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「理想の母の形に縛られたくない」 山崎ナオコーラさん×小林エリカさんが対談

文:日下淳子、写真:松嶋愛

子どもを産んでも、私が作家であることは変わらない

 山崎さんは作家活動をしながら、2人目の子どもを産んだばかり。育児に関するエッセイも書いているが、実は、対談の数日前のツイッターで、『「育児の人」と思われて、文学の話を振ってもらえなくなるのが怖い』とつぶやいている。山崎さんには、育児以外の文学ももっと書きたい、一人の作家として扱われたいという思いがある。「2人目が生まれてみんな『おめでとう』って言ってくれるけど、親になったから今の生活で満足しているんだと私は思われたくない」

 その山崎さんのツイートに対して、小林さんは、『育児だけでなく、生きること全てが、文学に違いない、というか、文学であって欲しいと願ってやまないです』とリツイートしている。「私は話の全てが子どものことになってしまうのが寂しかった。でも同時に、あまりに子どもとしか接していなくて、自分自身にも子ども以外に話題がないと気づいたときに愕然とした」と言う。

母だからこうあるべきという概念がプレッシャーに

 対談では、子育てに追われる母親の葛藤を語り合った二人。山崎さんは、「もともと一人でいるのが好き。それなのに、子どもといるとすごいコミュニケーションを求められるでしょう。もう人間はいいと思って、自然科学誌の『ナショナルジオグラフィック』を毎月のように読んでました。ペンギンなんて、飲まず食わずでお父さんが育児を頑張ってて、ぐっとくるんです。人間のSNSを見てると、子育てにプレッシャーばかり感じるから」。2017年に『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)というエッセイを執筆した山崎さんは、「母というものは、優しくて、コミュニケーション能力が高くて、見た目が綺麗で、若くて…」という理想像に縛られていた自分に気づき、自分らしい「親」になればいいんだと思ったと言う。

 小林さんは「母の友」800号の中で、「毎日ただ家事をこなすだけで、やがて忘れられてゆくような生涯を送るなんて、わたしには考えられない」「夫や子どもたちのほかに、この一身をささげても悔いないなにかを得たい」と綴った『アンネの日記』に子どもの頃は心酔していたと書いている。それなのに、いざ子どもが生まれたら仕事もできないし家事もできない自分に心底落ち込んだそう。自分には努力が足りないのだと自分を責めて、出ない母乳を泣きながらしぼるという間違った方向の努力を重ねた毎日。その経験から小説『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)も生まれた。「私は産後『残酷なもの』を見たい衝動にかられました。子どもとほんわかすごせる優しい聖母のような存在を母だと思い描くと苦しかったので、もっとどぎついものが見たくなって。ネットフリックスの番組とか見てました」

 もちろん、子どもができたことがマイナスと捉えているわけではない。子どもによって世界が広がったという言葉に、二人とも大きくうなずく。だけれども、母=子どものいる女性はこうである、という社会の固定観念が窮屈に感じるのは否めないという。「子どもが生まれるとこんなに世界が広がる(のに、なぜ生まないの?)と遠回しにでも言われるのが私にとってつらい時代がありました。子どもを産まなくても広がる世界というのも絶対にあると思う」と言う小林さん。山崎さんも「子どもがいても、子どもがいなくても、幸せって堂々と言える社会を作っていかないといけないと思います」と続ける。

 多様な世の中で生きていく人たちへ文学でエールを送る、山崎ナオコーラさんと小林エリカさんならではの「母対談」。その言葉に共感を覚えた人も多いのではないだろうか。