る、と思うことがだんだん「いや、攻めてこない」「大丈夫、ソ連は最後まで中立を守ってくれる」というふうな思い込みになるのです。情勢をきちんと見れば、ソ連が国境線に兵力を集中し、さらにシベリア鉄道を使ってどんどん兵力を送り込んできていることはわかったはずです。なのに、攻めてこられると困るから来ないのだ、と自分の望ましいほうに考えをもっていって動くのです。 

 昭和16年11月15日、大本営政府連絡会議は、戦争となった場合の見通しについて討議しました。ここで決定された戦争終結の腹案は、要するにドイツがヨーロッパで勝つ、そうすればアメリカが戦争を続けていく意志を失う、だから必ずや栄光ある講和に導ける、というまったく他人のふんどしで相撲を取るといいますか、ろうだい的な判断をこっにしたことでした。同時にこの時、アメリカに対する宣伝謀略を強化するという日本流の策も決めるのですが、それはまず「アメリカ海軍主力を日本近海へ誘致するようにする」、これは日露戦争の日本海海戦を夢見ているんですね。アメリカ海軍がきちんと自分たちの希望する道を通って日本近海に来てくれる、その時は迎え撃って撃滅してみせる、というのです。そして「アメリカのアジア政策の反省を促して日本と戦うことの無意義をアメリカに説く」、勝手にそんなことを決めてもアメリカはきいてくれるはずはない。ですが、日本は真剣にそう考えたのです。そうできると夢みたのです。 

根拠なき自己過信におちいっていた指導者たち

 三番目に、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害があるかと思います。陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力をもち、そのほかの部署でどんな貴重な情報を得てこようが、一切認めないのです。軍令部でも作戦課がそうでした。つまり昭和史を引っ張ってきた中心である参謀本部と軍令部は、まさにその小集団エリート主義の弊害をそのままそっくり出したと思います。 

 そして四番目に、ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際的常識を、日本人はまったく理解していなかったこと。簡単に言えば、国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった、これまた常に主観的思考による独善に陥っていたのです。 

 さらに五番目として、何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求めるたんぺいきゅうな発想です。これが昭和史のなかで次から次へと展開されたと思います。その場その場のごまかし的な方策で処理する。時間的空間的な広い意味でのたいきょくかんがまったくない、ふくがん的な考え方がほとんど不在であったというのが、昭和史を通しての日本人のありかたでした。 

  と、いろいろと利口そうなことを言いましたが、昭和史全体を見てきて結論としてひとことで言えば、政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人びとは、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか、ということでしょうか。こんなことを言っても喧嘩けんか過ぎてのぼうちぎれ、仕方ない話なのですが、あらゆることを見れば見るほど、なんとどこにも根拠がないのに「大丈夫、勝てる」だの「大丈夫、アメリカは合意する」だのということを繰り返してきました。そして、その結果まずくいった時の底知れぬ無責任です。今日の日本人にも同じことが多く見られて、別に昭和史、戦前史というだけでなく、現代の教訓でもあるようですが。 

 そういうふうにみてくれば、昭和の歴史というのはなんと多くの教訓を私たちに与えてくれるかがわかるのですが、先にも申しました通り、しっかりと見なければ見えない、歴史は決して学ばなければ教えてくれない、ということであると思います。

《昭和史》シリーズの著者、半藤一利さん。
《昭和史》シリーズの著者、半藤一利さん。

【平凡社ライブラリー『新版 昭和史 戦前篇 1926-1945』目次】 

はじめの章 昭和史の根底には“赤い夕陽の満洲”があった
第一章 昭和は“陰謀”と“魔法の杖”で開幕した
第二章 昭和がダメになったスタートの満洲事変
第三章 満洲国は日本を“栄光ある孤立”に導いた
第四章 軍国主義への道はかく整備されていく
第五章 二・二六事件の眼目は「宮城占拠計画」にあった
第六章 日中戦争・旗行列提灯行列の波は続いたが……
第七章 政府も軍部も強気一点張り、そしてノモンハン
第八章 第二次大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした
第九章 なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか
第十章 独ソの政略に振り回されるなか、南進論の大合唱
第十一章 四つの御前会議、かくて戦争は決断された
第十二章 栄光から悲惨へ、その逆転はあまりにも早かった
第十三章 大日本帝国にもはや勝機がなくなって……
第十四章 日本降伏を前に、駈け引きに狂奔する米国とソ連
第十五章 「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ……」
むすびの章 三百十万の死者が語りかけてくれるものは?
こぼればなし ノモンハン事件から学ぶもの

関連年表/あとがき/平凡社ライブラリー版 あとがき/解説 山本明子
参考文献/索引

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