1. HOME
  2. インタビュー
  3. 作家の読書道
  4. 加藤シゲアキさんの読んできた本たち 「これは俺だ!」震えた村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

加藤シゲアキさんの読んできた本たち 「これは俺だ!」震えた村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で

人の機微が分からない子供だった

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

加藤:それが、ぜんぜん思い出せなくて。母が秋田出身なんですけれど、秋田の祖母が大量に絵本を送ってくれたんです。段ボール2箱分くらいありました。それを端っこから取り出して読んでいたんですが、タイトルを憶えていないんです。グリム童話みたいな、一般的な絵本だったと思いますが、その頃はまだお話の面白さに気づいていませんでした。

 ただ、自分で絵本を描いていました。それを母親がとってあったんです。文字はまだ自分で書けなかったのか、母親の字で補完してありました。ひとつの木にいろんな実がなっている話で、前にそれをもとにしてチャリティーで絵本を作ったことがあります。

――『ふしぎなきのみ』ですね。もとの絵本を描いたのはいくつの時だったのですか。

加藤:5歳です。だから、僕は読んだ記憶より書いた記憶のほうが早いんです。

――物語を作るのが好きな子供だったのでしょうか。

加藤:好きでしたね。見ていたアニメから影響を受けていたのかもしれません。そんなにアニメを見る子供ではなかったけれど、「キテレツ大百科」とかは見ていたので。

――加藤さんは広島生まれですよね。

加藤:そうです。でも5歳の時に大阪に引っ越したので、広島にいた頃の記憶はあまりないです。

――小学校は大阪なんですね。学校の図書室をよく利用しましたか。

加藤:してないです。小1から塾に行っていたんですよ。だから物語の文章で読んだものといえば、ほとんどが学校の教科書か塾の国語の授業の問題文という感じです。

 どうして塾に通うことになったのかは憶えていないし、灘校を目指すつもりもなかったけれど、通っていたのは灘塾という進学塾でした。

 小4で横浜に引っ越してからはしばらく塾に通っていなかったんですけれど、小5でまた進学塾に行ったら、一気に授業のレベルが上がっていました。そこの文章問題で衝撃を受けたことがありました。今考えてもありえないと思うし僕の記憶違いかもしれないけれど、問題の文章のなかに、誰かが嘔吐して、その吐瀉物を飲む、みたいな場面があったんです。なんじゃこりゃと思って、あまりの衝撃で問題が解けなくなりました。ただ、その時に小説というものの自由度は感じた気がします。

――小学生時代、国語の問題以外で記憶に残っている作品はありますか。

加藤:小学生になると、父親の本棚から本を手に取るようになったんです。そこで見つけた本だったかどうかは憶えていないんですけれど、最初に作家名を認識して読んだのは赤川次郎さんの小説でした。

――三毛猫ホームズシリーズとか?

加藤:いえ、違うんです。三毛猫ホームズシリーズって、みんなが読んでいるでしょう。僕はみんなが読むものじゃないものが読みたかったんです(笑)。それで読んだ赤川次郎さんの本が『砂のお城の王女たち』でした。めちゃくちゃ好きでした。

――お父さんは読書家なのですか。

加藤:人並という感じですが、ちゃんと自分の本棚を持っていました。自分が大人になってから思い返すと、ファンタジー小説が多かったですね。父は今でも「ハリー・ポッター」シリーズとかが好きなんです。本棚には他には漫画の『ゴルゴ13』とかもありましたね。

――学校の国語の授業は好きでしたか。

加藤:嫌いでした。国語の文章問題って、答えを探すまでに時間がかかるじゃないですか。「この登場人物の気持ちを答えよ」という問いがあると、文章を読み返さないといけない。その部分だけパッと見つけて読むコツもあるんだろうけれど、僕は最初からちゃんと読みたくなっちゃうんです。それで時間がかかって、試験時間が足りなくなる。でも算数は数式を解けばすぐに答えが出るじゃないですか。そっちのほうが好きでした。だから自分は理数系なんだなと思っていました。

――作文や読書感想文も嫌いでしたか。

加藤:それは楽しかったです。別にすごく好きだったわけでもないですけれど。読書感想ですごく憶えているのが、小学生の時に読書感想画のコンクールがあって、課題図書が『大造じいさんとガン』だったんです。猟師と雁の話ですね。毎年渡ってくる、賢くて仕留めることができない雁がいて、その雁が仲間を助けるために体を張る様子を見て、大造じいさんは仕留めるのをやめる、という話です。いい話だなと思いました。

 それで、読書感想画を描きましょうとなった時、僕は面白いお話という贈り物をもらった気持ちだったから、プレゼントみたいな絵を描いたんです。感想を絵にするんだから、自分の気持ちがイメージできるものを描けばいいと思ったんです。でも、貼りだされた絵を見たら、他の全員、鳥の絵だったんです。自分はズレているんだなと思いました。でも間違っているとは1ミリも思いませんでした。むしろ全員アホだと思った(笑)。感想画なのに感想じゃなくて好きなシーンの絵を描いたってしょうがないんじゃないの、って。

――確かに。

加藤:それはすごく憶えています。でも、その時周囲から馬鹿にされたりはしなかったんですよね。大阪から横浜に来てからは、変な奴だと思われていたはずなんですけれど。

――今振り返って、どんな子供だったと思いますか。活発だったのか、大人しいほうだったのか...。

加藤:よく喋るほうだったと思います。転校生だから、自分から入っていかないとサバイブできないんですよ。大阪にいたせいか僕はまあ喋るし、男子の友達も女子の友達も多かったけれど、かといって男子の中でイケてる人みたいな感じではなかったです。言葉がきついから小学生の頃は人に嫌なことも言ったと思うし、それで嫌われたこともありました。でも、わりとよく喋っていました。積極的に発言しないと生き残れなかった。

――どんな遊びをしていたんですか。なにか夢中になったことや打ち込んだことは。

加藤:ゲームもやったし、一輪車もやりました。小学校低学年の時には塾のほかに、少林寺拳法とピアノを習っていました。それって全部一人でできるものなんですよ。僕は一人っ子だし、それで協調性が欠けていたんです。

 今グループで活動しているけれど、やっぱりパス回しみたいなものは苦手なんです。先天的に周りが見える人っていますよね。サッカーでも、視野が広くて的確なパスを出すことができる人はいる。自分はそういうことができないんです。後天的に身に着けた部分はありますけれど。

 なにかを一人で黙々とやることが好きでした。昆虫とかも好きで、図鑑はよく眺めていました。図鑑はいまだに好きです。小さい頃、家に五十音順にいろんな項目を紹介する図鑑があったんです。「き」で「恐竜」とか「ち」で「地球」とか。あれがものすごく好きで、ずっと眺めていました。小さい頃は一回読んだだけでは分からないんですけれど、定期的に読み返してだんだん分かるようになっていくのが楽しかった。それでいろんなことを憶えて、世界中の国旗を全部言える子供でした。

――すごい。

加藤:今はまったく言えません(笑)。小さい頃のああいう記憶はなくなりますね。乳歯みたいなものなんだと思う。

 なにかを憶えたり勉強をするのは好きでした。あまり感情とか情操的な部分には興味がありませんでした。10歳くらいまではご飯を食べて「美味しい!」ということもなかったし、なんか、人間的な機微が全然なかったんです。

 ゲームをしていてもストーリーの部分を飛ばしていました。その頃は「ドラクエ」とか「ファイナルファンタジー」をやっていたんですが、ちょうどゲームの物語が分厚くなってきた時期なんです。大人になって「ファイナルファンタジーⅦリメイク」をやった時、「こんなにいい話だったんだ」と思いました。

文系というより理数系

――漫画は読んでいましたか。

加藤:「少年ジャンプ」を読んでいました。あの商店だけは日曜日の夕方に「ジャンプ」を入荷しているな、みたいなことが頭に入っていました。ちょうど『ONE PIECE』』が始まったくらいの頃だったかな。『HUNTER×HUNTER』とか『るろうに剣心』もあった。

 小学生の頃は「コロコロコミック」を読んでいました。ミニ四駆やビーダマン、ハイパーヨーヨーとかデジモンとかの世代ですね。あと、僕はポケモン直撃世代です。

 そういう意味ではコンテンツがめっちゃ多い時代でしたね。今の子供もそうだろうけれど。インターネットが始まる時期で、うちの父親はそういうのが好きなので、はやくから家にパソコンがありました。僕は小6の頃、受験勉強をしなくちゃいけない時期なのに、それでストーリーを書いていました。文章を書くのが趣味だったんです。

――どんなストーリーを書いていたんですか。

加藤:ゲームシナリオみたいなものですね。まさに『ONE PIECE』』や「ドラクエ」みたいな、仲間を集めていくストーリーでした。仲間は人間とは限らなくてサルがいたりして。当然書き上げられなかったんですけれど、でもずっとちょこちょこ書いていました。

――受験勉強は大変でしたか。

加藤:今思えば大変だったと思います。でも、辛かった記憶は全然ないんですよね。

 同じアパートに同級生が5人いて、家族ぐるみで仲がよかったんです。そのうちの一人が私立中学に行くって言いだして、「しげちゃんも受験しようよ」って言われて「いーよー」って言って。親が共働きで送り迎えが難しいこともあり、その友達とは同じ塾には行かなかったんですよね。その子は日能研に通って、僕はSAPIXに通いました。その頃SAPIXはまだそこまで注目されていなくて、でも結果は残している、という感じだったのかな。どうせやるならという感じでSAPIXに入りました。

 大阪で灘塾に通っていた頃は、成績はトップのほうにいたんです。でもSAPIXに行ったら、成績順に下からABCDEの順番でクラスがあるんですが、僕は下から2番目のBだったんです。「俺こんなアホになってるの」と思いました。学校の勉強はできたんです。テストなんて10分で終わって暇そうにしているから先生に「答案用紙提出して外に遊びに行っていいよ」と言われていました。でも塾で下から2番目のクラスになって、「俺こんなにできなくなってたんだ」と思って、そこからクラスを上げるために勉強するのが楽しくなりました。もともと問題を解くのは好きでしたし。

――相変わらず理数系が好きでしたか。

加藤:理科が一番得意でした。理科だけは全国で100位に入ったことがあって、改めて自分は理系だなって自覚しました。それで勉強を続けて、最終的にEクラスまで上がったんですよ。その上にαクラスというのがあるんですが、それはもう絶対に無理。αクラスに行く人はもう、人間の作りが違うっていう感じでした。

 国語は全然できなかったですね。授業では国語を教えるというより、こういう設問の時はこうやる、みたいな問題を解くコツを教わるんですけれど、それもまったく分からなかったです。漢字はできるんですよ。でもやっぱり、人間の機微を知らないから国語の面白さが分からなかったんだと思います。

 小6の4月に事務所に入ったら、いきなり仕事が忙しくなって塾に行けなくなったんです。ドラマに出たり、沖縄行ったりハワイ行ったりと楽しい仕事しかなくて、そうしたら塾のクラスが一気にEからBまで下がったんですよ。正直、心の中でちょっと下に見ていた奴に抜かれたりしたんです。子供の1か月間の成長ってすごいですよ。本当に一瞬で抜かれました。会社の仕事は楽しかったけれど、楽しいことがあるとアホになるんだなって思いました(笑)。

 それで、せっかく勉強してきたのにもったいないという感覚が生まれて、ちゃんと勉強しよう、となりました。そもそも中学受験をやめる選択は自分の中になかったんですよね。仕事は楽しかったけれど半年間休むことにして、夏くらいから家庭教師を付けて、赤本みたいな問題集で過去問を解いていく時期に入りました。

――中学受験で青山学院を選んだのはご自身ですか、それともご家族の助言があったのでしょうか。

加藤:家族は何も言わないんです。全部お前がやりたいようにやれ、という家なんです。ただ、私立中学で芸能活動ができるところがほとんどなかったんですね。青学にしたのは、芸能活動ができることと、電車で一本で行けるところ、あと大学付属というところがいいな、と思ったので。勉強は嫌いじゃないけれど、付属に行ったほうが後々ラクだろうと考えたんです。そういう性格なんですよね。夏休みの宿題のページ数を日数で割るのが趣味みたいな人なんです僕は(笑)。

――計画的に行動するタイプなんですね。

加藤:ちょっと計画がずれても、そもそも日数で割る時に数日のバッファを設けておくので、帳尻が合うんです。本当に計画が崩れた時はそこからページを割り直すんです。

 夏休みに父方の岡山の祖父の家に帰ると、従兄は怒られてしぶしぶ勉強していたけれど、僕は朝起きて自分からさっさとその日の分の宿題を片付けていたのを憶えています。そのほうが後で楽しくカブトムシを採りに行けるって思っていました。雨が降って遊びに行けない時は、今日のうちに明日の分もやってしまおう、と考えていました。

聖書で解釈の面白さを知る

――中学時代の読書生活は。

加藤:仕事が忙しかったので本を読む時間がなくて、国語の教科書を読むくらいでした。ただ、聖書との出合いがありました。

 学校では毎朝、礼拝があるんです。そこで新約聖書を何ページか読むわけですよ。僕、本当に、聖書に書かれていることの意味が分からなかったんですよ。

 たとえば、ある主人が三人のしもべたちにタラントという単位のお金を預けて旅にでるんですね。しもべの二人はそれで商売を始めるなどして儲けを出して、もう一人はお金を地面に埋めて隠しておいた。そうしたら、主人が戻ってきた時、三番目のしもべを叱るんですよ。僕は商売なんて儲かるか分からないし、そんなギャンブルみたいなリスクをとるより、いったん隠しておいてもよくない?って思ったんです。

 その後、聖書の授業があって、解説を受けるわけです。タラントというのはタレントの語源で才能という意味なんだ、と。才能は土に埋めるのでなく、それを活かしたり、勝負したりすることを神は後押ししているのだ、と。「なるほど!」と思いましたね。

 それが自分にとって、いわゆる本の読み方を知っていくスタート地点なんです。たぶん僕がちょっと批評が好きなのは、その時に、分からなかったことが解説によってめちゃくちゃクリアになるっていう体験をしたからなんです。

 聖書は、人生初のメタファーとの出合いでもあったと思う。高校生の時に『ダ・ヴィンチ・コード』がめちゃくちゃ流行って、僕も読んだんです。すると多少、そこに出てくる暗喩が分かるんです。参考文献(聖書)がすぐそばの引き出しに入っているから(笑)、読みながら確かめるのが楽しかったですね。そのあたりから、僕の考察好きみたいなところが始まった気がします。

――人間の機微が分からなかった少年は、聖書の教えをどんなふうに感じたのでしょう。

加藤:ぜんぜん分からなかったんです。世界中ですごく多くの人がこの宗教を支持しているってことが不思議でした。聖書の先生もごく普通のおじさんで、この人が神を信じているというのが不思議というか。生徒もほぼクリスチャンはいないし、なんなら寺の息子の仏教徒もいましたし。毎朝8時10分に礼拝に集まって、聖書を読んで、賛美歌を歌って、一体なんだろう、って。それでもやっぱり、自分の中に神を冒涜してはいけないという感覚が自然発生するんですね。僕には理解できないなにかがあるんだろうな、と思っていました。

 今になればなぜ人々の支持を得てきたのかは分かるんですけれど、その頃はまだ人の機微が分からなすぎて理解できなかったんですよね。その頃の自分はまだ、人生に迷ってもなければ、悩んでもなかったので。

――さきほど『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだとおっしゃっていましたが、話題作はわりと読んでいたのですか。

加藤:そうですね。中学生の頃に「ハリー・ポッター」が出てきて、そのあと『世界の中心で愛を叫ぶ』、いわゆるセカチューのブームが来て、そして『ダ・ヴィンチ・コード』ですね。ベストセラーがたくさん出ていた時期でした。

――青山学院は渋谷にあるから、周辺には映画館や書店もたくさんあったのでは。

加藤:たくさんありました。音楽をよく聴いていたので毎週HMVに通って、その途中に書店もあるから寄っていました。映画館にもめっちゃ通っていました。昔、廃館寸前の映画館があって、本当は絶対駄目だけど時効だから言ってしまうと、R15指定の映画も潜り込ませてくれたんです。だから「バトル・ロワイアル」も普通に観られました。普段からゲームをやっている子供にとっては、グロテスク描写もわりと大丈夫でしたね。

 書店も多いから、自然といろんなカルチャーにハマっていきました。

――よく利用する書店はありましたか。

加藤:ビックカメラがある東口側が通学路だったんですよね。青学から当時はまだあった青山劇場を通って宮下公園に抜けて駅に行くルートを通ると、ビックカメラの別館のところに前は文教堂があったんです。文教堂は広かったし、漫画も豊富だったからわりとそこに寄っていました。CDとか楽器を見たい時は桜丘のほうにも行くんですけれど、そこにも本屋さんがふたつくらいありました。TSUTAYAができてからはそこにもよく行きました。

 NHKで仕事をすることも多かったので、ずっと渋谷にいるんですよ。一回家に帰ってまた来ることもあるから、体感で週8くらい渋谷にいました(笑)。

――高校時代、他に印象深かった読書体験は。

加藤:古典というか、太宰治とか三島由紀夫の小説は高校生の時に読んでいたと思います。

 衝撃的だったのは、高1の時の金原ひとみさん綿矢りささん事件ですね(笑)。おふたりが芥川賞を受賞したんです。自分とほとんど変わらない年齢の人で、小説の賞を獲る人がいるんだと驚きました。なんとなく、小説の賞って60歳くらいの人が獲るものだと思っていたから、「超賢いじゃん」って。SAPIXのαクラスを思い出すわけですよ(笑)。でも綿矢さんも金原さんもαクラスにいた人たちと雰囲気が違う。金原さんなんてパンクだし。もう、「嘘だろ」って感じでした。その週だったかな、スノーボードに行くことになっていて、みんなお金がないから夜に集まって深夜バスを利用したんです。深夜は車内で喋っちゃいけなくて、でも興奮して眠れなくて。それで、読書灯をつけて受賞作の『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』を読みました。『蛇にピアス』は僕にも理解できて、「かっけえ!」と思ったんですけれど、『蹴りたい背中』がぜんぜん分からなかった。まだ人間の機微が分かっていないから、背中蹴られたくないなあ、みたいな感想で。「俺は賞を獲る小説が分からないのか」と思いました。でもその時に、憧れが生まれたんだと思います。自分がなれるとは思わないけれど、小説家って格好いいなって。今では綿矢さんの小説も、楽しめるようになりました。

――絵本やストーリーを書いて以来、文章を書くことはしていなかったのですか。

加藤:仕事が忙しかったこともあるけれど、向いていないと思っていたんだと思います。国語の成績が悪いし、自分は文系じゃないんだと思っていたし。中3から選択授業が始まるんですけれど、それも文系の授業は避けていました。

 でも、高1でデビューしてからは、大学で理系に進んだら仕事との両立は不可能だという感覚があって。文系に行くしかない、というのはぼんやりありました。それで高3の時に国語表現という授業を選択して、それが今に繋がっています。

――文章を書く授業だったのですか。

加藤:そうです。僕は文章の定型を教えてもらおうと思ったんですよ。法学部に行くことになると思っていたので、論文の書き方とか、フォーマットを習いたかった。でも、そういうことはなにも教えてもらいませんでした。今思えば、全部大喜利だったんです。「自己紹介を面白く書く」といったテーマを毎回渡されて、それを何日までに書いてくるという授業でした。めちゃめちゃ暇だなと思ったんですけれど、それでも他の授業の時に文章を考えたりしていましたね。やっぱり書くことが先天的に好きだったんでしょうね。そうして書いて提出したら、先生が褒めてくれて、花丸をつけてくれたりするんです。無愛想な先生だったんですけれど、花丸なんだ、と思って。誰かが自分の文章を読んで興奮してくれるなんて嬉しいじゃないですか。それまで蓋をしていたわけじゃないんですけれど、そこでまた書くことが喜びになったんでしょうね。

大学時代、読んで震えた本

――大学で法学部を選んだのはどうしてだったのですか。

加藤:先輩から法学部なら仕事と両立しやすいと聞いていたんです。授業でそんなに出欠を取らなくて、その代わりテストが厳しい、という。中高時代もそういうスタイルでやってきたので、だったら法学部がいいなと思いました。単位を取ることしか考えていなかった。

 でも、入ってみたら法律の勉強も面白かったんですよ。なんか、読解みたいなところがあるんですよね。他人の敷地にどこまで入ったら不法侵入になるのか、とか。境界線の上なのかどうかとか、三苫の1ミリみたいな話になるんです。他にも、胎児を死なせてしまった場合、殺人になるのかどうかとか。どこからが人間なのかなんて、そんなところに線を引くなんて考えたことがなかったんですよね。その感覚が面白かったです。

 そういう事例をどうやって判断するのかというと、結局判例なんです。だからそれが絶対的な正解ともいえない。結局、法律とは未完成である、みたいなことを学びました。

――大学時代はどんな本を読んだのですか。

加藤:友達の影響が大きいです。高3の夏休みくらいからみんな、いろんなカルチャーにハマっていったんです。急にダンスを始める奴もいれば、夏休みに映画100本観てきたという奴もいて。もう大人たちと仕事をしていたからかもしれないけれど、僕はある程度どれについても誰とでも会話ができたんです。ダンスの話もできるし、「加藤、あの映画観た?」「観てないわ」「とりあえず観てよ」みたいな話もできるし。そのなかで、お笑いとか映画の話をよくしていた友達が、高校時代に太宰治にハマって、その次に村上春樹にハマったんです。めちゃくちゃオーソドックスな小説ルートをたどっているけれど、周囲の同世代に春樹が好きな人はあまりいなくて、なんか格好いいなという印象でした。僕も高校生のうちに『ノルウェイの森』とかいくつか春樹は読んだんですけれど、やっぱりまだ人間の機微が分かっていないから、あまり理解していませんでした。読んでいて面白さは分かるし「なるほどな」という感じはあるんですけれど、その友達ほどのめりこめなくて。

 でも、その友達はいろいろ薦めてくれるんですね。春樹好きは春樹訳のものも探っていくので、薦めてくれた中に春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』があったんです。仕事で会った音楽プロデューサーの方も春樹が好きで、その人からは直接『キャッチャー・イン・ザ・ライ』をもらいました。「僕あまり春樹ピンとこないんです」と言っても「絶対好きだから」って言われて渡されました。

 友達も薦めていたし、じゃあ読むかと思って電車の中とか授業中とかに読み進めていたら、なんか、震えてきて。「なんだこれは」って。

 その時の僕は、性格をこじらせて、ひねくれていたんですよ。正しく育っていなかった。機微が分からないまま芸能の世界に入って、いろんな大人の思惑にまみれて、自分の道が分からなくなって、迷える子羊になっていたんです。小さい頃の、赤川次郎を読むにしても三毛猫ホームズは読みたくない、と思っていたような自分が肥大化していたと思う。そういう時に読んで、「これは俺だ!」となりました。人に言われることはやりたくないけれど、本当は何かやりたい感じとかがすごく理解できました。それで、「ホールデンは俺だ!」となって。衝撃でしたね。みんなが太宰治の『人間失格』を読んで言っていた、「自分のことが書いてるのかと思った」という感想ってこれか、と思いました。

 僕の感覚でいうと、『人間失格』より『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のほうがピュアなんですよ。あと、ラブがあまり出てこない。恋愛から一定の距離があって、シニカルなところも自分に合っていました。これは大人になって読んでも刺さらないだろうなとも思いました。

――加藤さんはドンピシャのタイミングで読むことができたんですね。

加藤:ドンピシャでした。19、20歳くらいでした。「これ俺じゃん、なんでこんなに俺のこと知っているんだろう」と思って調べたら、世界中でめちゃくちゃ読まれている小説でした(笑)。

 でも、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が好きな人って、僕の周りには友達と音楽プロデューサーの人くらいしかいなかったんです。仕事では、周囲に茶化す人しかいなかった。僕が本を読んでいたら「お前本なんか読んで格好つけてるな」、ジャズを聴いていたら「ジャズなんか分からないだろう」。どこに行っても茶化されていました。映画の話ができる人はいなくはなかったけれど、好きなものを誰かと共有することがほとんどなかった。でも、だからこそ本がよかったんです。本を読んでいる時は、時代を越えて、自分以外の人と繋がれる感じがありました。「サリンジャーありがとう」って思いました。『ナイン・ストーリーズ』や『フラニーとゾーイー』なんかも読んで、めっちゃ分かるなと思って。それまで人間の機微が分からないから何を読んでも共感できなかった人間が、はじめて共感をおぼえたのがサリンジャーだったんです。

 そこから春樹訳にちょっとハマって、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』やカポーティの『ティファニーで朝食を』なども読みました。

――国内小説はどんなものを読んでいましたか。

加藤:大学時代に舞城王太郎さんにハマって、全作品ではないけれどかなり読みました。『好き好き大好き超愛してる。』とか『イキルキス』とか。いちばん好きなのは『煙か土か食い物』ですね。阿部和重さんも『アメリカの夜』を読んですごく好きになりました。

 たぶん僕、メタフィクションが好きなんですよ。そういう作品がたくさん書かれていた時期だったとも思います。その後、自分の『ピンクとグレー』でも作為的にメタフィクションをやったんですけど、自分でやると余計にメタフィクション好きになりますね。「メタフィクションが好きなんでしょう」って、いろいろな本も送られてくるし。

 3・11の時は、福永信さんの『一一一一一』とかも読んだりして。だから僕の読書って、あまりエンタメ寄りじゃないんですよね。大学時代からの友達も芥川賞とか純文学系が好きな人が多くて、芥川賞シーズンになると「今度は誰が受賞する」みたいな話になるんです。円城塔さんの『これはペンです』なんかの話もした記憶がある。円城さんが『道化師の蝶』で受賞された時は「おい、ついに円城塔が獲ったぞ!」みたいな感じになって、あれは事件でした。

25歳までに小説を書きたい

――大学時代、文章は書いていたのですか。

加藤:仕事でブログを始めていました。自分はどうやら文章を書くことが面白いらしい、という感覚があったし、なぜか分からないけれど、なんかみんなやたら褒めてくれるな、と感じていました。

 自分では格好いい文章を書くつもりはなく、コミカルに、ただ笑える楽しいものを書こうとしていました。打算的というわけではないけれど、こうやったらウケるかな、と考えたりして。縦スクロールが始まった頃で、それを活かして書いていたので時代がハマったかなとも思います。

 そうしたら結構コラムの仕事が来るようになり、そうすると何かもう少し依頼に合わせた文章を書かなきゃいけなくなる。そうやっていろいろ書いているうちに、やっぱり小説がいいな...と思ったんですね。

――以前、仕事でいろいろエッセイを書いているうちに、自分を切り売りしているみたいな感覚になった、とおっしゃていましたね。

加藤:そうなんです。そういう感覚があったから『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が衝撃だったのかもしれないですよね。大人に求められることを最初は楽しく、面白くやっていたけれど、求められることを毎日のようにやっていて楽しくなくなってきていたのかもしれません。仕事自体があまりうまくいかなくなっていたし、一人っ子だからグループの中の人間関係もめっちゃストレスなんですよね。早く帰りたい、帰って本が読みたい映画が観たい、みたいなマインドになっていて、でもエンタメで求められることをやらなきゃいけないとか、まだ自分は結果を残していないから何かしなきゃいけないとか、もがいている状態でした。自分もホールデンのように放浪できたらいいけれどそうもできない、みたいな。もちろんホールデンも葛藤しているんですけれど。

 大学1年生の時はキャンパスが相模原で、電車で30~40分かかるんで移動中にいろいろ考えたり読んだり書いたり、ネタ探ししたりしているんです。その時、電車内で蜂が飛んでいるのを見て、ふと「刺されないかな」と思ったんですよね。そしたらコラムのネタになるから。車に轢かれないかな、とも思った。それで、これはまずいなと気づきました。ネタのためにトラブルに見舞われようとしているわけですよ。思考が自分を傷つける方向にいっていて、これは最後死ぬしかなくなるだろう、みたいな。精神的に危ない状況でした。それで、大学を卒業した頃にはもうエッセイは辞めようかなと考えていました。

――明確に小説を書きたいと思ったのはいつくらいですか。

加藤:20歳になってお酒が飲めるようになって、いろんな人とのつきあいが増えて、仕事があまりなくて暇だったから、毎晩のようにお酒を飲みにバーに行っていたんです。いろんなものから逃げているだけのなので、空しいんですよね。一生こんなことしているのかな、って思っていました。

 ただ、そうしていると大人の知り合いもできるんです。それで50歳くらいのコピーライターの方と仲良くなりました。文学的な方で、文章の面白さとか、演劇のこととか、やっと同じ感覚で話す人ができて。その人と飲んだ後にタクシーに乗って、渋谷駅の明治通り側のバスロータリー付近で渋滞に巻き込まれている時に、ふと、「25歳までに小説書きたいな」って思ったんです。それはすごく憶えている。「明日焼肉食べたいな」みたいな感じじゃなくて、もっとはっきりと「書きたいな」と思った。

 その時に思い出すわけですよ。金原さんとか綿矢さんを。おふたりが芥川賞を受賞した時って今の自分よりも年下じゃん、って。こんな毎晩飲んでいる場合じゃない、人生変えなきゃ駄目じゃん、ってなりました。

 大学を卒業して、もう「学生」とも書けないし、グループは終わりかけていると感じていたし、どうやって生きていこうという感じの時に話を聞いてくれる会社の人がいて、「やりたいことあるの」と訊かれたので、「25歳までに小説を書きたいと思ったことがある」と言ったんです。「25歳までどれくらい?」「あと2年です」「2年とか言ってないで来月までに書いてこい」となって、それで書いたのが、『ピンクとグレー』でした。

――2012年に発表したデビュー作ですね。いきなり長篇が書けたわけですか。

加藤:長篇ははじめてでしたね。高校の時の国語表現の授業で短いフィクションは書いて いました。

――あ、そういえば短篇集『傘をもたない蟻たちは』に収録された「にべもなく、よるべもなく」の作中作「妄想ライン」も、高校の卒業文集に寄せた短篇を改稿したものだそうですね。

加藤:後で読み直したら全然駄目だと思ったけれど、あれを書いた時、選択授業の人たちが「面白い」と言って、みんな小説を書き始めたんですよ。それまで卒業文集にはエッセイや歌詞を書こうとしていた奴が、「俺もフィクション書く」と言いだしたんです。俺、みんなに小説書かせたぞ、と思いました(笑)。それに、20歳の頃に一人舞台をやったことがあって、その時も自分で原案を出したりしたので、物語みたいなものを作ることはそれまでにもありました。

――本腰を入れて小説を書いてみて、書き続けたいと思いましたか。

加藤:書いてみて、大変なこともいっぱいあったけれど、『ピンクとグレー』を出して書店回りをした時にはもう次の話を考えていました。だから、楽しかったんでしょうね。その頃には編集者に「渋谷サーガ」をやりたいんです、という話をしていました。

作家デビュー後の読書生活

――『ピンクとグレー』、『閃光スクランブル』、『Burn.バーン』の初期3作が、「渋谷サーガ」ですよね。プロの作家になってからは、読書傾向も変わりましたか。

加藤:プロになると、担当編集の人がつくじゃないですか。そこではじめて自分より本が詳しい人にいっぱい出会って、しかも気が合うというか。この小説が好きだあの小説が好きだという話をすると、僕が好きなものを全部理解してくれて、「なにこの大人たち。楽しい」となりました(笑)。それでいろんな話をしていたら、それこそ秋田のおばあちゃんの時みたいに、20冊くらい本が送られてくるんです。文庫から何からいろいろあって、それが面白かった。

――どんな本が入っていたんですか。

加藤:いろいろ入っていて...。いちばん憶えているのはエイミー・ベンダーの『燃えるスカートの少女』。すごくよかったんだけれど、なんでこれを僕に薦めたんだろうとも思いました。あ、あれが送られてきたのは『Burn.バーン』を書いていた時だったかもしれません。"燃える"繫がりで(笑)。

――他に好きになった作家、作品は。

加藤:川上未映子さんの『ヘヴン』がすごく好きで、定期的に読み返すんです。なぜかつい読んでしまう。お守りみたいな一冊です。なんか、舞城さんとか阿部さんとか福永さんとか川上さんとか、自分が読むものってあまりエンタメ寄りではないですよね。

 エンタメでは樋口毅宏さんにハマりました。それこそメタフィクションぽさ、サブカルぽさや、バイオレンスな感じがよくて。『民宿雪国』は本当に面白かった。『さらば雑司ヶ谷』も『日本のセックス』も好きです。ただ、仕事で「家の本棚を撮ってきてください」と言われると、毎回『日本のセックス』は棚の後ろに隠さなきゃいけないっていう(笑)。好きなのに、タイトルのせいで。

 東山彰良さんも好きです。『流』もすごかったけれど、『僕が殺した人と僕を殺した人』が衝撃でした。

――台湾の四人の少年少女の話と、三十年後にアメリカで起きた連続殺人の話が絡まって、意外な真相が浮かび上がるんですよね。

加藤:あれって驚きもあるし、青春小説っぽさもあるじゃないですか。めちゃくちゃ好きです。東山さんは『怪物』とかも好きです。

 東山さんが薦めてくれて、台湾の呉明益の『歩道橋の魔術師』も読みました。あれもイノセントな感じがあってよかったですね。

――新作が出たら必ず読む作家や、『ヘヴン』のように繰り返し読んでいる作品がありましたら教えてください。

加藤:必ず読むのは宇佐見りんさんかな。全部好きだけど、『くるまの娘』がすごく好きなんです。でも、薦める人を選ぶんですよね。というのも、僕は最後めちゃくちゃ泣けたんですが、こんな気持ちで泣く人が他にいるのか分からない。みんな不器用で、裏をいく人たちの話で、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』みたいだなと思いました。宇佐見さんは、長篇も読みたいですね。

 東山彰良さんもほぼほぼ読んでいて、新刊を楽しみにしている作家です。『テスカトリポカ』の佐藤究さんもそうですね。

 繰り返し読むのは、カミュの『異邦人』。これは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の次に好きかもしれません。冒頭の〈きょう、ママンが死んだ。〉っていうのは、〈神が死んだ〉ってことなのかなって思うんです。主人公はある種衝動的に、ドライに人を殺すんだけど、最後に神父にブチ切れるんですよね。あれはもはや笑っちゃうというか。

『罪と罰』も読んだ時はめちゃくちゃ付箋を貼ったし、読み返したといえば、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』は『ミアキス・シンフォニー』を書く時に何度も読み返しました。

――いま『愛するということ』が挙がりましたが、ノンフィクションや人文書もよく読まれている印象があります。

加藤:人文書あたりになると資料として読む感じですね。『オルタネート』で青春小説を書いた時はエンタメを読まなきゃと思って読んでいたけれど、もうちょっと大人っぽいものを書こうとなると、やっぱり勉強しなくちゃいけないので。あとは、アドラーの本がもとになったドラマに出たので、『嫌われる勇気』を読んだりもしました。

 あ、でも、もともと哲学は好きで、大学生の頃にめっちゃ読んでいる時期がありました。大学生って、哲学とか心理学とかが好きじゃないですか。なんとなく一般常識として、フロイトはこういう人ね、ユングはああいう人ね、って押さえておきたくなるんですよね。それで、僕は構造主義にハマったんです。内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』とか、社会学や文化人類学の本とか、東浩紀さんとか佐々木中さんを読むんですよ。そういう時代だったんです。なんか今、当時を一気に思い出しました(笑)。

――お仕事で読むものも多いのでは。作家をゲストに招く「タイプライターズ」という番組も長く続けてられてましたし。

加藤:そうですね。いま文芸界で起きていることを追わなきゃいけないと思って、話題作を読むことが増えました。それもやっぱり、芥川賞系の本が多いんです。短いから読みやすいというのもありますが。

 最近、本谷有希子さんが面白いなと思っていて。これまでもわりと読んでいたんですけれど、最新作の『セルフィの死』は、過去イチ笑いました。

――自撮りしてSNSにアップせずにはいられない女性が主人公の連作集ですね。

加藤:お店で自撮りしているうちにイソギンチャクになっちゃうところとか、「私の玉ねぎ」という表現とか。なんとかしてマウントをとろうするところも面白いですよね。飲食店の順番待ちの名前を書き込む時に、わざと読みにくい漢字の名字を書き込んだりして。共感は一個もないけれど、めちゃくちゃ笑いました。そして最後の場面が...。ああいうものは自分には書けないからすごいなって思う。

好きな映画、自身の新作について

――映画も相変わらず観ているのですか。好きな監督や作品は。

加藤: 好きな監督は、ポール・トーマス・アンダーソンとイ・チャンドン。ポール・トーマス・アンダーソンはいろんな人に薦められて、最初は「パンチドランク・ラブ」を観て面白いなと思い、他も全部観ました。『ピンクとグレー』で「マグノリア」をモチーフに使っているのは、その時から好きだったからです。『なれのはて』を書こうと思った時はすぐ「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を思い出しました。もともとあの映画の原作小説は『Oil!』というタイトルなんですよね。

――「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」は石油採掘のビジネスに乗り出した男の話。『なれのはて』は石油で財をなした東北の一族が出てきますね。

加藤:イ・チャンドンは最初「オアシス」を観てすごいなと思ったんですけれど、「バーニング 劇場版」が好きです。原作は村上春樹の短篇「納屋を焼く」で、あの短篇がこうなるなんて脚色すごいな、と思いました。僕はメディアミックスみたいなものが結構好きなんですけれど、小説でやるべきことと映画でやるべきことの違いが明確に見えたんです。映像で見せるべきは時間とか空間で、小説はもちろん言葉だけで読ませるから、文章表現が大事になる。もちろん、どちらもストーリーも大事だし。同じ物語でもアプローチが違うことが明確に分かって、僕はあの映画は見事だなと思いました。

――映画はどんな時に観ることが多いですか。

加藤:小説を書いていて本を一冊読んでいる時間がない時は映画を観ます。映像って言葉じゃないから、自分の言葉で考えられるので。

 小説だと言葉を言葉で考え直さなきゃいけないので、面白いけれど時間がかかるんです。だから文庫の解説なんかは、小説が一冊書けるんじゃないかっていうくらい考えるので時間がかかります。

――そういえば島本理生さんの『2020年の恋人たち』の文庫解説を書かれていましたよね。

加藤:あれもめっちゃ時間をかけて考えて書きました。文庫解説を書く時って、何回も読み返すから解像度が上がるし、読解力が深まりますね。だからいい経験になりましたけれど、大変なのであまりやらないようにしています。他に文庫解説を書いたのは今村翔吾さんの『塞王の楯』だけです。

――今年、その今村さんと小川哲さんと一緒に発起人となって、能登半島応援チャリティ小説企画のアンソロジー『あえのがたり』を刊行されましたよね。
『オルタネート』で吉川英治文学新人賞を受賞し、『なれのはて』で2度目の直木賞候補となり、小説家として着実に進まれている印象です。新作『ミアキス・シンフォニー』は「アンアン」で連載された小説です。小説連載は「SPA!」で連載された『チュベローズで待ってる』以来ですね。

加藤:連載が始まったのが2018年なので、刊行まで7年弱かかりました。書籍化にあわせて、時間をかけてかなり改稿しています。

 最初は、ひとつの状況のA面とB面を書いていこうと思ったんです。単行本では第2章に入っていますが、最初に書いたのは和食店でトイレを待つ側と待たれる側の話でした。実際に、レストランでトイレに行ったら使用中で、ノックして待っていたら出てきた人に「私、そんなに長かったですかね」と言われたことがあったんです。なんでそんな言い方をするのかなとちょっと不快だったんですけれど、相手にもなにか理由があったんだろうと思って。じゃあどういう理由なのかなと考えたのが、この物語の始まりだった気がします。

 A面とB面を書くということは、その状況に必ず、少なくとも二人の人物が登場するんですよね。それで、友人同士や恋人同士、家族などいろんなパターンが生まれていきました。

――さまざまなシチュエーションの人間模様が描かれる群像劇ですが、実はみんな繋がっている。中心にいるのは、まりなという女子大学生で、彼女は世間に「愛」という言葉あふれていると感じ、「愛とはなにか」を考え続けています。

加藤:自分も小さい頃から世間に「愛」という言葉があふれていると感じていたし、青学で聖書の授業を受けていたから、「愛」について考えることが多かったんです。それで、物語の後半は「愛」というテーマが膨らんでいきました。

 フロムの『愛するということ』を読んだことも大きかったですね。愛することには技術が必要だ、という言葉に納得するところがありました。自分もグループ活動の中で、その状況ごとにどう振る舞うか、すごく考えながら行動してきたんですが、自分のやってきたことはこれだったんだと思えたんです。普段は小説で「愛」という言葉を安易に使いたくないんですが、今回は潔く書きました。これを読んだ人が僕と同じように自信を持ったり、何かのきっかけが生まれたらいいなと思って。もちろん、単純に楽しんで読んでもらえるだけで嬉しいです。

――小説家だけでなく、脚本家や作詞家、映画監督などクリエイターとしての活動の場を広げていますよね。今後のご予定は。

加藤:「ミラーライアーフィルムズ」という地域活性化を目指した短篇映画プロジェクトがあって、そのシーズン7で愛知県の東海市で「SUNA」という短篇映画を撮りました。死体の内臓に砂が詰まった連続殺人事件を二人の刑事が追う話で、途中からオカルトの方向にいきます。5月に他の短篇と一緒に一般上映される予定です。

――地域活性化の企画映画で殺人事件とオカルト...(笑)。

加藤:って思いますよね(笑)。読書生活も赤川次郎さんの『砂のお城の王女たち』から始まっているし、僕、砂が好きなのかもしれません(笑)。

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で