脚本とスタッフの想い、ただならぬ熱量感じた
――本作のオファーを受けてから快諾まで、およそ1週間という異例の早さだったと伺いましたが、それはどんな思いからだったのでしょうか。
そう言われてみると「あ、そんなに早かったんだ」と思うんですけど、僕としてはいつもと変わらず、脚本を読んで「ぜひ参加させてください」という気持ちになりました。今回の映画化は、白石(和彌)さんをはじめ、髙橋(正弥)監督や制作スタッフの皆さんが長年温めて大切にしてきたことで、「この作品の主演をあなたにやってほしいんです」と言われた時の喜びは、ほかに勝るものがなかったですね。とにかく皆さんの熱量がものすごかったので、その期待に応えたいと思いました。
――脚本からどんなものを感じましたか?
この脚本には、ただならぬ熱気みたいなものを感じたんです。原作小説が30年以上前のものであることもそうですし、この作品を映画化するにあたって、長い時間を経て色々なところでいろいろな人の力や思いがプラスされて、ようやく自分のところにたどり着いた。そのことは僕にとっても大きかったですし、その思いに応えるためにも、自分が求められていることは何か、この役に対して、この作品に対して必要なものは何か、ということは脚本を読んでから常に考えていました。
――私は映画を拝見してから原作を読んだのですが、短編ということもあり、結末が違っていたことに驚きました。生田さんは原作をどう読まれましたか。
僕も原作を読み終わったときは「この何とも言えない気持ちをどうすればいいの?」と思いました。もちろん、それはそれでひとつの結末だと思いますが、髙橋監督には「この作品を映画にするのであれば、少し光が見えるような、希望が目の前にやってくるような感じで終わりたい」という思いがあったんです。僕もその思いに賛同したので、この映画を見終わった後に普段見ている景色が少しでも変わっていたらいいなと思います。
「何か」をせき止めてきた男の悲哀
――貧しい家庭を訪問しては忌み嫌われる水道局員を演じる上で、「特にこういう部分を表現したい」と思ったところはありましたか。
世の中には規則やルール、モラルがあって、大人になるとそこからはみ出すことはしなくなる。「決められたことは守る」、「やれと言われたことは仕事だからやる」っていうことを繰り返していると、ふと、「これって何のためにやっているんだっけ?」とか、「これって正しいの?」と思うことは僕もあります。それに対して「お金のためだよ」、「じゃあ何のためにお金が必要なの?」と自問自答を繰り返していると、訳が分からなくなる瞬間があって。
岩切も、そういったことにフタをしていろんなことで傷ついて、その傷口がまだジュクジュクして癒えていないのに、傷ついていないフリをして痛みを感じなくなっている。同僚の木田から「なんでこんなことしなきゃいけないんですか?」と聞かれても、水道料金滞納者から「空気や太陽の光はタダなのに、どうして水はタダじゃないんだ」と言われても、笑ってごまかしながら淡々と生きてきたけど、どこかで「なんか違うんだよな」「人生ってこれでいいんだっけ?」と考えることがあったと思うんですよね。
いろいろな人と時を過ごしていくことによって、岩切のこれまでせき止めてきた“何か”が漏れて、その感情が爆発した瞬間に、ダムが決壊したように岩切はぶっ壊れて、ある行動に出るんですけど、これまでギリギリのところで一生懸命“何か”をせき止めている男の悲哀みたいなものが出せればいいなと思って演じました。
――困窮家庭にとって最後のライフラインである「水」を停める「停水執行」の作業は、ある意味「死刑執行人」のようでもありますね。
僕も実際に水道を停める作業を経験させてもらいましたけど、栓をキュッとひねって、カシャッて鍵を閉めたら、もうそれでおしまいなんです。「こんなに簡単に停まるんだ」と驚きました。そのあっけない感じが、一家の水道を停める、もしかしたら命に関わるかもしれないという事の大きさと反比例していて、やりきれないというか、考えるところはありました。
――映画の中盤ごろまで、岩切の目や表情、話す言葉までもが「渇いていた」ように感じました。
「これは仕事だから」と淡々と停水執行していくうちに、そのことに慣れてしまって自分の感情が麻痺してしまったんだと思います。皆さんも、心のどこかに岩切と同じような思いをしたことや、忘れられない胸の痛みがあると思うんです。世の中の不条理に疑問を感じることや、「なんであの時、ああしなかったんだろう」という後悔をずっと抱えて生きている。その胸の内に秘めている心の傷みたいなものを、岩切の干からびた心身を表現する演技に活かせたらと思いました。
こういう映画を作ることが僕の使命
――育児放棄を受けている幼い姉妹との、つかず離れずの距離間が切なくもありました。
姉妹を演じた2人は脚本を渡されていなくて、監督がその場その場でセリフを入れて撮影していたんですよ。なので「このおじさんは誰なんだろう?」「何をしに来た人なんだろう?」ということを、毎回その場で一つずつ伝えながらやっていったので、彼女たちとの撮影は割と「生」っぽい感じがしました。
僕と同僚の木田を演じた磯村くんは、髙橋監督から「彼女たちとはあまり話さないでください」と言われていたんです。母親に見捨てられ、家の水道を停められてしまう彼女たちのことを「かわいそう」とか「何とかしてあげたい」と思うんだけど、どんな理由があれ、「これは規則だから、仕事だから」という線引きをしているわけですよね。その線引きを現場でも常に意識してほしいという監督の意図があったので、僕らも一定の距離を保つんだけど、彼女たちは僕たちとも話したいから笑顔で近づこうとするんですよ。それがまた切なくて……。その距離感が妙にリアルで、心が痛かったですね。
――貧困や格差問題が本作のテーマのひとつでもありますが、当事者や、実際に関わりがないとあまり意識しないことでもあります。こういった社会に蔓延する無関心や不正義に「あなたならどうする?」と問いかけられているような気持ちになりました。
本当に難しい問題ですよね。例えば、本作における岩切もそうですが、「何か変えたい」と思って何らかの行動を起こすけど、結局は何も変わらず1日が終わって、また新しい日が来る。その繰り返しなんですよね。そのループの中に自分という存在もあるんだけれど、個人の力ではどうにもならないことばっかりで。でも、その答えが見つからないからこそ、こういう映画を作ることが自分の使命なのかなとも思います。僕は特別、問題提起したいという思いが強いわけではないのですが、この作品に触れることによって、見てくれた方々がいろいろなことを感じてくれればいいのかなと思っています。