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日本の中の「外国」 国際文化交流について考える 紀伊國屋書店員さんおすすめの本 

記事:じんぶん堂企画室

モスク「東京ジャーミイ」での礼拝を見学するツアーの参加者ら(2015年12月朝日新聞社撮影)
モスク「東京ジャーミイ」での礼拝を見学するツアーの参加者ら(2015年12月朝日新聞社撮影)

日本に暮らすムスリムたち

 「早くあなたに素敵なパートナーが見つかることを、今日のお祈りでアラーに祈ります」

 ある日、インド・バングラデシュ料理店でランチにカレーを食べながら、若いシェフと雑談していたときのことだった。彼から自然に発せられた言葉に私は少し面食らってしまい、ナンをちぎる手を止めた。少し前に「誰かいい人がいたら紹介してくれませんかね」と軽口を叩いたところだった。

 私が「少し詳しく聞かせてほしい」と頼むと、彼はたどたどしい日本語で、しかし猛然とした勢いで語ってくれた。都内の大きいモスクに時々お祈りをしに行くこと、そこで友人と会うのがとても楽しみなこと、ラマダーン期間中の断食はおなかが空くけれど、その後のお祭りで盛り上がること……。言葉の端々から、彼の日常生活に宗教がしっかりと根ざしていることが伝わってくる。イスラムについての解像度を上げるべく、自分でも調べてみることにした。

 『お隣りのイスラーム 日本に暮らすムスリムに会いにいく』(紀伊國屋書店)は、日本に暮らすムスリム(イスラム教徒のこと)へインタビューを行い、彼ら・彼女らのライフストーリーを記録した本である。日本での生活様式やイスラムへの向き合いかたもさまざまで、職業も国費留学生、社長、ジャズシンガーなど幅広い。自国の文化紹介に熱を注ぐレストランオーナーから、「いつかは帰りますよ」とさっぱりしたビジネスマンまで多種多様だ。女性もヒジャブ(髪をおおう布)を被る人、被らない人、少し前から被るようになった人など、人によりけりである。

 この原稿を執筆中に、タリバンがアフガニスタンの政権を掌握したという衝撃的なニュースが飛び込んできた。現在は世界人口の約2割がムスリムと言われ、コロナ禍前までは、日本でも観光客のヒジャブ姿を目にする機会が着実に増えていた。このなかで「イスラム=中東、なんだか怖そう」といった単純な見方をする人はさすがに減ったと思われるが、「お隣りのイスラーム」は「ムスリムにもいろいろな考え方の人がいる」という当たり前の事実に気づかせてくれる。

在日外国人コミュニティから見えてくる日本の問題点

 『日本の異国 在日外国人の知られざる日常』(晶文社)も「お隣りのイスラーム」と同様に日本に暮らす外国人についての記録だが、こちらは場所にフォーカスが当てられている。ミャンマー人の多さから「リトル・ヤンゴン」と呼ばれる高田馬場や、クルド人難民が肩を寄せ合う埼玉県蕨市、通称「ワラビスタン」。韓国人街のイメージが強い新大久保は、今やベトナム人向けのフリーペーパーが発行されていたり、「イスラム横町」と呼ばれる通りができたりと、カオス度が一段と高まっている。本書ではインタビューを通じて、近年さらに存在感を増す外国人コミュニティの成り立ちを浮かび上がらせている。

 コミュニティに注目すると、外国人を受け入れる日本側の問題点も明らかになってくる。とあるネパール人コミュニティの重鎮は、「日本で何年も勉強しても、就労ビザが取れずに仕方なく帰国する若者が多い」と嘆く。たとえ運良く総合職で採用されても、倉庫整理などの単純作業しか割り当てられないケースも数多くあるという。優秀で意欲のある留学生が日本を素通りしてしまう現状に、著者は「これは日本にとっても大きな損失なのだ」と主張する。

 日本に暮らす二世や三世もさまざまだ。ターバンを巻いてシーク教徒のコミュニティの中心的役割を果たす19歳のインド人がいる一方、神奈川県大和市に暮らすラオス人の子供たちは、日本の学校に日本人と同じように通い、すっかり溶け込んでいるという。「せめて文化や言葉を学んでほしい」と移民一世である親たちは願い、その際に重要な役割を果たすのが宗教施設や文化センター、各国に根ざした祭の存在だ。池袋のボイシャキメラ(ベンガル語の「正月」)、練馬区光が丘のハワリンバヤル(モンゴル語の「春祭り」)をはじめ、日本人にも開かれているようだ。今は本で世界を広げ、コロナ禍が明けたらぜひ訪れてみたい。

国際文化交流を実践する人々の奮闘

 国際交流基金の報告書(「21世紀、新しい文化交流を」2010年)によると、文化交流は「現象としての文化交流」と「事業としての文化交流」に大別できるという。前者は人の移動などによる自然発生的なもので、先に紹介した二冊の本はこちらを描いたものだ。後者は政策などの主体的な活動によるものを指し、『国際文化交流を実践する』(白水社)はまさに、国際交流基金による「事業としての文化交流」をまとめたルポルタージュだ。

 国際交流基金は「日本の友人をふやし、世界との絆をはぐくむ」ことを掲げる独立行政法人で、国内外の日本文化関連イベントの支援や、日本語教師の派遣などを行う。文化イベントというと華々しいイメージだが、職員が歩んできた道筋は必ずしも平坦なものではなかった。限られた予算・時間の中で、いかにイベントを成功させるか。現地の人々が本当に求めているものは何か、熟慮の上で行動することが求められた。

 例えば、オーストラリアの日本映画祭は今でこそ数万人規模の集客を誇る大イベントだが、開催当初からしばらくの間は、固定メンバーだけが集う閑散としたものだったという。そこで利便性のよい会場を借りるために何度も足を運び、地元の運営スタッフとの協議を重ね、効果的な広告を打ち……、といった地道な努力の末に初めて、イベントは成功を迎えるのだ。本書には、日本にいる私たちが知り得ない職員の奮闘が生き生きと描かれている。

 また、職員は時々刻々と変化する情勢やニーズへの対応にも迫られる。ある年にはタイのクリエイティブ・デザインセンターへ日本の防災の展示企画を持ち込んだものの、センター側の反応はそこまで大きいものではなかった。しかし2011年のタイ洪水を経て防災への関心が高まり、対応は一変。あらためて企画したイベントは大成功を収めた。その後、展示を訪れたアメリカのデザイナーの目に留まり、最終的にはニューヨークの名門・パーソンズ美術大学の特別講義に「防災とデザイン」が取り入れられるなど、広がりを続けているさまはとても興味深い。

 本書のあとがきでは「公共政策として国際文化交流事業を企画するJF(Japan Foundation=国際交流基金)職員は自らの行為について自省・自戒の念を持ち続けるべき」と述べられている。本書では全編を通して、クールジャパンを押し出す日本の外交政策と、目先の利益を求めないという文化交流の原則の間で舵取りを求められる職員の難しい立場が伝わってくる。さらにコロナ禍という前例のない社会情勢のなかで、新たな交流の形を模索する職員の皆さんにささやかながらエールを送りたい。

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