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敬虔に生きる他者から、私たちの自由を問い直す――『敬虔のポリティクス』より

記事:明石書店

ニカーブを着る女性(Elin Tabitha, Unsplash)
ニカーブを着る女性(Elin Tabitha, Unsplash)

 イスラームについて語るとき、私たちはしばしば2つの語り方をする。イスラームを厳格で不寛容な宗教とみなすか、反対に「私の知るムスリムは酒も飲む」と親しみやすい例外を強調するかである。一見正反対に見えるが、どちらもイスラームを、自分たちの日常から切り離された「遠い他人事」として捉えている。

 サバ・マフムードの『敬虔のポリティクス』は、こうした語り方とは異なる仕方で、敬虔に生きる人々の実践を理解しようとする。本書が描くのは、1990年代のカイロで、モスクの講義に参加し、礼拝や服装、日々の振る舞いを通じて、より敬虔な自己になろうとする女性たちである。マフムードは、その実践を抑圧への隠れた抵抗や近代的な自己表現として読み替えようとはしない。むしろ、そのような読み替えをしなければ彼女たちを主体として理解できないのはなぜかを問い、私たち自身の自由観や人間観を問題にするのである。

リベラルな主体を問い直す

 1970年代以降、イスラーム世界では、ヴェールを着用する女性の増加やモスクでの学習活動の広がりなど、宗教実践が目に見えるかたちで活発化した。こうした「イスラーム復興」は、原理主義や女性抑圧の表れとみなされる一方、近代的なアイデンティティの表現や、女性自身による主体的な選択としても説明されてきた。

 後者の説明は、ムスリム女性を一方的な犠牲者として描く見方を退けた点で重要である。しかしマフムードは、宗教実践を自己表現や自由な選択として捉えることも、彼女たちをリベラル・フェミニズムが主体的とみなしてきた女性像へと置き換えてしまうのではないかと問う。本書が目を向けるのは、行為の背後に隠れた自由や抵抗ではなく、女性たちが宗教的規範に従いながら、どのような自己になろうとしているのかである。

 ここで用いられているのは、他者の実践を私たちに馴染みのある概念へと回収するのではなく、その理解しがたさを手がかりに、理解する側の前提を問い返すという、人類学が長く培ってきた他者理解の方法である。異なる社会の人々の生を知ることを通じて、自由な意思によって規範を選び、必要ならばそれに抵抗する人間こそが主体的であるという前提を問い直すのである。

敬虔さの意図せざる帰結

 私たちは、祈るのは信仰心があるからだと考えがちである。まず内面に意思や感情があり、行為はそれを外に表すものだというわけである。

 しかし、本書に登場する女性たちは、祈りたいという気持ちが生じるのを待って礼拝するのではない。そうした感情が十分でないときにも礼拝を繰り返し、身体や言葉を訓練することで、祈りを望む自己になろうとする。神への畏れも、行為を引き起こす感情であるだけでなく、実践によって涵養される感情である。行為は心の表現であると同時に、心をつくる手段でもある。

 マフムードは、こうした自己形成を受動的な服従とは捉えない。主体性を規範への抵抗と同一視せず、人が何かをなしうる力が、規範との関係のなかでどのように身につけられるのかに注目するのである。たとえば本書には、イスラームの規範を守らない夫に対し、妻が宗教的な正当性に訴えて要求を退ける事例が登場する。妻は夫婦関係やイスラームの規範そのものを覆そうとしているわけではない。それでも、敬虔に生きるために身につけた知識や振る舞いが、男性中心的な慣習を揺さぶる力を彼女に与えている。

 このように、抵抗を目的としない実践が、意図せざる政治的効果を生むことがある。本書の題名にいう「敬虔のポリティクス」とは、信仰が政治運動の道具になるという意味だけではない。敬虔な自己を形成しようとする営みが、当人の意図を越えて、周囲との関係や社会のあり方に変化をもたらすことを指しているのである。

2026年の日本で

 本書は、2001年の米国同時多発テロ事件以降、欧米社会で深刻化したイスラーム嫌悪に対抗する問題意識をもって書かれた。それから20年以上を経た日本でも、移民やムスリムを社会の脅威として語り、排斥をあおる言説が目立つようになっている。他方で、ムスリムを「私たちと同じ」存在として紹介するだけでは、敬虔に生きようとする人々の実践は、依然として理解の外に置かれかねない。本書は、イスラームを単純な脅威として捉える見方にも、私たちに馴染みのある姿へと置き換える理解にも抗い、異なる生のあり方と向き合うための視点を与えてくれる。

 同時に、本書の射程はイスラーム理解にとどまらない。本書は、イスラームを無条件に擁護する護教論ではない。また、西洋近代の自由や解放の理念を切り捨て、あらゆる規範を文化の違いとして無批判に容認する文化相対主義に立つものでもない。本書の議論を、規範への服従そのものを肯定するものとして、日本社会の性差別的な慣習などに援用すれば、現実の抑圧を正当化することになりかねない。むしろ本書が試みるのは、リベラル・フェミニズムが何を自由や解放とみなし、どのような女性を主体的であると評価してきたのかを、その内部から問い直すことである。

 重要なのは、本書から便利な答えを取り出すことではなく、自由や解放、主体性を判断する私たち自身の基準が、どのような歴史的・政治的条件のもとで形づくられてきたのかを問い直すことだろう。『敬虔のポリティクス』は、イスラームについての理解を深めると同時に、西洋近代が形づくってきた人間観と、それを自明視する私たち自身の立ち位置を揺さぶる一冊なのである。

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