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驚異にみちた旅を描く 山尾悠子「山の人魚と虚ろの王」など幻想ファン必読の3冊

文:朝宮運河

 すでに複数の媒体で紹介されているが、幻想文学好きとしては取りあげずにはいられない。泉鏡花文学賞など三冠を達成した『飛ぶ孔雀』から3年、伝説の作家・山尾悠子の新作『山の人魚と虚ろの王』(国書刊行会)がついに刊行された。ルドンの版画をあしらった瀟洒な函入り本のページを開くと、言葉でしか表現しえないもうひとつの世界が、どこまでも広がっている。

 120ページほどのこの短い小説は、ある夫婦の「驚くべき新婚旅行」について語ったものだ。年の離れた風変わりな娘と結婚した男は、妻の代理人が作成した旅程にしたがって新婚旅行に出発、観光地である〈夜の宮殿〉を目指す。しかし旅は序盤から波乱含みだ。深夜に到着した駅舎ホテルでは、なぜか夫婦別々の部屋に押し込められ、男は深夜の駅構内でナイフを使った決闘を目撃する。舞踏団の追悼公演が開かれている〈夜の宮殿〉では、余興の降霊会に参加した妻の体が1メートルほど浮揚し、男はシャンデリアから女の脚が垂れさがっているのを見る。さまざまなレベルの驚異と怪異に彩られた旅は、〈山の人魚〉と呼ばれた伯母の葬儀のため、急遽立ち寄ることになった男の生家での〈虚ろの王〉との対決により、やや唐突に幕を下ろす。

 舞踏団を主催していた2人の伯母とは何者だったのか、その「唯一の相続人であり、継承者」になぜ妻が指名されたのか、機械仕掛けの〈虚ろの王〉を妻が燃やさねばならなかった理由とは。いくつもの空白を残した物語は、暗喩と寓意にみちた神秘主義小説と読むこともできそうだが、絶え間なく現れる蠱惑的なイメージを追いかけるだけでも十二分に面白い。

 とりわけ印象的なのが、駅舎ホテル、〈山の宮殿〉、〈山のお屋敷〉という3つの巨大建造物の描写だ。2人が訪れるこれらの迷宮じみた建造物は、大勢の人でごった返しているにもかかわらず、どこか舞台の書き割りめいていて、作品全体に漂う「夢のなかの出来ごとのよう」な非現実感を強めている。そもそも現在・過去・未来に起こった無数のエピソードが、変幻自在の語り口で積み重ねられていくこの小説そのものが、一種の巨大建造物のようではないか。前作『飛ぶ孔雀』同様、ほのかなユーモアをたたえた台詞まわしも絶妙。ますます高みに浮揚した山尾文学に、感嘆するのみである。

 『夜想♯山尾悠子』(ステュディオ・パラボリカ)は、その山尾悠子を総特集した雑誌だ。山尾自身の書き下ろしエッセイ、最新掌編、受賞スピーチなどに加え、金井美恵子、沼野充義、谷崎由依、諏訪哲史といった錚々たる書き手が、山尾作品の魅力について多様に論じている。川上弘美の「密度が濃いのに、澄んでいる。ゆるみがないのに、刺してこない。絶望的なのに、愉快」との評言は、読者がこれまで漠然と感じていた山尾作品の手ざわりを、巧みに言い当てている。作中世界に見え隠れする〈存在/非在〉の対立に着目した清水良典の『山の人魚と虚ろの王』論も読み応えあり。

 幼なじみの金原瑞人が聞き手を務めたロングインタビュー「岡山発、京都経由、幻想行」や、『山尾悠子作品集成』から最新作まで併走してきた編集者・礒崎純一のエッセイ「山尾悠子さんのこと」などからは、ミステリアスなイメージが先行する作家の意外な素顔がうかがえる。書き手・作り手のリスペクトが感じられる充実した一冊で、「これを読まずして、山尾悠子を語れない」という帯のコピーに偽りはない。

 近藤ようこ『高丘親王航海記』3巻(KADOKAWA)も、驚異の旅にまつわる物語だ。澁澤龍彦の幻想小説をコミカライズし、「THE BEST MANGA 2021 このマンガを読め!」の第1位に輝いた話題作である。

 貞観7年(865年)、天竺を目指して日本を旅立った高丘親王とその一行は、さまざまな困難を乗り越え、ついに東南アジアのアラカン国へいたった。ひとり〈蜜人〉探しに出かけることになった親王は、砂漠を行く舟上で、亡き弘法大師の夢を見る。その後、従者・秋丸によく似た娘を救うため、王城に出向いた親王だったが、湖水に自分の影が映っていないことに気づく。最終目的地が近づくにつれ、親王の周囲には少しずつ、死の影が忍び寄ってくる――。

 このコミカライズ版が素晴らしいのは、波乱に富んだストーリーのみならず、澁澤文学の特徴である軽やかさまで、見事に再現しているからだ。第3巻では秋丸と春丸の奇妙な交代劇や、異国情緒漂う真珠取りのシーンなどに、稀代の幻想作家とマンガ家の理想的コラボレーションを見ることができる。親王の最期を描くことになる次巻の刊行を、心して待ちたい。

 ところで『山の人魚と虚ろの王』と『高丘親王航海記』には、円環する時間における驚異の旅、という共通点がある。澁澤龍彦から山尾悠子、近藤ようこへと継承された幻想の系譜に思いを馳せるのも、一興だろう。