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寺山修司の「もしも」通じて描いた知識や理屈の先 中森明夫さん「TRY48」

中森明夫さん=齋藤大輔撮影

きっかけはコラムのネタバレ?

――中森さんの小説といえば、三島由紀夫賞候補にもなった『アナーキー・イン・ザ・JP』(2010年)は、アナーキストの大杉栄が現代の17歳の少年に憑依する作品でした。今作は、なぜ寺山修司だったのでしょうか。

 実は10年前から構想があったんです。没後30年のときに、洋泉社「寺山修司の迷宮世界」というムック本で原稿を依頼されたんですね。そのお題が「もし寺山修司が今生きていれば」。

 当時はAKB48のブーム全盛期で、寺山と同世代の大林宣彦監督がシングル曲「So Long!」で、映画顔負けの1時間ぐらいのミュージックビデオを撮っていました。大林さんが撮ったんなら寺山も撮るんじゃないか、と考えた。

 だけど、寺山修司って、ものすごく売れっ子に対するライバル意識が強い人だから、秋元康さんと大喧嘩になるだろう、と。秋元康に対抗して、寺山48、TRY48だ!ってオチだったんですよ。

 ところが、出来上がったページを開いてみたら、老人の寺山修司が女の子を前に「TRY48」って旗を立てている大きなイラストが載っててね。

――オチなのに……。

 完全なネタバレじゃない? そこで驚いてもらいたいのにね。一瞬ムッときたんだけど、ちょっと考えを取り直して、「あ、これ小説にすればいいんじゃないか」って気づいた。

 大杉栄は100年前だけど、寺山は当時30年前だからもっとビビッドだし、何と言っても寺山修司は面白いですからね。

――寺山修司は中森さんにとってどんな存在でしたか?

 僕は1960年生まれで、75年に上京してきました。70年代に『家出のすすめ』とか『書を捨てよ、町へ出よう』といった寺山の著作が続けて角川文庫に入って、それを次々に読んでいった。映画も見ていました。演劇実験室「天井桟敷」の活動も盛んにやっていたんだけど、寺山演劇ってアングラでね、ちょっと行きにくかった。

 一方で、20歳そこそこでライターになった頃から、寺山のブレーンの1人だった劇作家の高取英さんにはお世話になっていました。寺山の話を聞かせてもらって、いつか会わせるよ、なんて言ってくれていたんだけど、結局会う機会がないまま、1983年に寺山さんは亡くなります。告別式には行きましたね。
 その高取さんが「月蝕歌劇団」という劇団を立ち上げて、寺山の戯曲を上演していたので、「邪宗門」「盲人書簡」「奴婢訓」といった主要な戯曲は、高取さんの演出で見ました。公演の打ち上げに参加させてもらうと、天井桟敷のJ・A・シーザーさん、寺山偏陸さん、萩原朔美さんとか、寺山さんゆかりの人たちがたくさんいるわけです。お酒を飲むと、寺山さんの昔話になる。そのうち、「今生きてたらどうだろう」という話になるんですね。「格言や短歌みたいな短い言葉は得意だから、ツイッターはやってただろうな」とかね。「偽アカウント作るんじゃないか」「覗きYouTuberになったんじゃないか」と、その話がすごく面白かった。しかも寺山さんを直接知る方々だから。

――そうやって構想が膨らんだわけですね。

 その人たちを通して、寺山という人間を感じられた。高取さんには、寺山の妻だった俳優の九條今日子さんも紹介してもらいました。この小説の構想を話したら、喜んでくれた。「面白いから何でも協力するわ。いつでも話聞きに来なさいよ」と。ところが、翌々月亡くなってしまった。それでお通夜に行って、「お約束したことは必ず守ります」と誓ったんですよ。

膨大過ぎる資料に挫折も コロナ禍が転機に

――ところが、そこから9年かかってしまったんですか。

 そうなんです。大杉栄のときのように、僕はデータを頭に入れてやろうと考えた。ところが寺山の著作は非常に多いし、ゆかりの人が書いた本や評論は現在も毎年のように出るわけです。それを買ってきて積み上げた。あとは映像もある。

――巻末の参考文献リストも膨大ですね。

 最終的に、寺山関係だけで百数十冊は読みました。僕の想像をはるかに超える量で、一度挫折したんですよ。ところが3年前からコロナ禍になった。僕は人と会って話すのも好きなんだけど、一人暮らしでまったく外に出られなくなってしまったし、仕事もキャンセルされて、精神的に相当追い詰められた。そこで、はたと、今なら時間があるし、書くことなら出来るじゃないか、と思い立ったわけです。もう一度資料を引っ張り出してきて読みふけり、書き続けました。

――コロナ禍で、執筆を通じて自分を励ます意味もあったんですね。

 僕の場合は、自分が青春時代に読んでいた好きな人を、現代に蘇らせることが動機になる。僕だって、普段のコラムは締め切りが来たから書くという部分もあります。でも、長編小説は時間や労力がかかる分、やっぱりモチベーションが欲しい。もちろん売れてほしいし、もうかればいいと思うし、チヤホヤして欲しいんだけど(笑)。もっと大きいのは、書いているときに自分が興奮すること。架空のことなのに、その世界に入っていて自分が面白い。

とにかく読者を驚かせたい

――作品内でビジュアルや楽譜まで動員していますよね。

 連載時には各回で盛り上がりを作りたい。第1回目にあたる部分(単行本第1章)でいえば、サブコがその場でスマホを駆使して、寺山修司とアンディ・ウォーホルの類似性を図で示してみせる。やっぱり、紙の本でめくったとき、ぱっと出てくるのがいいでしょ?

 もちろん、僕が作るときはもっと時間かかったよ(笑)。

サブコの顔が、きりっとする。と、うつむき、猛烈な速度でスマホの画面に指を走らせ、次々とネットサーフィンし、何やら書き込み、図表のようなものを作成していた。
「アンディ・ウォーホルも、寺山修司も、寂しがり屋の父なし子で"空虚な中心"……ホイホイとそこに人々を吸い寄せる。ウォーホルがリスペクトしてファンレターを書いた作家が、トルーマン・カポーティで、寺山のほうは、三島由紀夫と。後見するビート詩人がウィリアム・バロウズで、寺山は谷川俊太郎。拠点がファクトリーと、天井棧敷と。作った雑誌が「アンディ・ウォーホルズ・インタビュー」と、「地下演劇」。二人とも、実験映画もメジャー映画も撮ってるしね。プロデュースしたロックバンドがヴェルヴェット・アンダーグラウンドで、そのボーカルがルー・リード、寺山が歌手デビューさせたのが東大生時代の小椋佳。片や歌姫ニコ、こなたカルメン・マキ。ウォーホルのスーパースター、
60年代のヒロインはイーディ・セジウィック。こちらはサブカル女王・鈴木いづみかな? 二人ともポルノ映画に出たし、後にその生涯が映画化もされたし。イーディはボブ・ディランと恋をして、28歳でドラッグ死。鈴木いづみは阿部薫と結ばれて、36歳で首吊り自殺した……と、ふ〜」
よっしゃ、でけたでけた、とにんまり笑い、サブコはスマホの画面を見せ、スワイプする。(「第1章 寺山修司・85歳、アイドルグループをプロデュースする」より)

『TRY48』より

 第2章では、1970年に「あしたのジョー」の力石徹の葬儀をやった寺山が、2005年に『デスノート』のLの葬儀をやる。しかもここでもね、Lと白土三平『忍者武芸帳』の影丸を並べたんですよ。髪形と目つきが重なるようなコマを探すのが大変だった。しかも、ちょうどページをめくって出てくるように行数調整しているわけですよ。

――そういうことに心血を注いで……。

 とにかく、読者を驚かせたい。それは寺山も同じで、人を驚かせるのが大好きでしょ? 「ローラ」(1974年)という映画では、スクリーンの中から呼ばれた客が、本当にスクリーンの中に入って、素っ裸にされてまた出てくるんですよ。これにはスクリーンがゴムひもで出来ていて、観客に紛れていた俳優の寺山偏陸さんが出てくるわけなんだけど、普通思いついてもこんなことやらないじゃん。

――おもしろいです。寺山は形式を疑う力が非常に強いですよね。

 いや、「形式を疑う力」とかそういうのは理屈でしょ。単に「驚かしたい」というのが最初にあって、あとで理屈がついてくる。かつての芸術家にはそういうところがあって、日本で言えば、三島由紀夫であり、寺山修司だった。最近の日本では作家に驚かされることはあまりないでしょ? この小説では、寺山修司について書くんじゃなくて、寺山修司の方法論で書こうと思った。

 ところがね、小説は圧倒的に不利なんですよ。まず音が出ないし、動かない。最近の文芸誌って、文字ばっかりじゃない?

――文芸誌というのはそういうものだと読者も思っている気がします。

 だから、明らかに連載時は浮きまくってたよね。だけど、こういうことがやりたかった。背景には、自分の体験があります。僕が20歳くらいだった1980年前後はサブカルチャーが前面に出てきた時期でした。糸井重里やYMOが表現者になって、いわゆる感性の革命が起きた。

 文学の世界では、村上春樹や村上龍ですよね。春樹や矢作俊彦の小説にはイラストが入っていたし、高橋源一郎は漫画を引用した。橋本治は女子高生の口調で書いた。カート・ヴォネガットのような海外小説の影響もありました。ポップなことを文学でやっていい、何をやってもいいんだ、自由になったという雰囲気があった。

 20代後半の頃、文壇バーで柄谷行人さんと飲んでいて、そんな話をしたんです よ。すると、柄谷さんに「中森、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』を読んでみろよ」と言われた。言ってみれば、マウントですよ(笑)

――古典を読め、と。

 それで、買って読んでみたけど、もう愕然としたんです。「それまでの展開を図にするとこうなる」とかいって、グルグル螺旋みたいな絵が入ってる。ふざけてるでしょ? 書かれたのは18世紀ですよ。それを夏目漱石は原書で読んでいる。だから、1980年代の僕に新しく見えたものは、200年前にやってるんだ、近代小説の最初期から自由があったんだと知った。柄谷さんには感謝しています。

 僕が歴史ある文芸誌「新潮」の連載で、自分で作った新聞を入れ込んだり、このために、でんぱ組.incのプロデューサー・福嶋麻衣子さんに作曲してもらった楽曲の楽譜を載せたりすると、いかにも「誰もやってないことをやってるだろう」「純文学を壊しちゃったぜ」なんて、得意げになってるように見えるかもしれないけど、違うんですよ。そんなことでは、もう若い頃に打ちのめされている。むしろ、どれだけやったっていいんだということなのね。どれだけ壊そうとしても小説というものは壊れるはずがない。むしろ、壊れそうなところまで近づいたときに小説の偉大さが顕現してくる。

――小説に対する信頼ですね。

 これはもう理屈ですけどね。こういうことを言うから、僕の小説はますます書評しにくくなる(笑)。考えてみれば、寺山も自分の作品を解説してしまう人でしたね。

必死に戦った孤独な寺山と自分を重ねて

――様々な資料を読見込んで、改めて見えてきた寺山の面白さはありますか。

 寺山論はたくさんありますが、僕が面白いなと思ったのは、吉本隆明が「寺山修司の世界」という講演で話したことです。寺山のことを「たいへん孤独な人だったと思う」と言って、「インディアンに囲まれたアメリカの騎兵隊」や、逆に「騎兵隊に囲まれて砦にこもったインディアン」に例えています。砦のなかには実は一人しかいないんだけど、いろいろなところから鉄砲を撃って、たくさんいるかのように見せていた、というわけです。寺山は短歌や詩、エッセー、演劇、映画とたくさんのことをやっています。吉本さんは単独者として様々なことに手をつけるところが「寺山さんのいちばんいいところ」だと評価している。

 僕はこの作品で、今度は「あしたのジョー」の力石徹の葬儀の回にしよう、次は演劇だ、と寺山になりきってやっているわけだけど、書いているうちに吉本隆明の言っていることがわかってきた。つまり、騎兵隊やインディアンというのは、絵空事の比喩ではなくて、相手に殺されそうになっていることが大事なんだということです。寺山は、18歳のとき短歌で「昭和の啄木」と評価されたすぐ後から、ネフローゼで3年間療養生活を余儀なくされました。死というものが常にそばにあって、しかもそれが観念としての死ではなくて、実際に体調が悪化するわけだから、常に肉体的恐怖がある。八面六臂の活躍をして華やかで器用な人に見えているけども、単に元祖マルチクリエイターだというのではないんですよ。敵に囲まれて襲われているという必死さが、その多彩さを生んでいると、吉本さんは言おうとしてたんだと思う。

 それは、僕自身が本当にコロナ禍で苦しくて、とにかく寺山の全部を書いてやるんだという意気込みでやっていて、頭ではないところでわかってきたことなんです。

自分でも想定外の展開に

――中森さんの小説は、ひらめきのようなアイデアが出発点にあることが多いですね。

 わかりやすくて、おもしろいのが大事なんです。細かいことや結末は考えないですよ。全部決めてあると書いてて面白くないでしょ? 作家の紋切型の言い方として、「登場人物は勝手に動き出す」というのがありますよね。最近は「そんなわけない」という作家もいますけど、僕は比喩としてはわかる。自分が意識していることなんで、大したことない。書いてるうちに、登場人物が自分の考えてもいない無意識のところに接続して、表現できることがある。長編小説というのは、そうやってグルーヴが生まれると思う。そこに、書いていて面白い、たまらない感じがある。

――今作でいえば、際立った登場人物としてサブコがいます。その名の通り、サブカルチャーに精通していて、百合子に何でも教えてくれて、寺山とも対等以上に渡り合いますね。中森さん自身が、日本近代文学から海外文学、現代思想やサブカルチャーまで知識がこれでもかとあふれ出てくる人で、サブコは中森明夫の分身だと感じる人も多いと思いますが、そのサブコが、自分には「知識」と「理屈」しかないのではないか、という悩みを百合子に吐露する。そして、寺山修司も自分と一緒ではないか、と言います。

 そうですね。サブコは寺山のカウンターパートであり、僕自身の分身でもある。同時に、いずれも似たタイプの人間であるわけです。僕、ちょっと寺山っぽいでしょ?(笑)。もちろん、彼にはかなわない。だけど、すでに十何年か長く生きてるから、その分知っていることも多いよね。

――『TRY48』も、知識や言葉が洪水のように押し寄せてきます。ただ、その先に、それだけでは表現できない、さらに上位のなにかを求めているように感じました。

 そうそう。いまもね、あなたが「洪水」って言った瞬間に、すぐキーワードをリンクして『洪水はわが魂に及び』(大江健三郎)とか、J・M・G・ル・クレジオの『大洪水』とか、脳内サブコが出てくる。そういう性質は存分に生かしたかった。

 そして、おっしゃるように、サブコがこの小説の問題です。寺山修司を全く知らない若い人の入門書にもなっているようにしなきゃいけない。寺山と百合子だけだと、寺山の情報を著者が出張ってきて地の文で書かざるを得なくなる。それはしらけるなと思った。

 それで、「サブカル部」のウザケン先輩や小山田啓部長というキャラクターを交えて、部活モノとして書こうかと思っていたんですよ。その中で、サブコを出して、天才少女の語りによって、寺山修司の実像をわかってくるようにした。あくまでいちキャラクターのつもりだったんだけど、サブコが喋り出したら、どんどん勝手に動き出して、もうサブコでいいんだと思ったんです。寺山修司は猛烈に頭がいいわけだけど、サブコVS寺山になる。

――サブコの語りはドライブがかかって、ある意味で主人公以上の存在感があります。

 じゃあ主人公の百合子はどうなんだ、ということになる。百合子は狂言回しで、いわばサブコの操り人形のようになってしまうんですね。しかし、それでは終わらなかった。

――サブコは完全無欠なスーパーガールではないところを見せ、百合子がそれに応えて、二人の関係性は大きく変わりますね。

 自分でも想像していなかった展開で、書きながら泣きました。その時に、完成度が高いとか、そういうことではなくて、これでいいんだ、と思えたんです。寺山も、サブコも、あるいは彼らに憑依した僕も、この物語においては敗北する。これを書きたかったんだと、知性の限界がこの小説のテーマだとわかって、うれしかったですよ。そのためには、サブコなり、僕が描く寺山修司を通して、限界をやらなきゃいけない。僕なりに限界までやりきった。知性は敗北したけれど、物語は勝利した。明らかに何かを突破したと思います。ぜひ、多くの人に読んでほしいですね。