人間はどうしても抗えない衝動というものがある。つい数秒前まではそのことについて何も考えていなかったのに、ひと度思い浮かべてしまったが最後、脳みそを支配されてしまうのだ。
餃子を食べたい。
鉄板の上でジュウジュウと鳴いている焼餃子を待ちながら冷えた瓶ビールをちびりちびりとやる。焼き上がった上がったきつね色の餃子を酢醤油とラー油の小皿で泳がせたあと間髪入れずに口に放り込み、溢れ出す肉汁に狂喜したあとビールで流し込む。これに匹敵する幸せが人生にどれほどあるだろうか。餃子……ああ餃子。
どうですか? もう餃子のことしか考えられないでしょう?(ちなみに、カレーや深夜のラーメンにも同じ魔力がある)
人生で一番美味しい餃子は決められないが、一番思い出に残っている餃子はある。地元大阪の茨木市にあった「ハルピン」という店だ。十代の頃に通っていた。常連というわけではなく、どうしても餃子を食べたくなったときに、“渋々”と行く店だった。めちゃくちゃ美味いが、めちゃくちゃ店の雰囲気が悪いのだ。
店はカウンターだけ。初老の夫婦が経営しているのだが、とんでもなく仲が悪い。いつ行っても大喧嘩の真っ最中である。「ハルピン」は手作りが売りなので、注文が入ってから店主のオヤジさんが粉を捏ねて伸ばして餡を包む。できあがった餃子はほどよい小ぶりで皮がモチモチででつるんと喉を通り、永遠に食べ続けられる逸品だ。しかし、夫婦喧嘩がヒートアップするとブチ切れた店主のオヤジさんが、包んでいた餃子を途中で放り出して店を飛び出していく。
残された客とカウンターの中でブツブツと文句を垂れている店オバさん。店主がいつ帰ってくるかわからないので、さっさと帰ればいいのだが何せ脳みそは餃子に支配されている。この近所で「ハルピン」より美味い餃子屋がないのがさらなる悲劇を生んでいるのだ。まさに、餃子の放置プレイである。
「ハルピン」はお持ち帰りもやっているので、店内で待っている客の他に次々と新規の客が訪れる。持ち帰りの客も慣れたもので、コンビニで漫画雑誌を買ってきたりしてオヤジさんが帰って来るのをのんびりと待つ。数十分後、頭を冷やしてきたオヤジさんが帰ってきて何事もなかったように餃子を包み出す。客たちはやっと餃子にありつけると、そっと安堵のため息を漏らすのであった。
その後、「ハルピン」は閉店した。
今年の年明け、地元に帰省した際、茨木の隣街の高槻の繁華街をうろついていた俺は、「はるぴん」と平仮名の看板を見つける。とても仲の良い若夫婦が経営していた。水餃子は優しい味だった。俺は瓶ビールを飲みながら、少し寂しさを覚えた。