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大庭葉蔵は自分に似ている ホラー漫画の鬼才・伊藤潤二さん「人間失格」完結

文:朝宮運河、写真:松嶋愛

 昨年画業30周年を迎えた、ホラーマンガの第一人者・伊藤潤二さん。その最新作は文豪太宰治の代表作『人間失格』のマンガ化でした。他人の目をおそれ、懸命に「道化」を演じて生きる主人公・大庭葉蔵。太宰が追求した自意識の地獄が、ホラーテイストを盛りこんで傑作マンガとして蘇りました。7月30日、完結編となるコミックス第3巻が発売されるのに合わせ、伊藤さんにお話を聞きました。

――『人間失格』完結おめでとうございます。そもそもホラーマンガ家である伊藤さんが、太宰作品をマンガ化しようと思ったのはなぜですか?

 「ビッグコミックオリジナル」の担当さんから、新境地として文学ものをやりませんか、と提案されたのがきっかけです。「オリジナル」の読者は大人の男性が多いので、少女向けホラーとは違う作風を目指しましょうと。8年ほど前、「ビッグコミック」で佐藤優さん原作の『憂国のラスプーチン』という作品を描かせてもらったんですが、あれに近い路線ですね。

――原作を太宰にしようというのは、伊藤さんのアイデアですか?

 もともと「人間失格」を発案したのは編集長さんだったと記憶してますが、文学青年だった担当さんにとっても太宰は重要な作家だったのでノリノリで提案されました。僕は太宰というと『走れメロス』くらいしか知らなかったんですけどね、読んでみたら面白くて、ぜひやってみたいなと思いました。他にも宮本輝の『錦繍』とか、中井英夫の『虚無への供物』とかおすすめを送ってもらったんですが、『人間失格』が一番しっくりきたんですよ。

主人公の性格に共感した

――『人間失格』のどのあたりが琴線に触れたのでしょうか?

 大庭葉蔵という主人公の性格ですね。葉蔵は人間恐怖症で、他人の前では本心を隠して道化を演じていますよね。こういうところ、自分にもあるなあと共感したんです。僕も性格が暗いですから(笑)。思春期の時期が特にひどくて、自分を明るく見せようとよく冗談を言ったりしていました。今思うと無理しているのがバレバレだったと思いますが……。葉蔵が竹一という同級生に本性を見抜かれて、「ワザ、ワザ」(「わざと」の意)と指摘されるシーンはいたたまれなかったです。

『人間失格』1巻より Ⓒ伊藤潤二・小学館
『人間失格』1巻より Ⓒ伊藤潤二・小学館

――葉蔵は絵を描くのが得意で、上京後はマンガ家として収入を得ています。そのあたりも共感できたポイントでしょうか。

 そうですね。原作にはゴッホやモディリアーニの絵が「お化けの絵」として出てきますし、怯えやすい人間ほど恐ろしい妖怪を見たがるものだ、という文章もあって、その通りだなあと思いました。僕も子どもの頃は、怖がりのくせにお化けの絵をよく描いていましたから。マンガ版には葉蔵が描いたというお化けの絵を載せていますが、あれは太宰が描いた油絵をヒントにしたものです。なかなかシュールで、不気味な絵なんですよ。

円朝の落語を参考に

――葉蔵の半生を描いた原作をなぞりながら、血みどろの殺人や亡霊の出現など、随所にホラー的なエピソードを盛りこんでいます。

 ホラーマンガ家の僕が描くわけですから、読者の期待には応えたいなと。とはいえ、あまり原作を離れるのも意味がないので、微妙なさじ加減に気をつけながら描いています。基本的には原作の人間ドラマを膨らませて、ホラーな要素を加えていった感じです。物語を作るうえで参考になったのは、三遊亭円朝(1839~1900)の落語なんですよ。怪談の名人と言われる明治の落語家ですが、怪談といってもメインは仇討ちなどの人間ドラマで、そこに幽霊話が絡んでくるという作り方なんです。

――なるほど、円朝でしたか。殺した同級生にそっくりの赤ん坊が生まれてくる、というエピソードも、いかにも怪談らしい因縁話ですね。

 ええ。あそこは有名な『真景累ヶ淵』を下敷きにしています。実はこれまで幽霊の出てくるホラーってあまり描いていないんですが、文学作品でゾンビや怪物を出すわけにいきませんし、「人間ドラマ+亡霊」という話になっています。

――心に弱さを抱えた葉蔵は、女性たちを惹きつけ、刹那的な関係を結んでいきます。可憐なヒロインが次々と登場するのも楽しいですね。

 葉蔵ってひたすら女にモテまくるんですよ。そこだけは僕との大きな違いです(笑)。いろんなタイプのヒロインが描けたのはよかったですが、昭和初期の話なので髪型や服装のバリエーションに制約があって、苦労しました。僕はロングヘアーが好きなんですが、この世界に出すと違和感があるんですよね。気に入っているのは3巻で再登場して葉蔵を苦しめる、ある女性キャラです。無垢なヒロインよりも、男を狂わせてしまう悪女の方が、ホラー的には描いていて面白いんですよ。身近にこんな子がいたら大変でしょうけどね。

――第2巻で自殺を図った葉蔵は、地獄に落ちてゆくすさまじい幻覚に苦しめられます。原作にないこの幻覚シーンは中盤のクライマックスですね。

 この地獄巡りのシーンは、自分でもよく描けたなと思います。葉蔵の中には禍(わざわい)の塊が10個埋まっているという文章が原作にあって、これは使えそうだなとチェックしていました。葉蔵の人生を縛っているものが次々と口からあふれて、最後には父親との関係が残る。葉蔵があんな性格になったのは、父親との関係が大きいと思うんですよね。太宰治は子どもの頃、地元のお寺にあった地獄の絵をよく見ていたそうで、そのイメージも盛りこんでみました。

『人間失格』2巻より Ⓒ伊藤潤二・小学館
『人間失格』2巻より Ⓒ伊藤潤二・小学館

最終巻には驚きの展開が

――7月30日には完結編となる第3巻が発売されます。精神科病院に入れられた葉蔵が太宰治本人と対面する、という驚きの展開を含んでいます。

 精神科病院では葉蔵の人生を変えるような出会いをさせたかったんです。いろいろ考えたんですが、太宰本人しかいないんじゃないかなと。打ち合わせしていて担当さんとほぼ同時に、「太宰にしましょう」と言った覚えがあります。原作にない展開なので、太宰ファンの皆さんに怒られないか心配ですが、編集部は「面白ければどんどんやれ」と後押ししてくれたので心強かったです。

――原作のテーマや雰囲気を保ちつつ、ホラーマンガとしても楽しめるという、素晴らしいコミカライズだと思います。

 そう言っていただけると嬉しいです。僕自身、原作の味わいはすごく大事にしたつもりなので、『人間失格』を知っている人も知らない人も、手に取ってもらえると嬉しいです。先日太宰のお墓に行って、「好き勝手描いてしまってごめんなさい」と頭を下げてきました。

『人間失格』3巻より Ⓒ伊藤潤二・小学館
『人間失格』3巻より Ⓒ伊藤潤二・小学館

――(笑)。連載を終えた今、あらためて大庭葉蔵とはどんな人物だと感じていますか?

 他人の視線が怖くてたまらなくて、その結果嘘を重ねて、関わる人たちを不幸にしてしまう人だと思います。自分のことで精一杯で、ある意味すごく自己中心的ですよね。つき合いの長い編集さんは「葉蔵に共感できる伊藤さんも自己中なんじゃないですか」と笑っていましたが、『人間失格』に惹かれる人はみんなそういう部分を秘めているんじゃないでしょうか。

デル・トロ監督が会いたいと言ってきた

――近年では海外でも展覧会が開催されるなど、伊藤ファンの輪は全世界に広がっています。映画「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督も、伊藤さんのホラーが大好きだとか。

 ツイッターでもいろんな国の方が「ファンです」とフォローしてくれるので、なんだか不思議な気がします。僕が描いているマンガは、ビジュアルでぱっと怖さやイメージが伝わるので、言葉の壁に関係なく楽しんでもらえているようです。デル・トロ監督は20年近く前に、僕の知り合いを介して「来日しているから会えないか」と連絡をもらったことがあるんですよ。そのときは忙しくてお断りしたんですが、当時から日本のホラーマンガまでチェックしていたなんてつくづくすごい人だと思います。

――気になる次回作の構想は?

 「オリジナル」ではまた文学作品のマンガ化に挑戦する予定で、目下原作を選んでいるところです。それとこれまで小学館のマンガ誌に発表してきた短編をまとめた、ホラーマンガ傑作選を年内に出す予定です。単行本に初収録される作品も多いので、こちらもどうか楽しみにしてください!