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ドニー・アイカー「死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相」 ソ連の不可解な遭難事件

文:朝宮運河

 ドニー・アイカー『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』(河出書房新社)は、冷戦下のソ連で起こった未解決事件の真相に迫ったノンフィクションである。
 1959年2月、ウラル山脈ホラチャリフ山で、ウラル工科大学のトレッキング部員、イーゴリ・ディアトロフを中心とした男女9名が消息を絶ち、その後テントから1キロ半ほど離れた地点で遺体となって発見された。奇妙なことに彼らは全員靴を穿いておらず、ろくに防寒着も着ていなかった。ある者は頭蓋骨を骨折しており、ある者は舌を失っていた。しかも遺体の一部からは、高濃度の放射能が検出されたのだ。
 不可解な遺体の状況から、これまで雪崩説、強風説のほか、殺人説、脱獄囚による襲撃説など、さまざまな原因が主張されてきた。現場付近で正体不明の光球が目撃されたことから、UFOやソ連軍の秘密兵器との関わりも囁かれている。ディアトロフ峠事件は発生から半世紀以上経った今日も、分厚い謎のベールに覆われている。

 アメリカの映像作家で、偶然この事件を知ることとなったアイカーは、関連サイトを漁るうち、謎解きに夢中になってゆく。ついには貯金をはたいてロシア行きを決意。多くの関係者にインタビューし、真冬のホラチャリフ登山を決行するのだ。抜群の行動力で、伝説の奥へ奥へと分け入っていくアイカーの姿からは、未解決事件マニアでなくとも目が離せないだろう。
 本書は3つの視点から構成されている。まず2010年と12年、二度わたってロシアに飛んだアイカーの視点。残された日記や写真から再構成されたディアトロフたち9人の視点。そして事件発生後、彼らの捜索や事故調査に関わった大人たちの視点だ。スピーディでサスペンスフルな語りのうまさは、映像作家としてのキャリアが培ったものだろうか。並行して語られる3つのパートは、それぞれに不穏なムードを孕みながら、悲劇の一夜へと突き進んでゆく。
 なかでも丹念な取材によって掘り起こされた、ディアトロフら9人の素顔が印象的だ。今日では無残な死や謀略のイメージとともに語られる彼らだが、生前の姿は音楽と登山を愛してやまない、どこにでもいるソビエトの明るい若者たちだった。アイカーは希望に満ちていた1950年代ソ連の青春群像を、愛情と共感をこめて描き出している(だからこそ先に待ち受ける死がショッキングなのだが)。

 それにしても、事件当夜のホラチャリフ山ではいったい何があったのだろう。解決編にあたる一章で、アイカーはこれまで唱えられてきた有力仮説を次々と却下してゆく。妥当に思える雪崩説や強風説も、ホラチャリフ山に登ったアイカーには到底認められるものではないらしい。「不可能を消去していけば、どんなに突拍子もなく見えたとしても、あとに残った可能性が真実のはずだ」。シャーロック・ホームズの原則に従って、アイカーはこれまで誰も唱えてこなかった事件の真相にたどり着く。
 本書は長年にわたる議論にピリオドを打ったのか。それともディアトロフ峠事件はいまだ謎のベールの向こうにあるのか。個人的には後者のように思われるのだが、そこは読者それぞれがご判断いただきたい。とにかく無類に恐ろしく、かつ知的興奮に溢れた一冊だ。異例のヒットを記録しているのも納得である。