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心がぽっきり折れたとき、レシートの裏に描き続けた絵日記が本に bubuchiyoさん「ぶぶちよ絵日記」

文:小沼理、写真:北原千恵美

できることを探して、絵日記にたどりついた

——bubuchiyoさんがTwitterに掲載していた絵日記が『ぶぶちよ絵日記』として本になりました。もともとは数年前、レシートの裏にイラストを描いたことがはじまりだとか。

 小さい頃から絵を描くのが好きで、美大に通っていたこともあります。ただ、社会に出てから絵を描く仕事に就いていたことはあまりなくて、色々な仕事を転々としていました。

 昔から学校や仕事でうまくいかないことが多く、ずっと生きづらさを抱えていたんですけど、数年前に限界が来て心がぽっきりと折れてしまいました。30代半ばのできごとでしたが、何もすることができなくなって実家に引きこもることに。当時は「どんな仕事をしてもうまくいかないな」「美大に通わせてもらったのに、絵を描くこともできなくなってしまったな」と、自分を責めてばかりいましたね。

 少しずつ回復していくにつれ、近所のスーパーとスターバックスまでなら外出できるようになりました。ある日、スーパーで買い物をした帰りに寄ったスタバで、窓から見える風景をレシートの裏に描いてみたんです。大きな紙やしっかりしたノートだと身構えてしまうけど、レシートの裏ならリラックスして向き合えました。「今はこれがちょうどいいんだな」と思って、時々絵を描くようになりましたね。

『ぶぶちよ絵日記』(扶桑社)より

——それからTwitterに載せるまではどんな経緯があったのでしょうか。

 最初は誰にも見せず、こっそり描いていました。でも、当時は「ひとりぼっちになっちゃった」と感じていたので、社会とのつながりがほしかったんだと思います。そんな時に、昔作って放置していたTwitterのアカウントを思いだして、とりあえずアップしてみたのがはじまりです。

 アップしたのは、スタバの窓から見えたスーパーの看板のイラスト。何か特徴があったわけではなくて、ただ目の前に見えたものです。駐車場や家も描き加えて、色をつけて投稿しました。

 最初はイラストだけでしたが、次第に言葉も添えて絵日記になっていきました。ある時、イラストだと思って載せると「もっとちゃんとしたクオリティに仕上げないといけないんじゃないか」と自分にプレッシャーをかけてしまうことに気づいたんです。でも、絵日記なら軽いテイストで描けました。自分が今できることを探した結果、絵日記にたどりついたという感じです。

——ネットで発信することに怖さはありませんでしたか。

 知らない人に変なことを言われるんじゃないかとか、知り合いに見つかってさらされるんじゃないかとか、不安もありました。でも、幸い怖い目にあうこともなく少しずつ応援してくださる方が増えていきましたね。皆さん優しい人ばかりです。

 ある時は「こんなこと描いてもいいのかな」と思うようなネガティブな内容の絵日記を載せたこともありました。すごくドキドキしましたが、そういう内容ほど皆さん共感してくれて、勇気づけられましたね。

言葉で説明しすぎない、俳句の視点

——絵日記では人間ではなく、擬人化した猫たちが描かれています。何か理由があるのでしょうか?

 動物のほうが描きやすいのが一番の理由です。人だと顔や髪型、服など、色々と描かないといけないので……。動物だと色や模様を変えるだけで区別できて楽なんです(笑)。

——無理して人間を描くのではなく、自分が描きやすいものを見つけたんですね。影響を受けた作家はいますか?

 たくさんの人から影響を受けているので、具体的にこの人というのは挙げるのが難しいです。ただ、昭和期に活躍した絵本作家の茂田井武さんや、画家の長谷川潾二郎さんの絵は素敵だなと思いますね。長谷川さんは猫が横たわっている絵がとても良いんですよ。

——『ぶぶちよ絵日記』では、学生時代から俳句をしていたことも描かれています。bubuchiyoさんの絵日記は風景で感情を伝えるようなものが多くて、読みながら俳句的だなと感じていたのですが、ご自身では俳句から影響を受けていると思いますか?

『ぶぶちよ絵日記』(扶桑社)より

 受けていると思います。付き合いのある雑貨屋の店主さんがすごく俳句に詳しいのですが、その人にはじめて絵日記を見せたとき「これって俳句じゃん」と言われたこともありました。

 大きな事件が起きなくても、ちょっとしたことで描こうと思えるのは俳句的かもしれません。昔は記憶に強く残っているできごとを描くことも多かったのですが、最近は本当に些細な日常でも絵日記にできるようになりましたね。

 俳句をはじめたのは10代の時、友達に誘われたことがきっかけです。友達がやめてからも私は続けていて、数年前の心が折れてしまった時まで15年近く続けていました。いつも自分の句を考えるだけで精一杯で、なかなか詳しくなれませんでしたが、講師の鳥居三朗先生には色々なことを教わりましたね。俳句は感情を表現しすぎたり、言い過ぎたりしちゃうと野暮になります。先生が私の句を添削してくれたことが、絵日記にも無意識のうちに生きているのだと思います。

——説明的過ぎない言葉遣いには、俳句で培った視点が生きていたんですね。

 そうですね。ただ、言葉を使わないのはもともとの性格もあるかもしれません(笑)。日常生活でも、言いたいことがたくさんあるのにまったく言えないということがよくあります。最近はなるべく言うように努力しているんですけどね。

一番つらかった時の自分に届けたい言葉を描く

——言いたいことを言えなくて悶々とする話は、絵日記にも描かれていますよね。くすっと笑いながら、とても共感しました。『ぶぶちよ絵日記』にはそんなbubuchiyoさんの絵日記がたくさん収録されています。反響はいかがですか?

『ぶぶちよ絵日記』(扶桑社)より

 出版後、読者の方からファンレターをたくさんいただきました。私は毎年張り子の個展を開いてもいるのですが、その個展に来てくださったり、直接お手紙を渡してくださったりした方もいましたね。

 「私とbubuchiyoさんは全然タイプが違うけど、絵日記に描かれている気持ちはよくわかる」と言っていただけることもありました。絵日記をはじめた時は自分の人生をなんとかしたいという気持ちで必死でしたが、今は「一番つらかった時、こういう言葉が自分に届いていたら良かったな」と思えるものが描けたらいいなと思っています。あの頃の自分のような人に届いたらうれしいですね。

——本を作る時に意識したことやこだわりはありますか?

 編集さんやブックデザイナーさんにもたくさんお知恵をお借りしながら作りました。色んなアイデアをいただきましたが、印象に残ったのは表紙のカバー裏に大きな一枚絵を描かせてもらったことですね。

——レシートの裏と比べると、ずいぶん大きいですよね。

 落ち込んでいた時はレシートに描くのも精一杯でしたが、今はここまでできるようになりました。あと、本にする時にわかったのが、レシートは裏写りがひどいということ(笑)。最近はルーズリーフに描くことが多いです。手帳に挟んでおいて、時間がある時に描いていますね。

無理をしすぎず、自分のペースで創作に向き合いたい

——今も絵日記を続けていますね。最近はトラとテンテンという2匹の猫との生活をよく描いています。

 最近はほぼ猫の話ですね(笑)。トラとテンテンはそれぞれ男の子と女の子で、毛の模様から名付けました。飼い始めたのは半年ほど前です。ちょうど猫を飼いたいと考えていた時、知り合いの方が捨て猫を保護したと聞いて名乗り出たんです。

 猫2匹と生活していると、1匹ごとに性格がまったく違うことに驚かされます。それから、主張が激しいのに何を要求しているのかまったくわからないのも面白いです。お腹が空いたのか、遊びたいのか、具合が悪いのか……試行錯誤しながら接しています。一緒に長く過ごす中で、最近は少しずつわかるようになってきましたが。

——猫との生活も日常のできごとも、本当に小さなことをすくい上げるように描かれていますよね。bubuchiyoさんにとって、絵日記はどんな存在ですか。

 私にとって、絵日記は日課です。忙しくて描けない日もありますが、暇だと一日にたくさん描くことも。今ではご飯を食べるのと同じくらい生活に欠かせないものになっていますね。

——今後はどんな風に活動していきたいですか。

 心が折れてしまうまでは、ずっとどこか会社に勤めないと生活していけないと思っていました。それが自分には向いていないと感じながらも無理をしていたら、疲れて何もできなくなってしまった。でも、それで諦めがついた部分もあるんです。

 最近は絵日記を描いたり、力を入れて張り子を作ったりしていたら、皆さん注目してくださるようになりました。今年に入ったくらいからようやく、会社員じゃなくて自分のペースで生きていけるのかなと感じています。今後はまず、絵日記や張り子の制作を頑張って続けていきたいです。『ぶぶちよ絵日記』では創作や大きな絵も描いているので、余裕があればまた描きたいですね。だけど、無理をしすぎずちょっとずつ、できることを増やしていきたいと思っています。