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岡野弘彦さん97歳、「全歌集」出版 己が身のほろぶる日まで詠みつがむ

岡野弘彦さん(門間新弥撮影)

 受賞を機に『全歌集』から自選した10首は、戦争を詠んだ歌が並んだ。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを見て、自身の戦争体験を重ね合わせたという。1945年1月、敗戦の年に入隊し、大阪の部隊に配属。4月、部隊の移動中に東京で大空襲に遭った。

枕木をかさねし上に友のむくろつみあげて火を放たむとする

 特攻隊長として命を落とした友人もおり、「生きながらえて、申し訳ない気持ちが今でもいたします」と話す。

辛(から)くして我が生き得しは彼等より狡猾なりし故にあらじか

生家は神社 暮らしから生まれくる言葉 戦禍も刻む

 三重県八幡村(現・津市)の神社の生まれで、父は34代神主。祖父や父は祝詞(のりと)に短歌を詠み込み、挽歌(ばんか)を作って死を悼んだ。幼いころから暮らしのなかに歌があった。
 長男の岡野さんは尋常小学校卒業後、神主を養成する全寮制の神宮皇学館で学んだ。中学3年生のころ、折口信夫(歌人としての名は釈迢空〈しゃくちょうくう〉)の短歌に出会う。「クラシックな伝統の美しさを持つ作風」に惹(ひ)かれ、折口が教壇に立つ国学院大学に進学した。
 終戦後に復学し、折口が主宰する短歌結社に入会。庭仕事や口述筆記の手伝いを経て書生となり、53年に最期を看取(みと)るまでの約7年間、炊事を担った矢野花子さんと3人で暮らした。
 「世間では『あの先生は怒ったら怖いよ』と言われていましたけど、温かくてありがたい先生でした」。読み終えた新刊本を与えられ、歌舞伎はもちろん、新劇や新派の舞台を一緒に鑑賞し、刺激を受けた。

師・折口信夫から学んだ 玉のような「いい歌」の感覚

 新聞や雑誌の歌壇欄で選者を務めた師のもとには、たくさんの投稿が寄せられた。神経質で不特定多数の人から届くはがきに触れるのを嫌った師に代わり、岡野さんが必要な量の3倍ほどを下選びしては、原稿用紙に清書して渡した。大事にしたのは、師に学んだ「いい歌」という感覚だ。
 「定型の中で、すっと心に流れ込んでくるような歌がいいんです。玉のような感じで、まろやかに、ふうっと心に入ってくる。論理的に説得してやろうっていう歌は、力ある歌にはなれないですね」
 神社の跡継ぎは弟に任せて歌の道に入り、約40年間、国学院大学で教えた。学生運動が盛んだったころは、「是は是、非は非と、身をもって示さなければ」と体を張って学生たちと付き合った。
 「外の力に任せるのは教育者として恥ずかしく、機動隊だけは入れちゃいかんと思って自分で止めに入りました。セクトの学生は純粋で、体を張っていくと、すっと力を抜いてくれた」

そが上に身を伏せて我を蹴れといへばすなはち蹴りて後はためらふ

 いまも日々、歌を詠む。
 「歌は、創作意識を鋭くして作る、というのとはちょっと違うんですね。日常生活の自然な流れの中で、すっと出てくる、そういうものなんです」

己が身のほろぶる日まで詠みつがむ。しらべすがしき やまと言の葉

 (佐々波幸子)=朝日新聞2022年6月8日掲載