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誰かを傷つけるお笑いへの違和感を小説に 大前粟生さん「おもろい以外いらんねん」

文:小沼理、写真:本人提供

気づくとお笑いを好きになっていた

――大前さんはよく劇場に通うほどのお笑い好きだそうですね。お笑いは昔から好きだったのでしょうか?

 小学生の時に「M-1」がスタートして、子どもの頃は「エンタの神様」「爆笑レッドカーペット」「はねるのトびら」「笑う犬の冒険」「めちゃイケ」と、お笑いがテレビの中心を占めていました。当時はYouTubeも今ほど盛んではなかったし、すごく田舎に住んでいたので、摂取するコンテンツといえばテレビのお笑いでしたね。気が付いたら好きになっていたというか、影響されざるをえない環境にいたと思います。

 今振り返ると、こうしたお笑い番組の空気は学校の教室にも反映されていたと感じます。笑いを取れる人が人気者で、人を笑わせること、芸人さんのように場を回せることがすごいという価値観が、ぼんやりと学校中にありました。

――その中で、大前さんはどんな風に過ごしていたのでしょう。

 ぼーっとしていましたね。人見知りだったので、特に積極的にコミュニケーションをとるほうでもなく、いじられたら「こう言ったらウケるかもしれない」と思ったことを返して、ちょっと笑いが起きてうれしい、というような。

――『おもろい以外いらんねん』には口数が少なく教室であまり目立たない咲太、咲太の幼馴染でクラスの中心にいる滝場、滝場とお笑いコンビ「馬場リッチバルコニー」を組む転校生のユウキの3人が登場します。3人の中だと、誰に近いと感じますか?

 書きながら特に感情移入していたのは滝場です。滝場は常にハイテンションですが、それは自分の弱さを隠すための振る舞いでもあります。「こういうのがウケるんだろうな、と考えて行動していたら、からっぽになってしまうよな」と思いながら書いていました。

 僕自身フリーランスの小説家として活動していますが、それだけで、個人を売るということに加担しているというか、身を立てて売っていく仕組みに組み込まれています。知らず知らずのうちに既存のノリを自分も再生産しているんだろうなとすごく感じていて。自分の中のそういう「嫌だけど、やってしまっているかもしれない部分」を分析して、滝場というキャラクターに付与させていきましたね。

劇場で感じた、笑いへの違和感

――お笑いが好きな半面、誰かを馬鹿にしたり傷つけたりする笑いや、男社会的なノリに違和感を覚えることもあったそうですね。

 はっきりと自覚したのは、数年前に劇場を訪れた際に、あるお笑いコンビさんが漫才の中の言葉としてかなり女性蔑視的な台詞を言っていたんですね。「ほんまに嫌やな」と思ったけど、当時はそのやりとりで一番大きな笑いが起こっていました。

――「バスタオルの映像」という短編の中に、そのやりとりが描かれています。

 劇場で目撃したのと近いやりとりを作品でも描いています。「バスタオルの映像」は「早稲田文学」増刊号の「『笑い』はどこから来るのか?」という特集に寄せた短編。お笑いの好きなところと嫌だなと感じるところ、その複雑な思いを表現したくて小説に描きました。『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』という本に収録されています。

 この短編を読んだ編集者の方から「笑いと差別をテーマにした中編を書いてください」と依頼されて書いた小説が、『おもろい以外いらんねん』ですね。

――お笑いや男社会への違和感は、昔から感じていたものだったのでしょうか。

 学生の頃から感じてはいたのですが、言語化できるようになったのは最近です。日常を覆っている空気に違和感を唱えてくれるような本を読むことで、自分の中にあった感覚を言葉にできるようになったのだと思います。

 印象に残っている本はたくさんありますが、いま手元にある本で挙げるとすれば、はらだ有彩さん『日本のヤバい女の子』(柏書房)、レベッカ・ソルニットさん『説教したがる男たち』(左右社)、イ・ミンギョンさん『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(タバブックス)。どれもこれまで常識になっていた社会の空気に抵抗するための発想を与えてくれます。こうした本が、自分自身の発想の中に新しい領域を作ってくれたと感じます。

男性性への葛藤を、書くことで見つめる

――フェミニズムの影響は、前作『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』から色濃く表れていました。

 『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は「女性差別に傷つく男の子の話を」という依頼を受けて書きました。差別や性被害を受ける女性に共感して傷つきながら、自分が持っているかもしれない加害性にも傷つく男子大学生、七森の話です。

 フェミニズム関連の本を読むようになって、自分自身、それまで普通に生きてきたつもりが、他者を傷つけ得るようなホモソーシャル的な環境の中で生活してきたんじゃないのか?と気づくようになりました。そして罪悪感なども抱くようになったことが、書くきっかけになったと思います。

――男性がフェミニズムを学ぶと、七森のように自分の加害者性を意識しすぎて身動きがとれなくなってしまうケースがあると感じます。大前さん自身は、その中でどうバランスをとっていますか?

 小説の登場人物は自分自身ではないのですが、ある程度、自分が持っている面を素材にして書いたりもしています。それがいいことかはわからないのですが、登場人物として描くことで、客観化して分析しているところがあります。一度文字にして外部化して見つめることが、自分にとっては役に立っていますね。

 あと『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を書いてから、年下の方などから「主人公の七森は自分のことかと思った」という感想をもらうことがありました。そのことで、自分自身から登場人物が離れていったような感覚があります。

 男性性への葛藤はいまだにありますが、自分一人で抱え込んでしまうことが少なくなったというか。これは自分だけが考えていることではない、固有の苦しみではないと考えることで、楽になっているところがあると思います。

「おもろい」で完結しない小説を

――大前さんがジェンダーを描く上で、何か意識していることはありますか?

 「作品として閉じてしまっていいのか?」という葛藤が常にあります。性差別はリアルタイムで起こっていることですし、現実の社会問題を扱っている以上、現実に対して開かれている必要があると感じています。

 小説は文字だけでできているので、漫画や映像作品に比べると、見通しが悪いというか、読む人の記憶や認知をすごく動員してしまうものだと思います。良くも悪くも、読んでいるその人自身とつながってしまう。だからこそ、既存のノリや価値基準に乗ることなく、読んだ後に違和感やモヤモヤが残るようにしたいと考えていますね。「あー面白かった」で完結しないもの、というか。

――『おもろい以外いらんねん』では、あるテレビ番組で男性芸人からセクハラを受けた女性芸人が抵抗する様子が「笑えるやりとり」として放送され炎上するシーンがあります。しかしネットニュースなどでは、抵抗した女性芸人のほうが「冗談もわからないのかよ」とひどいことを言われてしまう。現実にもあるやりとりだと感じました。

 このシーンが書けたのは、現実の女性芸人さんを中心に、ホモソーシャル的なものに対する「これ、なんか違うんちゃう」と抵抗するような言葉が出てきたことが大きいです。1、2年前だったら、もう少し控えめに書いていたかもしれません。

 あまり現実の芸人さんから一人歩きしたようなものにはしたくないと思っていました。お笑い芸人というキャラクターが立っている存在をフィクションで描くと、妙にロマンチックに、ファンタジックになってしまう恐れがあります。どの人物を描く時も、過剰にデフォルメしないように気をつけていました。

 それから、このシーンは咲太が一視聴者としてお笑い番組を見ているという場面でもあります。咲太と実際にいまこの現実を生きている人が見る景色が重なるように、「一視聴者のリアルな目線」を描きたいとも思っていました。

お笑いを諦めたくない

――作中では、2019年のM-1で話題になった「傷つけない笑い」について話す場面もありました。

 登場人物でいうと、自分のお笑いに対する考え方はユウキと似ていて、お笑い芸人さんに対して「おもろい」以外のことを言うのは失礼なんじゃないかと思っています。まず「面白い」が最初にあって、その上で「傷つけない」なら良いと思うのですが、「傷つけない」ということばかりをフィーチャーするのは、芸人さんに失礼なんじゃないかな、と。

 傷つけようとしないことが前提になるのはいいことだし、誰かを蔑む笑いはきついなと思うけど、「傷つけない笑いをしているからすごい」というのには違和感があります。

――お笑いや男社会のノリへの価値観が変化する中で、咲太、滝場、ユウキの3人の考え方が変わっていく様子も、時間をかけて丁寧に描かれています。

 咲太、滝場、ユウキは3人とも男社会に属していますが、その視点はそれぞれ違います。そこにある苦しみや葛藤を画一的なものにせず、いろんな立場から描きたいと考えていました。

 作品を書くにあたっては芸人さんの実際のやりとりなども参考にしていて、露骨に男社会の危うさを反映している場面もあります。小説という立場から勝手に踏み込んだことを書いていて、良かったんだろうかと不安もありました。でも、実際に芸人の方からも「面白かった」と言ってもらえていてうれしかったですね。

――男性同士、あるいは男性芸人同士の関係を描く上で、意識したことはありますか?

 彼らにとっての問題の解決を女性の登場人物に頼らないようにしようと気をつけました。「俺ら」の問題は「俺ら」でケアするべきだろう、と。

――最後の3人の掛け合いのシーンはまさに漫才を見ているようで、大前さんの笑いへの愛情をすごく感じました。

 一方的に糾弾する話にはしたくなかったし、お笑いに対して、「こういうところが嫌だな」と思いながらも、めちゃくちゃ面白い漫才やコントに日々救われていたりはするので。お笑いや芸人さんに対して複雑な思いを持っていて、でも笑いを諦めたくない人に届くといいなと思います。

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