予備知識なしに購入した本が、自分の好みにぴったりはまった時の嬉しさといったらない。ウィル・ハント『地下世界をめぐる冒険 闇に隠された人類史』(棚橋志行訳、亜紀書房)もそんな幸運な出会い方をした一冊だ。「地下世界」という単語と、奇妙な建築群を描いた装画に心惹かれて入手したのだが、これが大正解! 私たちの足元に広がるもうひとつの世界に光を当てた、興趣尽きないノンフィクションであった。
ある夜、ニューヨークで地下鉄を待っていた著者は、トンネルの暗闇からヘッドライトを装着した若者たちが現れるのを目撃する。それこそが立ち入り禁止区域や隠された空間に潜入する「都市探検家」との出会いだった。少年時代、故郷プロヴィデンスでトンネル探検をした経験をもつ著者は、地下歩きに魅了され、ニューヨークを皮切りにパリの地下納骨堂、カッパドキアの遺跡など、各国の「光なき世界」を訪れるようになる――。
秘境冒険小説の主人公を地でいくような著者が出会うのは、ニューヨークの地下深くに暮らす「もぐら人間」や、地球深部に潜む謎の微生物、ユカタン半島の洞窟に横たわる人骨など、地上ではお目にかかることができない者たちである。次々と明かされる意外なエピソードに、文字どおり足音がぐらつくような衝撃を覚えた。
危険な冒険旅行のさなか、著者がいつも立ち返るのは、人はなぜ地下世界に魅せられるのか、という問いだ。著者は文学や神話、哲学や芸術などの知識を総動員し、その答えに迫ろうとする。ヴェルヌやポーの小説にも言及しながら、「暗闇でしか見られない啓示」を求める著者のスタンスは、怪奇幻想文学の読者にもきっと共感できるはずだ。
山尾悠子の『飛ぶ孔雀』(文春文庫)にも、魅力的な地下世界が登場する。「幻の作家」8年ぶりの長編として刊行直後から話題を呼び、芸術選奨文部科学大臣賞と日本SF大賞、泉鏡花文学賞の三冠に輝いた、現代幻想文学を代表する長編だ。
石切り場での事故をきっかけに、火が燃えにくくなった世界。回遊式庭園で催される大茶会のため火を運ぶことになった女たちは、飛ぶ孔雀に襲われる。一方、勤め人のKは地下公衆浴場で路面電車の運転士に出会う。
硬質にして変幻自在な文体で綴られる無数のエピソードが、読者を非日常の世界へと誘ってゆくこの作品では、上下方向の移動がくり返し描かれる。作中世界の頂上にあるのは双子のようなシビレ山とシブレ山。下にあるのは、ダクトの中に大蛇がうごめき、何層にもわたって空洞が重なる地下世界だ。この心地よい悪夢のようなイメージは、一度読んだら忘れられない。
井上真偽『ムシカ 鎮虫譜』(実業之日本社)は、本格ミステリーの旗手が初めて挑んだ青春パニックホラー。将来に悩む音大生5人が、音楽にご利益のあるという神社に手を合わせるため、瀬戸内海に浮かぶ無人島を訪れる。そこで一行を待ち受けていたのは、岩窟に閉じこめられている異様な人影と、凶悪なカメムシの大群だった。クルーザーに戻る途中で二手に分かれてしまった5人は、カマキリやスズメバチなどの虫に次々と襲われることになる。
海外の昆虫パニック映画を思わせるような、いい意味でのB級感と勢いに溢れた作品。虫が苦手な人もそうでない人も、読んでいてゾッと鳥肌立つこと請け合いだ。思わず悲鳴をあげそうになったのは、「人食いお化けトンネル」と呼ばれる洞窟内で、多足類に取り囲まれるシーン。闇の深さが迫ってくる虫たちの不気味さを倍増させる。こんな目に遭いたくなければ、洞窟探検は本で読むだけにしておいた方がいいだろう。
虫を鎮める儀式、血なまぐさい噂、謎めいたヒロインの登場と、セールスポイント盛りだくさんのミステリーでもある。島に隠された秘密に、あなたは気づけるだろうか。
東雅夫編『ゴシック文学神髄』(ちくま文庫)は、今日のエンターテインメント文芸の源流に位置づけられるゴシック文学の代表的作品を、不朽の名訳で収録した豪華アンソロジー。先に刊行された評論・エッセイ選集の『ゴシック文学入門』と併せ読むことで、ゴシックの奥深い世界に触れることができる。異様にコストパフォーマンスのいいアンソロジーなので、ホラー好きならどちらも必読必携だ。
理性の届かない闇を扱う文学だけに、ゴシックにはしばしば地下世界が登場する。ウォルポール「オトラント城綺譚」ではヒロイン・イサベラが地下回廊に逃げこむし、ベックフォードの「ヴァテック」では少年たちが魔神の待つ地底世界へと呑みこまれてゆく。学匠詩人・日夏耿之介が生前冒頭のみを訳したポー「アッシャア屋形崩るるの記」(「アッシャー家の崩壊」)でも、棺の置かれた地下室が重要な役割を果たしていた。
「地下に下りるとは夢想すること」とは、ハントが『地下世界をめぐる冒険』で引用している哲学者バシュラールの言葉。ゴシックの時代から現代まで、光なき世界は作家たちにインスピレーションを与えている。