「サラダ記念日」でデビューして以来、20代、30代は恋愛の歌を、40歳で出産した後は子どもの歌を数多く詠んできた。一昨年春に息子が大学に進み、この先、どう歌を詠んでいくのか、問い直す日々が続いた。
思い出したのは、陶芸家・富本憲吉の「模様より模様を造るべからず」という言葉だった。すでにある模様を利用して次の模様を造るのではなく、一回一回、自分の目で自然を観察して新たな模様を生む。
《言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ》
一昨年、AIが瞬時に100首もの短歌を生成する様子を目の当たりにした。「言葉から言葉をつむぐことならAIにもできるが、ゼロから言葉を生み出すことは人間にしかできない。一首一首、世界を見つめ、心から言葉をつむぐ時、歌は命を持つ」との思いを込めた一首だ。
同じ年の秋には6年半暮らした宮崎から仙台に移り住んだ。高齢となった両親のそばで暮らすためだ。
《白い娘と黒い娘がおりましてどちらが出るか日替わりランチ》
離れていれば「良き娘」でいられるけれど、近くで愚痴を浴びれば「ブラックな娘」が顔を出す。
《切り札のように出される死のカード 私も一枚持っているけど》
人生のいい面を捉えてきた俵さんにとって、珍しく「黒い歌」。だが、「いいことだけではない歌が入っていることに救われた」といった感想が寄せられ、「黒い歌にも人を励ます力があるのだと気づいたことは大きかった」と話す。
一方で、両親のそばにいるからこそ、こんな場面にも出会った。
《父に出す食後の白湯をかき混ぜて味見してから持ってゆく母》
「電子レンジで温めた白湯(さゆ)を、おさじで混ぜて温度を確かめている母のしぐさにぐっときた」。こうした小さな動きをとどめることができるのも、短歌のよさだという。
年を重ね、自身の病も歌のテーマに加わった。
《放射線からだに降らすこの春の白湯と桜の日々いつくしむ》
昨春、悪性リンパ腫の治療をしていた頃につくった一首。「いつくしむ」と詠んだのが俵さんらしい。寛解したいま、「病気して初めて『自分の心を支えてくれていたのは、この身体なんだな』といとおしさが湧いた」と振り返る。
再び恋の歌が増えたのもこの歌集の特徴だ。「その年齢でしか見えない景色がある。昔好きだった人に30年ぶりに会った時の気持ちは、20代では決して味わいようのない感情です」
《シャルドネの味を教えてくれたひと今も私はシャルドネが好き》
7冊目の歌集を編み上げて思うのは「これまでと変わらず日常を味わって生きていけば、歌をつくり続けていける」ということだ。「心から言葉をつむいでいくのには時間がかかる。けれども、心の揺れに立ち止まり、言葉を探す、歌に至るまでの時間が貴重で、その時間も含めて短歌なんだと感じています」(佐々波幸子)=朝日新聞2024年1月10日掲載