昨年「塩の道」で林芙美子文学賞を受けた朝比奈秋(あさひなあき)さん(40)。デビュー作『私の盲端(もうたん)』(朝日新聞出版)は、身体のままならない残酷さを描きながら、生命力に満ちた作品集だ。
朝比奈さんは消化器内科の現役の医師。青森の病院でひと月ほど働いた経験は、へき地の高齢者医療を描いた「塩の道」にいかされている。患者の戸惑いや医師の諦念(ていねん)が的確に物語に挿入されるが、ふいにタブーに突き進む大胆さに驚かされる。
表題作は、直腸の腫瘍(しゅよう)を取る手術で人工肛門(こうもん)になった女子大学生が主人公。全編を通して便の気配が漂う。バイト先の飲食店での描写が秀逸だ。食べることと排泄(はいせつ)が同時に起こり、チャーハンと便の臭いは混然一体となり、さらにエロスが混ざりあう。絶妙なさじ加減で、下品でも露悪的でもない。
「胃カメラや大腸カメラもやりますが、口と肛門が1本でつながっていることを日常で実感はしない。あの場面を書いて初めて、腸管すべてで便の存在を感じている、口と肛門は一体なんだ、と実感しました。僕自身にも衝撃的なシーンでした」
小説を書き始めたのは5年ほど前。「文学には親しみの一切ない人生だった」という。論文執筆中に、ふと思いついて書いたのが原稿用紙400枚分の小説だった。「頭の中にイメージが思い浮かび、これはどういうことなんだろうと書き進めざるを得ない。突然こうなって戸惑っています」
創作への衝動が収まらず、3年前に勤務医をやめてフリーランスの非常勤に。診療は週に1度。「30作を超えても物語を思いつくことをとめられず、差し支えが出て病院をやめざるを得なくなりました。仕事に不満はなく、やめたくなかったのですが……」
救急病院での勤務経験もあり、多くの死を見てきた。「死に様はみんな同じで、多くの方は意識がないまま死を迎える。しかしときどき、最後の一呼吸まで意識がしっかりしている人がいる。目力にやられそうになる。あなたはどう生きてきましたか、どんな声をしていますか、と聞きたくなるのです」
自身についてもひとごとのように語る。淡々とした語り口は作品にも通じる。「研修医、専門医と進み、社会に適応してこれまでやってきたのに突然、小説を書かざるを得なくなりました。35歳でいきなり。人生何があるかわかりません」(中村真理子)=朝日新聞2022年4月27日掲載