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規範と差別の関係について──「さす九」という言葉から(前篇)

記事:春秋社

正義の女神(部分)
正義の女神(部分)

はじめに

 「さす九」という言葉をご存じだろうか。

 「さすが九州(または九州男児)」の略語で、九州地方にいまだ根強いとされる男尊女卑の風潮や、九州出身者による性差別的な言動などを言挙げし皮肉るネットスラングだという。この言葉が広まった経緯を少し調べてみると、2023年頃から主にSNS上で使われ始めたようで、法事の際に女性がひたすら給仕役をさせられたといったエピソードに対し、「さす九」とひと言コメントするのが典型的な使い方のようだ。24年にはそうしたやりとりがバズったり、ハッシュタグも作られるようになって拡散し始め、25年になるとこの言葉が新聞やテレビでも話題にされるようになって、ある程度社会的に認知されたらしい。

 私自身は福岡市内の大学に10年以上勤務しているが、元々は関東の出身で、こちらに来てからそうした言動を実際に見聞きしたことは何度かあったと記憶するものの、それが九州に著しいものだとはあまり意識していなかった(それはおそらく、私が男であるため気づきにくくなっていたということでもあるのだろう)。

 ところで(われながら強引な展開だが)、私は最近、『規範と人間』というタイトルの本を出した。哲学・倫理学分野の(一応)専門書で、広い意味での「規範」が私たちのものごとの見え方やふるまい方(つまり知覚や行為)に常に何らかの仕方で関わっており、そのようなものとしての規範は「人間的である」ことにとって本質的だ、といったことを主張した。そこでこの「規範」という観点から、「さす九」という言葉をめぐる諸事象がどう捉え直せるのかを考えてみることで、私の本の議論の射程(やその限界)を紹介できるのではないかと思った次第だ。

新しい言葉で見え方が変わる

 私は本を書き進めるにあたり、その草稿を使って大学で随時講義をしてきたが、受講者には毎回質問・感想を書いて出してもらい、次回授業でそれに回答・コメントするというやりとりを繰り返した。回答をあれこれ考える作業は、原稿の改善にも、また自分の考察を深めるにも大いに役立ったが、そこでの意見に先の「さす九」の事例を挙げてくれた人がいた。

 その人も関東出身で、大学進学を機に福岡に来たそうだ。「さす九」という言葉を知るまでは、男女の役割に関する地域特有の価値観をあまり意識したことはなかったが、しかしこの言葉を知ってから、九州に残る男尊女卑的な考え方に前よりも気づくようになったという。そして、そうした現象自体は以前から存在していたはずのものだが、自身が「さす九」という概念を知ったことで、それまで見過ごしていたその種の出来事をそれとして認識できるようになった、と書いてくれた。──この一連の経験は、私が論じた「規範」という観点からは以下のように捉え直せると思う。

 まず、「規範」の私なりの定義としては、「ものごとのあるべきあり方や人間がなすべきことがらを示す何か」である。私たちはこうした規範を何らかの形であらかじめ理解しているからこそ、あるべきこと・なすべきこととそれ以外のこととを区別・識別できるのであり、その意味で規範は、一定の強制力をもった規準・目安として人間自身のものごとの見え方やふるまい方(知覚や行為)を規定している。そして私としては、この広い意味での「規範」には、「規則」「価値」「意味」「概念」といった様々なものが含まれると考えている(詳細は本の「序論」を見てほしい)。

 さて、そこからすると、先の受講者は世に広まりつつあった「さす九」という言葉・概念(という規範の一種)を知ったからこそ、その理解の下で「さす九」的な出来事がまさにそう記述されるべきものとして見えてくるようになった、ということになる。私たちは、目の前の出来事をまずは価値中立的にありのままに見ているとつい考えがちだが、日常的には既知の概念や価値観(という規範)にそれとなく規定されて、はじめから一定の意味や価値のある出来事として見えてきてしまっているのではないか。そして「さす九」という新しい言葉・概念は、それを受け入れた人たちの「ものごとの見え方」を少し変えたのだと言ってもよい。

新しい言葉が受け入れられるには

 またそこでさらに注意したいのは、新しい言葉が受け入れられるには、それなりの納得性が必要だという点だ(言葉自体の面白さや使い勝手のよさなども重要な要因だとは思うが)。「さす九」で言えば、その言葉を知る以前から、男尊女卑的な価値観(これ自体も一定範囲の人々に共有されていると思しき規範の一種だが)や言動を様々な機会に(それとしては意識されずとも)見聞きしてきたといった経験がある人たちにこそ、そうした経験を適切に言い当ててくれる概念として受け入れられたのだと推測される。

 「さす九」をめぐるネット上の議論を見てみると、「そんなことはない」といった反発も見受けられるが、少なくとも自身の実際の経験を的確に汲みとってくれる言葉として受けとった人たちが一定数いたというのは事実であり、少なくともその限りにおいては、「さす九」的な価値観(規範)や言動も現に存在してきたのだと言ってよいのだと思う。

 ただ、また別種の反発として見逃すことができないのは、この「さす九」という言挙げ自体が、九州地方の人々に対する別の新たな偏見や差別を助長しかねない、という懸念だ。男尊女卑的な価値観は昔からどの地域にも様々な形で存在していたはずで、それをことさら九州特有のものだと名指すことは、男女差別とはまた別の地域差別になってしまうのではないか。これは、「差別に対抗する言説が別種の差別を招く可能性」を指摘するものだと思うが、こうしたことについて私の議論からはどんなことが言えるだろうか。もう少し考えてみたい。(つづく)

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