人呼んで“味覚人飛行物体”。発酵学者にして、世界各地の珍味を知る小泉武夫さん。今度は、知られざる粗(あら)の滋味を伝えようと小説を書き上げた。思いを込めたタイトルは『骨まで愛して 粗屋五郎の築地物語』。
主人公の五郎は「築地魚市場」に勤める。巨大マグロもなんのその、腕っこきの捌(さば)き屋だった。高度経済成長期、東北から集団就職で上京。仕事にかけては生一本、つくる食事も魚ばかり。妻に突如去られても新鮮な皮剝(かわはぎ)をおろすうちに心の切り替えができてしまう。そんな男が温めてきた夢をかたちにする。粗だけを使う、その名も「粗屋」という店を開く。
「生臭いと、ほとんど捨てられてしまいますが、粗はミネラルに富んだ滋養成分の塊なんです」。小泉さんの「粗愛」は筋金入りだ。「わき出てくる複雑極まりないうまみ。共通してうまいのは肝ですね。こりゃもうね」
烏賊(いか)の腸煮(わたに)、皮剝の肝和(きもあ)え、煮凝(にこごり)をぶっかけた丼。物語では市場の新鮮な材が五郎40年の魚河岸人生の技で彩られる。食前酒には鮃(ひらめ)の骨酒(こつざけ)。寒い日は河豚(ふぐ)の鰭酒(ひれざけ)。暑い日はキリリと冷やした日本酒に海鼠(なまこ)の腸を入れた海鼠腸(このわた)酒。
ほかにも皮、浮袋、心臓などをいかした品々。調味料にも金をかけ、醬油(しょうゆ)には千葉・銚子や和歌山・湯浅の老舗。味噌(みそ)も赤は仙台、豆は尾張、甘みは京都といった具合。盛り付けの妙を念頭に、赤は金目鯛(きんめだい)、桃は甘鯛(あまだい)、黒は烏賊墨(すみ)と五郎さんは目配りがきく。
「鰤(ぶり)大根は頭を割って入れるのがいい」。小泉さんの話には実感がこもる。それもそのはず。献立は、ほぼ全て自身の“引き出し”から出したもの。料理好きで、食魔亭と名付けた自宅の台所で粗をしばしばさばいている。
福島県小野町出身。母を早く亡くし、祖母のこしらえる「うまい、体にいい」粗料理で育てられた。頭や鰭、尾っぽなどに酒粕(さけかす)をいれた鮭(さけ)の濁酒(どぶろく)煮の味が忘れがたい。
そんな追憶を抱き、粗は無駄でなく立派な食材、と伝える本作。実は飽食社会に警鐘を鳴らす。「恵方巻きの大量廃棄、といった話を聞くと、やりきれませんね」
75歳の今も手帳はびっしり。沖縄、札幌、山梨、和歌山と飛び回る。活力源は粗や発酵食品を食すことで、まさに持論を実践する。
一番好きなのは実は書くこと。単著140冊を超え「これ読んだらうまそうと思われるかな」と思いつつ筆を走らせる。〈うま味と甘みとがチュルチュルと〉〈ペナペナとしたコクが囃(はや)して〉〈見るだけで涎(よだれ)がピュルルと湧き出て〉。弾む言葉がスパイスとなり、読めば確かに腹が減る。(木元健二)=朝日新聞2019年1月26日掲載
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