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『8番出口』のピンポンは、なぜ主人公に聞こえないのか?

記事:白水社

『サイコ』『シャイニング』から『8番出口』『バックルームズ』まで──『ホラー映画のサウンドスケープ 〈否定の音楽〉論』(木石岳著)。映画音楽の分析に「憑在論(ホーントロジー)的転回」をもたらす、新時代のホラーを楽しむための入門書。
『サイコ』『シャイニング』から『8番出口』『バックルームズ』まで──『ホラー映画のサウンドスケープ 〈否定の音楽〉論』(木石岳著)。映画音楽の分析に「憑在論(ホーントロジー)的転回」をもたらす、新時代のホラーを楽しむための入門書。

同じ音が、途中から客席の側で鳴りはじめる

 『ホラー映画のサウンドスケープ』のページ番号は、「00:01:88」のようにビデオのタイムコードの形で刷られています。本を一本のテープに見立てたためです。『8番出口』を論じた節は、第三部第二章「リミナルスペースの音景/夜のなかの夜」のなかに収録されています。

『ホラー映画のサウンドスケープ』188ページはこのように表記されている。
『ホラー映画のサウンドスケープ』188ページはこのように表記されている。

 この節を読むには、音の置き場所をあらわす二つの用語を押さえておくと便利です。

 ダイエジェティック音は、物語の世界の中で鳴っていて、登場人物にも聞こえている音のこと。

 ノンダイエジェティック音は、劇伴のように観客にしか聞こえない音のことです。

 映画の冒頭、地下鉄の構内で鳴る盲導鈴は前者で、主人公も観客も同じ音を聞いています。ところが主人公が地下通路のループに迷いこむと、盲導鈴は音程を変えて後者の側へ移ります。主人公の耳には届かず、客席にだけ鳴り続けるのです。

 著者はこのずれを、ボルヘスの言葉を借りて《夜のなかの夜》と呼びます。歪んだ音が私たちの側で鳴っているのなら、虚構の中にいるのは私たちのほうかもしれない。

 以下、本文からお読みください。

木石岳著『ホラー映画のサウンドスケープ 〈否定の音楽〉論』(白水社)は、ホラー映画にひそむ現代音楽の手法を解剖する一冊です。譜例やスペクトログラム図版、その場で音を再生できるQRコード付き。
木石岳著『ホラー映画のサウンドスケープ 〈否定の音楽〉論』(白水社)は、ホラー映画にひそむ現代音楽の手法を解剖する一冊です。譜例やスペクトログラム図版、その場で音を再生できるQRコード付き。

 

本書より 『8番出口』

 リミナルスペースが「変になじみがある」というのは、私たち観客に不安だけでなくメランコリーも同時に引き起こすもので、もちろん音楽においても同様の効果が生み出されている。

 バックルームに影響を受けたゲームの映画化作品『8番出口』(川村元気かわむらげんき監督)を例にとろう。出勤中のある男(二宮和也にのみやかずなり)は電車を乗り換えて駅構内を歩く。恋人と電話しながら構内を歩くうちに気づくと自分以外に人はいなくなり、見覚えがない(がどこにでもありそうな)地下通路を彷徨うことになる。地下通路はいくら進んでも永遠にループし、そのつど何らかの異変があったりなかったりするのだが、男は異変を見つけることでこのバックルームを攻略しようとする。

映画『8番出口』予告 

 男が新たなループに入るとき、730ヘルツと581ヘルツ付近(F#とその下のDに近い)による、たった二音のモチーフが流れる。視覚障害者用の聴覚的誘導音(盲導鈴もうどうれい)を彷彿させるこのモチーフは、日本で電車を利用する人にとって、あまりにも馴染みのあるサウンドマークであり、聴覚的に「変になじみがある」空間を生み出す演出に貢献している。

 1976年に点字図書館などからはじまって徐々に全国の駅構内にまで設置されるようになったピンポン音は、770Hzと640Hzの組み合わせで短三度に近い音程だが、『8番出口』では長三度にアレンジされている。また、一部のモデルのエレベーターでも長三度のチャイムが到着音に設定されている。

なぜ、あの音は怖いのか? 駅の盲導鈴(左)と映画『8番出口』の誘導音(右)を周波数で並べると、短三度が長三度に変わっている(数値は本書188ページより。右下の「00:01:88」は、この箇所が載っている本書のページ番号)。
なぜ、あの音は怖いのか? 駅の盲導鈴(左)と映画『8番出口』の誘導音(右)を周波数で並べると、短三度が長三度に変わっている(数値は本書188ページより。右下の「00:01:88」は、この箇所が載っている本書のページ番号)。

 たとえば、原作ゲームの異変モデルの一つとなった清澄白河駅きよすみしらかわ構内の三菱エレベーターはGとその下のE♭による長三度のチャイムが採用されている。中田なかたヤスタカによるこの日常音の異化は、おそらく、ノンダイエジェティック音楽として歪んだ「出口」を象徴している。映画の冒頭(普通の地下鉄の描写の場面)からすでに効果音として(普通の)盲導鈴は何度も流れているので、途中で、音の異変に私たち観客も容易に気がつくだろう。男が通路がループしていることに気がついて立ち止まり、カメラが「出口8」の案内を大きく映し出す場面で初めてこの異化された盲導鈴の音楽が挿入される。

 この音楽はダイエジェティック音がある地点からノンダイエジェティック音にすり替わり、それと同時に登場人物も物語内の物語(リミナルスペース)へと移動する。

盲導鈴はリミナルスペースを経由して歪んだあと、ノンダイエジェティック空間へと流れる。(本書189ページの図)
盲導鈴はリミナルスペースを経由して歪んだあと、ノンダイエジェティック空間へと流れる。(本書189ページの図)

 図に示したように、最初、物語と音楽は同じレイヤー(地下鉄構内=ダイエジェティック音)に同居しているが、登場人物がリミナルスペースに入り込むと、音楽はリミナルスペースについてくることなく、私たち観客と同じ世界(ノンダイエジェティック)へと離れて距離を置く。だが、これはただの劇伴音楽ではない。先ほどまで登場人物と同じ視点で聴いていた音楽とそっくりだからだ。先ほどまで普通だったピンポン音は、今ではまるでリミナルスペースを経由してから私たちのところへ流れているように、歪んできこえる。しかしながら登場人物にこの音は聴こえていないようなので、ノンダイエジェティックな音なのだ。

 私たち鑑賞者が住む世界は、もちろん物語世界(ダイエジェティックな空間)よりも上位のレイヤーにある。しかしここでは、なぜかリミナルスペースと同じレイヤー上に現実世界(ノンダイエジェティック音)が存在するように聴こえる。それゆえ、ボルヘスが言うように、「観客であり読者であるわれわれが虚構の存在であることもありえないことではない」と思わせるのだ。この聴覚上の錯覚こそが《夜のなかの夜》だ。「最悪の〈幽霊〉はすでに内側にいて、本当の〈恐怖〉はすでに内側にある……(それ以上に最悪なことはありえない)」。

  

【本書 第三部第二章「リミナルスペースの音景/夜のなかの夜」188〜190ページより】
 註と、音源を再生できるQRコードは省略しました。
 本書では『8番出口』のテーマ曲をQRコードからその場で聴くことができます。

 

木石岳著『ホラー映画のサウンドスケープ 〈否定の音楽〉論』(白水社)目次
木石岳著『ホラー映画のサウンドスケープ 〈否定の音楽〉論』(白水社)目次

📢 木石岳さんトークイベント開催(2026年9月27日)

 国書刊行会と白水社が、合同で大型の販売会を開きます。両社の本をほぼ全点、実際に手に取って選び、その場で購入できます。会場限定のコラボグッズ(トートバッグ、ブックカバー)やサイン本、在庫僅少本も並びます。初日から、配本されたばかりの本書も会場に並びます。

 

国書刊行会✕白水社 合同書籍販売会

日程:2026年9月26日(土)10:00〜18:00/9月27日(日)10:00〜16:00
会場:国書日本語学校 小豆沢校舎(東京都板橋区小豆沢2-9-19)
最寄り駅:都営三田線「志村坂上」駅 A1出口より徒歩6分
※キャッシュレス決済のみ。現金は取り扱いません。

木石岳 トークイベント(『ホラー映画のサウンドスケープ』刊行記念)
登壇:木石岳
日時:2026年9月27日(日)14:00〜
会場:同上
入場無料(座席は先着順)木石岳 トークイベント(『ホラー映画のサウンドスケープ』刊行記念)
登壇:木石岳
日時:2026年9月27日(日)14:00〜
会場:同上
入場無料(座席は先着順)

▶国書刊行会✕白水社 合同書籍販売会のお知らせ(白水社)

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