『はじめての戦争と平和』サントリー学芸賞受賞記念対談──鶴岡路人×千々和泰明(前編)
記事:筑摩書房
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鶴岡:非常にうれしく思っています。ありがとうございます。
『模索するNATO──米欧同盟の実像』は、今まで書きためていたNATOに関する論文を集めて再構成した研究書で、私のNATO研究の10年越しの集大成といえるものです。
一方、『はじめての戦争と平和』のほうは、一冊全部を書き下ろしで書いた私にとってはじめての本になりました。中高生でもわかるような書き方で、ただその裏にはきちんと研究の裏付けがある。それを同じように評価していただき、研究書が評価されたのとはまた違ううれしさがあります。
千々和:一冊は10代から読める本であり、もう一冊は専門的な研究をベースにした非常にアカデミックな本で、性格も読み手も違うところがある二冊です。鶴岡さんから二冊同時受賞になったというご報告をいただいたときには、率直に珍しいな、という思いがありました。
けれどもよく考えてみると、鶴岡さんのご活躍はそれだけではない。とくにロシア・ウクライナ戦争がはじまってからは、テレビに出て、新聞の取材に応えて、というようにメディアでの発信も精力的になされている。そのこと自体、社会に対する大きな貢献だと思いますが、鶴岡さんの場合は、しかもなおかつ書くということですよね。そういう方というのは稀有な存在です。
今回の受賞は、鶴岡さんの多層的なご活躍が評価されていることの、一つのシンボリックな出来事であったのかなと、そういう感じを私は受けました。
鶴岡:在外研究で1年間オーストラリアに行っていて、日本にいるときよりは子供と過ごせる時間が長いはずだと踏んでいたんです。私の子供もちょうど中高生なので、自分の子供に読ませられるようなもの、しかもきちんと理解してもらえるものを書きたい。それが『はじめての戦争と平和』の出発点でした。
しかし、『模索するNATO』のほうが長引いてしまって、全然終わらなかった(笑)。それでもうあと数週間で日本に帰るというときに、ようやく『はじめての戦争と平和』のプロポーザルを筑摩書房の編集者の藤岡さんに送ることができたんです。実際に書きはじめたのは日本に帰ってからですね。執筆のスケジュールを担当の編集者になってもらった甲斐さんにお約束して、途中、あやうい時期もありましたが、奇跡的にスケジュールどおりの刊行になりました。
『模索するNATO』という10年間肩に負っていた荷のようなものが下りたあとに、その解放感にひたりながら書いた本といえると思います。
千々和:鶴岡さんは中学生のときにイラクによるクウェート侵攻のニュースを見て衝撃を受けたと、『はじめての戦争と平和』のあとがきに書かれていますね。われわれのような40代後半から50歳前後の国際政治研究者は、湾岸戦争やその前後のベルリンの壁崩壊・冷戦終結なんかが思春期の頃にあった。国際政治が大きく動いていて、その中で日本の対応も問われていたという時期でもありました。
湾岸戦争が起こったとき、私は小学6年生でした。そのことが『世界の力関係がわかる本──帝国・大戦・核抑止』の執筆の背景になっています。
学校では、いわゆる平和教育ということで、「戦争はいけないんだ」という教育を受けていました。実際に、湾岸戦争のときもテレビを見ていると「自衛隊は派遣してはいけない」というような主張がよくニュースで流れていた。
しかし、そのような「戦争をしてはいけません、自衛隊を派遣してはいけません」という話と、「国連という仕組みがあり、侵略している国は止めなくてはいけない」という話とは、本来まったく違う話なのではないか。それを混同してしまっているのではないかと、湾岸戦争に関する報道を見ていて非常に違和感があったことを覚えています。当時は小学6年生ですから何も知らないながらも、そのことが私が国際政治に関心を持ったきっかけになりました。
しかし、そこからもう一歩踏み込めるかというと、なかなかそれは難しかったんですよね。やっと大学で国際政治を勉強したときに「なるほど、こういうことなのか」と思った。
それでこの本を書き進めるうちに、「国際政治に興味を持ったあの当時、もしこんな本があったら役に立ったのではないか」と、ある意味では12歳や13歳のときの自分に向けてこの本を書いているんだという意識が出てきたんです。
われわれの世代が湾岸戦争をきっかけに国際政治に関心を持ったように、今の小学生・中学生のなかにもウクライナやガザなどの状況を見て国際政治に関心を持ったという人たちがいるはずです。そういう方たちに、鶴岡さんの本やこの本が役に立ってほしいと思っています。
鶴岡:日本を取り巻く環境が騒がしくなってきている。そしてまた、中東やロシア・ウクライナ、アメリカ、中国というニュースが日々流れてくる。その中で、国際問題・国際関係に対して関心を持ったり、リアルな疑問を持って考えたりしている中高生ってたくさんいるんですよね。
『はじめての戦争と平和』の刊行をきっかけに、私も高校などに行って話すことが時々あるんですが、周りの大人が中高生には難しすぎるかもしれないといって心配するような話題でも、生徒からの質問はけっこう鋭いし、みんなちゃんと議論についてきてくれます。
それに対して、家庭でも学校でも、大人がきちんと応えられるか、というのがポイントですね。いまの大人たちが中学生・高校生だったときには国際政治の話は授業でもあまり勉強しなかっただろうし、中高生が国際政治について議論するということ自体になじみがない。でも、「中高生だから難しいことはわからないでしょう」ではそこで終わってしまう。
だからこそ、きちんとした入り口まで橋渡しできる本の存在が、やっぱり重要なんだと思います。そういうこともあって、『はじめての戦争と平和』では、「中高生から読める」とはいいつつ、内容にはけっして妥協しないで書きました。「本当はここにはいろいろと難しい話があるんだけど、誤魔化しちゃえ」というような子供騙しはしない。難しいところはその難しさまで徹底的にわかるようになってほしい、という思いでした。
千々和:選挙権年齢が18歳に下がり、主権者教育というものも学校ではじまりつつある。「大学に入ってから」ではなく、中高の時期から国際政治やその中での日本の立ち位置について考える意義は大きいですよね。
鶴岡:千々和さんも「ちくまプリマー新書」で国際政治の入門書を準備していると知ったときは一瞬焦りましたね。「え、丸かぶり⁉ 担当編集者だれ?」みたいな(笑)。
千々和:私も鶴岡さんのⅩのポストではじめて知って「えーっ『はじめての戦争と平和』⁉ ちくまプリマーだし」と思って、慌てて鶴岡さんに連絡しました(笑)。「じつは僕も似たような企画を、同じレーベルから近々出すんですけど」って。そうしたら鶴岡さんが私にご自分の本のゲラの目次を送ってくれました。ドキドキしながら見たんですが、幸か不幸か、意外にも内容はそれほど被ってはいなかった。
鶴岡:ただそれにもかかわらず、いい意味でかなり重なっている部分があったということは重要だと思うんです。
千々和さんの『世界の力関係がわかる本』では「直観に反する理屈」や「分析のレンズ」がキーワードになっています。歴史のいろいろな事例を通じて国際政治を分析するレンズをみんなで持とう、というのがこの本の一番根幹にある目的ですね。
かたや私の『はじめての戦争と平和』では、「読みとき方」という言葉を繰り返し使っています。自分で分析する、自分で読みとく。その助けになりたいという思いは、千々和さんの本とほとんど一緒だったといえると思うんです。
国際政治・国際関係の入門書というと、最新の話題にちょっとずつ触れてなんとなく世界がわかった感じになる、というのが多いのですよね。ただそれだと、たとえばアメリカで大統領が変わってしまえば全然通用しない知識になってしまうというように、鮮度がすぐに落ちてしまいます。
そうではなくて、「自ら読みとく力」こそが大切なはずです。大統領が変わろうと、戦争がはじまろうと終わろうと、それはずっと使えるもので、その読みとき方を応用すれば、新しい出来事に直面しても、あまりピントを外さずにまともな解釈・理解ができる。
そこが重要で、本来、教育はそれを主目的にしていると思うんです。中学生には中学生なりの、高校生には高校生なりの、自分で考える力を養う。大学生なら大学生で、中高よりはもうちょっとレベルアップして自ら分析する力を養う、と。
私は自分でも国際政治を学んできて、いまは大学で国際政治を教えています。そして、だいたい20歳くらいのときにたまたま国際政治に関心を持った学生が私のゼミに来るわけです。でも、そのあとに仕事で直接国際政治にたずさわる人はごく一握りなわけですよね。だから、具体的なものとして「何を」学ぶのかではなくて、その対象がなんであれ、自分で使える普遍的な「読みとき方」、あるいは「分析のレンズ」を身につけるということが大切なんだと考えています。
千々和:私の本では、これまでの人類がいろいろな悪戦苦闘と失敗を繰り返し、その中から勢力均衡や集団安全保障などいくつかの平和のための仕組みができてきて、それがまた失敗していく、ということが主なテーマになっています。人類がチャレンジして作り上げ、失敗してきたことの歴史ですから、今日に通じるところがたくさんある。そういった過去の事例をベースにして考えていくことで、私も読者が「自分で分析する」ということのお手伝いができれば、という思いで書いていました。
鶴岡:「まずは歴史かな」という人は千々和さんの本から、「まずは安全保障について早く知りたい」という人は私の本から、そしてその次にはもう一方を、という流れで読んでいただけるとうれしいですね。
千々和:『はじめての戦争と平和』では、米国の国際政治学者ケネス・ウォルツが作った理論的な大きな枠組みを最初にドンと出していて、「個人を中心に考える」「国家を中心に考える」「国際システムを中心に考える」という三つの視座がいまの国際政治を考えるうえで非常に有効だということが説得的に書かれています。続いて「何から」「何を」「いかに」「誰と」守るのかという安全保障の基本に立ち返り、最後には平和について考えよう、という構成ですから、本としての枠組みが理論的で非常にクリアです。
鶴岡:ロシアによるウクライナ侵攻を見たときに、「これはプーチンの戦争だ」というときと、「これはロシアの戦争だ」というときがあって、多くの人はこの違いを意識していないのではないかと思ったんです。ここは、本人が意識するかどうかは別にして、この戦争をどう見るか、どう解釈するかということの最初の大きな分かれ目になります。
個人を中心に考えて「プーチンの戦争」だとみれば、プーチンさえいなければこの戦争は起きていないし、プーチンがいなくなればこの戦争は終わるという類推が成立しうる。それに対して、「ロシアの戦争」だというと、いまロシアがやっていることは、結局はスターリン時代と一緒じゃないかとも捉えることができます。プーチンがいてもいなくても、ロシアは同じことをやるんじゃないか、ということですね。
こうした構図に多くの人が気づいていないのはもったいないし、危ない。それをしっかり意識しましょうということなんです。リアリズムとかリベラリズムとかといった理論についてもそうで、たいていは意識しないままになんらかの理論に近いことを自然と考えている。あるいは、対象や状況に応じて使いわけているかもしれません。そこで、無意識のものを意識してみよう、というのがここでいちばん通底するポイントなんだと思います。
千々和:リアリズムに属するウォルツの理論というのは国際政治を勉強するならだれもが一度は通らなければいけないものではありますが、ふつうはリアリズム・リベラリズム・コンストラクティビズムというふうに代表的な理論を並置してはじめる本が多い。その中、あえてウォルツから、というのは他に類例のない大胆な書き出しですね。
鶴岡:ウォルツ、じつは好きなんですよ(笑)。「国際政治学徒」にとって、ウォルツはやっぱりヒーローでして。国際政治を読みとく三つの視座を示した『人間・国家・戦争』(原題:Man, the State, and War)という本は、なんと彼の博士論文がもとになっているんですね。1959年にコロンビア大学出版から単行本として刊行され、そこから70年近く、アメリカ、そして世界中の大学で、国際政治の授業のシラバスに載り続けている。ありえない、ですよね。しかも博士論文。すごい。
しかしいま思うと、あの論文では現在のアメリカの大学の政治学部では博士号が取れないんじゃないかという気もします。独自の枠組みが際立つとはいえ、昔のいろいろな思想家が戦争の原因についていっていたことを整理して分類した、いわばヒストリオグラフィー(史学史)であって、あまり「科学的ではない」からです。50年代のアメリカで吹き荒れた行動主義革命ーー経済学などの理論を政治学にも応用して数量的な分析を行うーーという、あの旋風が来る直前の博士論文ですから、ある意味で「古き良き」アメリカの国際政治学の成果だったのかなと思います。
千々和:どちらが優れているということではなく、歴史なり思想なりというものが「科学的ではない」という理由で国際政治学の中で低い評価を受けてしまうとすれば、もったいない感じがします。それぞれの事例にどういうコンテクストがあったのかを無視して十把一絡げに論じることは難しいので、伝統的なアプローチも大事にしていかなくちゃいけないと思いますね。
(2025年11月26日更新予定の後編につづく)
第1部 世界をみる三つの視点
第1章 個人を中心に考える
第2章 国家を中心に考える
第3章 国際システムを中心に考える
第2部 何から何をいかに守るのか
第4章 「何から」守るのか――脅威
第5章 「何を」守るのか――国益
第6章 「いかに」守るのか――軍事力
第7章 「誰と」守るのか――同盟
第8章 核兵器ってなんだろう
第3部 より平和な世界をつくる
第9章 国家はどうすれば協力できるのか
第10章 戦争はどうすれば抑止できるのか
第11章 日本の平和と世界の平和