はさみやスプーンは、なぜあんな形?『道具のブツリ』(評・川添愛さん)―文系のための科学本ガイド⑧
記事:白揚社
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みなさんがふだん使う道具の中で、一番好きなものは何だろうか。私は「はさみ」である。中でも、キッチンばさみは大のお気に入りだ。台所仕事では、食材や調味料のパッケージを開ける場面が多い。無理に手で開けると、けっこうな確率で中身があたりに飛び散ってしまう。はさみで切れば中身は飛び散らないし、切断面もキレイだ。
また、キッチンばさみを使えば、包丁とまな板をいちいち出さなくて済む。葉物野菜の端っこを切り落としたり、薄切り肉を一口大にカットしたり、柑橘(かんきつ)類の薄皮に切れ目を入れたりといった仕事が、平面に接触せずに空中で行える。その自由度にうっとりする。
本屋さんでこの本に目がとまったのも、はさみが描かれた可愛らしい表紙に惹(ひ)かれたというところが大きい。そして、なんだか珍しい縦長の判型。手に取ると、ページが180度パカッと開き、柔らかなタッチの美しいイラストが目に入る。もしやこの本は、「道具箱」をイメージして作られたのではないか。そう思うと、強烈に「手元に置きたい!」という欲が湧き上がってきた。
ちなみに私は物理が好きではない。高校時代、授業についていけなくなったため、早々に見切りをつけた。そんな私に見た目だけで「欲しい」と思わせたのだから、なかなかすごい本だと思う。
中身も良い意味で「物理物理」していない。おなじみの生活道具を取り上げて、そこに秘められた「ブツリ」を優しく語ってくれる。著者2人の気遣いのおかげか、知識がほぼゼロの私の頭にも説明がスッと入ってくる。そして何より、五感と記憶が刺激される。ピザの香ばしさやワインの色、アイスクリームの冷たさ。じょうろを使った庭仕事。下敷きで友達とあおぎ合った、夏の日の教室。日々の体験や懐かしい場面を鮮やかに想起しながら、ゆったりと読める。
読み進めるたびに、私たちが何気なく使っているありふれた道具の数々が、物理の法則に従って巧みにデザインされていることに驚かされる。たとえば、私が好きなはさみには「てこの原理」が働いている。「てこ」と聞くと、私は真っ先に地面に支点を置いたシーソーのようなものを思い浮かべるが、洋ばさみでは中心の留め具が支点になっているという。空中で自在にものが切れる秘密を知って、ますますはさみが好きになった。
今思うと、私が若い頃に物理に拒否反応を起こしたのは、授業で教わる内容と自分の感覚とが結びつかなかったからかもしれない。まさか、どこにでもある道具が、日常的な感覚と物理を橋渡ししてくれるとは思わなかった。科学に対する深い理解と、日々を大切に生きる生活者の視点を併せ持って初めて出てくる発想だと思う。
また、著者たちの語りは、読む者を日常的な感覚の「その先」にまで導いてくれる。たとえば、ファスナーに働く「作用反作用の力」や、吸盤を外から壁に押しつける空気の力は、五感では感じ取れない。フォークで焼いた肉を刺して持ち上げられるのは、肉の「弾性力」がフォークを強く締めつけるからだとか。この弾性力はすべてのものに存在し、実はガラスなどにもあるというから驚く。
一見関係なさそうなものが自然法則によってつながるのも、科学の醍醐味(だいごみ)の1つだ。スプーンと大河の下流、ワインオープナーとスロープ、お盆と火山の傾斜。こんなふうに、感覚だけでは把握しきれない未知の世界に目を開かせてくれる。
私と同じように物理に苦手意識がある人は、ぜひ読んでほしい。本書で25の道具の「ブツリ」を知れば、日常が少し違って見えてくるし、他の道具についても知りたくなるはずだ。そういう人々(私含む)のために、第2弾『現代の道具のブツリ』も出ている。楽しいブツリ体験が、多くの人に広がりますように。