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教師が嫌いだった桃野雑派さんに尊敬に値する大人の存在を気づかせたドラマ「フルハウス」

©GettyImages

 剣道部の練習を終え、くたくたなのにもかかわらず、走って帰るほど楽しみにしていることがあった。NHKで放送していた海外コメディドラマだ。『アルフ』『愉快なシーバー家』『ブロッサム』『おまかせアレックス』など、ちょうど家に帰る頃に始まる時間で、中でも『フルハウス』という番組は欠かさず見ていた。

 妻を交通事故で亡くした男が、友人と義理の弟の助けを得ながら子育てをするといった内容だ。かなり重い設定だが、タナー家に過度な悲愴感はなく、子育ての大変さや友情の大切さを、天真爛漫な娘三人に振り回される大人達の姿を、ユーモラスに描いていた。

 中でも登場人物の一人、ジェシーおいたん(末娘のミシェルにこう呼ばれていた)に憧れた。芽の出ないミュージシャンで、最初は子育てに消極的だったが、段々と子供達や同居人と絆を深めていき、家族を大切に思うようになる。そんな姿に胸を打たれた。『フルハウス』は、息が詰まるような毎日の癒やしだった。

 というのも、高校までは総じて鬱屈していたからだ。学校が嫌いだった。正確に書くと、教師が嫌いだった。教師さえいないなら学校に行ってもいいのにと考えていた。

 教師との確執は、小学四年生の時から始まる。ある女性教師に何故か目を付けられ、毎日必ず馬鹿にされた。当時は体罰がまかり通っていたから、殴られたことも一度や二度ではない。何かあるたび教室の壇上に上げられ、クラスメイトに笑われるという精神的な辱めも受けた。そんな環境だったからイジメにもあった。教師が、あいつは馬鹿にしても良いというお墨付きを与えたのだから当然の結果だ。あげく、自分の信奉していたカルトに、私を入信させようとした。

 後に児童労働や児童虐待が問題視されることになる、あのカルト村である。幸いその教師の誘いには乗らず事なきを得たが、暴力だけでは飽き足らず、マインドコトロールされかけたわけだ。この一件をきっかけに、学校や教師という存在を徹底的に嫌うようになった。

 それは中学高校と上がっても変わらなかった。当時、教師というのは合法的に暴力を振るえる職業だった。剣道部だったから、竹刀で面を着けていない頭をどつかれたり、わざわざ胴を外されてから腹を蹴られたりもした。あまりのシゴキに嘔吐した同級生を、これぐらいで吐くなと怒鳴りつけるところを見たときは、教師には人間の心がないのだと確信した。

 そんな教師ばかりじゃないと言われるかも知れないが、現実にそういう教師ばかりにあたった。残念ながら証拠はない。スマホはもちろん、携帯電話も普及してはおらず、証拠を残す術が子供たちにはなかったからだ。あるいは、だからこそこんな教師が跋扈していたのかも知れない。今は違うと信じたいが、ブラック部活で生徒が自殺したなんてニュースを見た後では無理だ。

 『フルハウス』でなにより衝撃だったのは、大人達の態度が、自分の知る大人とはまったく別物だったことだ。

 タナー家の大人達は決して偉ぶらず、叱りはすれど怒鳴りはせず、もちろん暴力もなく、自分が失敗をすれば子供達にも隠さず伝え謝り、未熟であることを素直に認めて反省した。子供達もまた、そんな姿を見て生き方を学び、少しずつ成長する姿が描かれていた。

 こんなことをする大人は、周りに一人もいなかった。ふんぞり返ることが威厳で、暴力が指導になると勘違いしている連中ばかりだった。

 そこで初めて、自分がいかに狭いコミュニティで生きているのかに気づいた。違う場所に目を向ければ、尊敬に値する大人がちゃんと存在するのだ。

 癒やしは人生の指標に変わった。タナー家のような大人になりたい。そう思うようになった。

 でも僕は、まだジェシーおいたんのような格好いい叔父さんにはなれていない。今も懸命に、目標に向かっている。

 余談だが、大学時代はとても楽しかったことを書き記しておく。