フードツーリズム:食べて終わりにならない物語経験とは?――『物語が生まれるフードツーリズム』
記事:明石書店
記事:明石書店
旅において、〈食〉が重要な位置を占めていることに疑いの余地はない。多くの旅行者が旅先でその土地ならではの〈食〉を楽しむことを期待しており、実際に〈食〉を目的として旅行先を選ぶケースも少なくない。日本においても、地域に根差した多様な食文化や食資源は、観光の大きな魅力となってきた。近年では、訪日外国人旅行者の増加に伴い、〈食〉はインバウンド観光においても主要な動機の一つとして位置づけられている。
こうしたなかで、フードツーリズムは、〈食〉を目的とした観光として広く展開されてきた。1970年代以降の旅行の大衆化とともに、地域の名物料理や特産品を楽しむことは観光の重要な要素として消費されてきた。その後、体験型観光の広がりや〈ご当地グルメ〉の展開を通じて、〈食〉は観光資源として活用されてきた。さらに、2020年以降の新型コロナウイルス感染症の拡大は、〈旅〉と〈食〉の関係に大きな変化をもたらし、オンラインを活用した非接触型の食体験や、地域食材を自宅で調理・共有する新しい形のフードツーリズムも生まれた。また、「誰と、どこで、何を食べるか」という関係性への意識が高まったことも、重要な転換点として位置づけられている。
こうした変化を受け、フードツーリズムにおいても、旅行者の経験に着目する必要がある。そこで本書では、フードツーリズムを以下のように定義する。
〈食〉が観光の目的になっていること、さらに〈食〉を通して、その場所の個性(テロワール)を感じられる旅。
従来のフードツーリズムにおいては、〈食〉は観光資源として提示され、旅行商品を構成する要素として位置づけられてきた。しかし、このような捉え方では、旅行者が〈食〉を通してどのような経験をしているのか、またその経験がどのように意味づけられているのかは十分に捉えられてこなかった。
そこで本書では、旅行商品(サービス)の一部として〈食〉を捉えるのではなく、地域に根差した〈食〉を通して、地域の物語とつながるツーリズムの展開を検討していく。地域に根差した〈食〉には、その土地の自然、歴史、文化、人びとの営みが内包されている。したがって、旅行者は〈食〉を通して、その背後にある地域の文脈や物語にアクセスすることが可能となる。
ただし、その物語はあらかじめ固定されたものとして存在するわけではない。〈食〉に付帯するストーリーは、メディアを介することで旅行者にとってアクセス可能となり、そのメディアを位置づける主体が存在する。
〈食〉がメディアになるか、ならないかにかかわらず、地域においては資源の創出や維持、保存など、さまざまな出来事が生じている。本書では、旅行者にとって潜在的領域にあった出来事を編集し、メディアを介して伝達できるストーリーとして顕在的領域に転置させるアクターを〈編集アクター〉と名づける。
ここまで、メディアとして〈食〉を位置づけること、物語経験とアクセス、そして物語経験におけるアクターについて整理を行ってきた。これらを踏まえて、本書は〈フードツーリズムにおける物語経験の展開プロセスモデル〉を提示する。
第1段階は、旅行者にとって〈食〉は消費の対象である。フードツーリズムの実践において、旅行者はまず顕在化している〈食〉そのものにアクセスしている。この段階では、旅行者は顕在的領域にある〈食〉や〈食〉そのものの魅力、たとえば美味しさにはアクセスできるものの、地域において生じている資源の創出や維持、保存などの出来事は、旅行者にとって潜在的領域にあり、アクセスすることができず、認知すらしない。ここでの旅行者の経験は、消費経験である。
第2段階では、〈編集アクター〉によって〈食〉がメディアとして位置づけられる。旅行者はメディアを介して、〈食〉に付帯するストーリーにアクセス可能になる。この段階では、旅行者はストーリーをモノローグ化したナラティヴとして受信しており、物語経験は実現しているが、そのレベルはまだモノローグレベルにとどまる。
第3段階では、メディアとして位置づけられた〈食〉が、付帯するストーリーと結びつき不可分な状態となり、さらに新たなストーリーが再構築される。ここで旅行者は、その再構築されたストーリーにもアクセスし、物語経験を実現する。この段階では、ストーリーはダイアローグ化したナラティヴとして交換され、旅行者と〈上演アクター〉との対話・共創が生じる。ここでの物語経験はダイアローグレベルである。
このように、フードツーリズムにおける物語経験の展開プロセスは、〈食〉が消費の対象であり〈ストーリーが発生していない段階〉、〈食〉がメディアになり〈ストーリーをモノローグ化したナラティヴとして受信している段階〉、〈食〉がストーリーを再構築し〈ストーリーをダイアローグ化したナラティヴとして交換している段階〉という3つの段階を経る。また、旅行者にとっても、消費経験、物語経験(モノローグレベル)、物語経験(ダイアローグレベル)と、その経験の内容が段階に合わせて変化する。
本書では、「フードツーリズムにおける物語経験の展開プロセスモデル」を具体的な事例を通して実証的に検討している。ケース・スタディⅠは海女小屋〈はちまんかまど〉(三重県鳥羽市)、ケース・スタディⅡは〈ビールスタンド重富〉(広島県広島市)、ケース・スタディⅢは〈暮らしの宿 福のや、〉・〈大野岳の麓 茶や、〉(鹿児島県南九州市)である。それぞれ、ナラティヴ・アプローチによる異なる分析手法(感想ノートの計量テキスト分析、会話分析、インタビュー調査のSCATによる分析)を用いて考察を行った。
さらに本書では、インタールードとして、〈ハートンツリー〉(北海道鶴居村)、〈茶舗焙焙焙〉(静岡県富士市)、〈えどがわメティ〉(東京都江戸川区)、〈リバーブックス〉(静岡県沼津市)の事例についても紹介している。これらは、理論と現場を往還しながら参照可能な知見を提供するという本書の構成において、重要な役割を担っている。
また、各ケースを通して、〈食〉をメディアとして位置づけるアプローチには、着目対象の転換と対象機能の拡張という2つのあり方が整理されている。
本書は、消費経験としてのフードツーリズムを否定するものではなく、物語経験へと段階的に展開するものとして捉え直している。第1段階では〈食〉は消費の対象であり、第2段階では〈食〉がメディアとして位置づけられ、第3段階では〈食〉が再構築されたストーリーの一部となる。そこでは、旅行者の経験もまた、消費経験から、物語経験(モノローグレベル)、さらに物語経験(ダイアローグレベル)へと変化していく。
そして、このモデルにおいて重要なのは、〈食〉が自然発生的にメディアに変容するわけではなく、〈編集アクター〉による意図的な行為があること、また最終段階では〈上演アクター〉と旅行者との対話や共創によって、ダイアローグ化したナラティヴが生成されることである。本書は、フードツーリズムにおける経験を、消費経験から物語経験へと展開するものとして捉え、その過程を段階的に整理しモデルとして提示した。この視点は、フードツーリズムに限らず、観光における経験のあり方を捉えるうえでも有効な示唆を与えるものである。