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「民衆暴力」書評 仁政なき世に人々の怒りどこへ

評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2020年10月17日
民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代 (中公新書) 著者:藤野裕子 出版社:中央公論新社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784121026057
発売⽇: 2020/08/21
サイズ: 18cm/220p

民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代 [著]藤野裕子

 暴力はいけない、それは間違いない。ただ、それだけでいいのか。過去に民衆がふるった暴力を、安易に正当化するのでも、あるいは単に否定するのでもなく、まずは理解し、その上で暴力とは何かを考えようとするのが本書である。江戸の百姓一揆を助走に、新政反対一揆、秩父事件、日比谷焼き打ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺の四つの事件について、最新の研究の知見をもとに詳細な検討が加えられる。
 江戸の百姓一揆はやみくもに暴力をふるうものではなかった。訴願を聞き入れられるよう一定の作法があり、領主の側にも百姓の生業を維持する仁政イデオロギーがあった。やがて商品経済が発達する中、作法を逸脱する一揆も出てきたが、明治維新後に起きた新政反対一揆では、被差別部落に対して容赦ない暴力が向けられることもあった。
 困窮した農民が借金返済猶予などを求めて起こした秩父事件にしても、権利や自由を求める自由民権運動というより、伝統的な世直し一揆との連続性が強い。そこにあったのは、苦しい生活から解放されたいというユートピア願望と、仁政が行われないという怒りであった。日露戦争後の日比谷焼き打ち事件も、大正デモクラシーの枠には収まらず、膨れ上がったナショナリズム感情が行き場を失って、破壊行動へと向かった側面がある。
 民衆暴力は、正当な暴力を独占する国家のあり方と表裏をなす。軍や警察を整備した近代国家はやがて自警団を組織するなど、民衆の協力を得つつ統制力を強めていく。関東大震災時の朝鮮人虐殺にしても、流言を率先して流すなど国家権力の関与は明らかである。
 日常生活で抑圧された人々が、その怒りを自らを抑圧するものでなく、むしろより弱く、自ら差別する対象を痛めつけることへと向ける悲劇を、本書は描き出す。今日、暴力はどこへ向かっているのか。考え込んでしまう。
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ふじの・ゆうこ 1976年生まれ。東京女子大准教授。専門は日本近現代史。著書に『都市と暴動の民衆史』。