ありそうでなかった総ルビ地図帳――今尾恵介さんが語る『ふりがな日本地図帳』の画期性とは
記事:平凡社
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上田という土地に住んでいたことがあるが、この地名を目にした人のほとんどが「うえだ」と読んだ。長野県の城下町・上田市は有名だし、姓も「うえだ」さんしか思い浮かばない。口頭でも電話口でも誰もがそう読むので、最初は本来の読み方の「かみだ」にいちいち訂正していたが、そのうち面倒になった。調べてみると、上田の読みは他に「うわだ」(富山県氷見市)、濁点なしの「うえた」(沖縄県豊見城市)や「かみた」(福井県小浜市)などの例がある。東京都大田区のバス停には「じょうでん」も。簡単そうに見えて読みを確定できない日本の地名の難しさだ。
神戸市は誰もが知る大都市であるが、『角川日本地名大辞典』で調べてみると、全国の「神戸」と表記する地名のうち最も多いのは「ごうど」で14例、次に「かんべ」が9例、「かんど」が2例と続く。「こうべ」は「こうど」「じんご」とともに1例ずつしかない。ついでながら、この地名は神社を維持するために住民が租税や労役を提供する土地に由来している。
簡単そうで難しいのは「町」と「村」も同様だ。自治体の町村は東北から関東、北陸までがおおむね「まち」、北海道と西日本が「ちょう」、九州は混在といったところだが例外も多い。村はほとんど「むら」だが、沖縄全域と中国、四国、九州の一部は「そん」。読み方にはそれぞれ歴史的経緯があっても法則はなかなか見いだせない。
これが市町村の中の「町」となると、もうお手上げ状態である。東京メトロ銀座線では田原町駅の隣に稲荷町駅があるし、都営地下鉄新宿線の電車が神保町を出ると次は小川町だ。武家町が「ちょう」で町人町が「まち」など原則のありそうな町も存在するが、合併や町名変更で一貫していないものが多い。
JR関西本線の前身は関西鉄道で、明治30年代には東海道本線と名古屋~大阪間でサービス競争を繰り広げていたが、「かんさい」と「かんせい」のどちらなのか、肝心の読み方は今も定まっていない。当時の社内文書でさえ揺れがあり、ルビが多かった明治期の新聞や雑誌が助けになりそうに見えて、残念ながら信頼度は低い。当時の実態としては、おそらく人それぞれで読んだのだろう。そもそも日本の国号からして「にほん」「にっぽん」の2通りというお国柄でもある。
それほど厄介な地名の読み方であるが、これまでの地図では難読地名のみにルビを振るのが原則であった。このため冒頭に挙げた「上田」のような地名を確実に読むことはできない。これまでの長い歴史の中で、総ルビの地図帳が少しはあっても良さそうなものだが、管見の限りでは実現していない。おそらくスペースの問題だろう。限られた地図の空間に少しでも多くの地名を載せるためにルビは大きな障害となるからだ。
それらの困難を克服して刊行されたこの『ふりがな日本地図帳』は、地名の読みを確定できるという見地からすれば、まさに快挙である。もちろん「言うは易く」で、いざ実際に地図にルビを詰め込んでみるとさまざまな困難が発生したらしい。まずは煩雑さを避けるべく、本体の漢字とルビの書体や大きさを検討し、配列については原則として横書きで統一した。前述の「ちょう」「まち」についてもすべて例外なく記載され、地名の性格――自治体と大字などの階層性や自然地名、名所旧跡などの性格によって色分けも行った。山河や海峡、島などを表わす自然地名は隣接する2県で読みが異なることも珍しくなく、その点は可能な限り地元の読みを探る努力を行った結果が表示してある。
少しでも多くの方がこの地図帳を手に取り、さまざまな地方色に彩られた日本の地名を、ぜひ声に出して読んでいただきたい。
(本書巻頭言を転載)