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人生・家族・ことば 新しい「常識」について考える 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

 物事は変化し続ける。当たり前であるはずの「常識」ですらあいさつや断りもなくいつの間にか変わっている。「変わるはずのないもの」が変わるのだから話が違う。だが「近頃の常識(現実)は間違っている。修正が必要」と言ったところで昔にはもどりはしない。

 社会を変えようとするのは大事だが、自分の意識を変えることも大事だ。それが結果的に社会をよくすることにもつながる。そんな新たな「常識」を示してくれる本を紹介したい。

「子どもが老後の面倒見てくれるとかもはや都市伝説」

 最初に紹介するのが『ひとりでしにたい』(講談社)だ。マンガ、しかもギャグ作品ではあるが、扱うテーマは切実で身につまされる。痛いくらいだ。

 山口鳴海(35歳、独身)が伯母の孤独死をきっかけに「婚活」を飛び越えて「終活」を意識し始める、という出だしだ。30代で孤独死の心配をするのか……と思ってしまう。

 しかし改めて考えてみると、結婚する予定のない人間は家族が減ることはあっても増えることはない。順調に年を取れば死ぬくらいには独りになっている。若い時にやるのがつらいことを年を取ってからやるのはもっとつらい。しかもおそらく独りでしなければならない。むしろ30代半ばでそれらのことに気付けた主人公・鳴海は「幸運」と言ってよいのかもしれない。

 そもそも気付きに至るまでの鳴海の考えは明らかに「古い」。住居さえ確保すれば大丈夫、結婚すれば安心、おカネがあれば平気だの…後輩男子に「令和になったって知ってます?」とつっこまれるのも無理もない。

 だが、この程度ならいまだ「常識」と考えている人は多いし、すべての分野で最新情報を得るのも無理だ。大切なのは自分の現状を把握することと必要な情報や意識をアップデートすること。作中に出てくる「道に迷った時はまず現在地を確認」は至言だろう。「助けて」は孤独死を防ぐ、助けをどこに求めるかを元気な時に調べておく、仕事と家族のどちらかを犠牲にしなければならない状況が異常……。「お手本」を失った我々の人生に参考になる言葉に満ちている。

「家族の幸せ」にもエビデンスを

 結婚、出産、子育てなどの「家族」の分野でも常に最新情報がめまぐるしく飛び交っている。「常識」の入れ替わりも激しい。にもかかわらず、思い込みや迷信・神話がこの分野で根強いのも事実だ。

 それらの言説を詳細なデータで分析・解説したのが『「家族の幸せ」の経済学』(光文社)だ。「経済学」というだけあって「メリット」からの視点での分析が目立つ。

 本書を読めばメリットがあると言われていた結婚や育児の通説がいかにエビデンス(科学的根拠)を欠いていたかということがわかるだろう。出会いのない現実よりもよほどマッチングサイトが出会いの機会を提供している、母乳育児は乳児に健康面でメリットはあるが長期的な観点から知能への影響は未確認である、育休は1年間ならば母親の仕事に有利な効果が期待できるが、3年に延長したところで追加効果は確認できない…

 この分野、先に述べた通り「常識」が頻繁に変わるので、これらが間違いなく正しいとは断言できないだろう。将来的に覆されることも十分考えられる。が、少なくとも著者の提言はデータに基づくもので「なんとなく」ではない。

 エビデンスに基づき現実に向き合う姿勢が、今こそ求められている。日本社会や政府は家族の取り組みや政策においてピントの外れた、現実に即していないことばかりをしてはいないか。新たな「常識」を作り出していくためにもこの姿勢は社会全体に必要なものだろう。

「っす」って敬語っすか?

 「言葉」もいつの間にか変わっているものだ。「新敬語「マジヤバイっす」」(白澤社発行、現代書館発売)は今まさに変わりつつある言葉の状況を切り取っている。

 本書は「そうっすね。おもしろいっす」など、「です」を縮めて「っす」と話す(著者が「ス体」と名付けた)話し方について研究する。「ス体」はくだけた言葉遣いであると一般に認識され、部活動など体育会系、男社会などの上下関係の中で使われる言葉遣いと思われている。

 同時に、下品で失礼、「正式」な言葉遣いではない、ともみなされている。著者が調査した2014年時点で「「っす」は丁寧語っすよね?」というネット上にあげられた質問に対し、大多数が「丁寧語ではない」と回答している。「正しい日本語」を持ち出して、質問者個人を非難・攻撃する書き込みも目立ったという。正しい「社会人」のしゃべる言葉としてふさわしくないということだろう。

 一方で、「ス体」はテレビCMに使用されることも多くなっている。「ス体」を男性が使うならば軽さや、体育会系的な男らしさの世代間ギャップを、また、女性が話す時は、女性にも好ましい女性性、男性との関係から規定されない女性像を表現するのに使用される、と著者は分析する。良くも悪くも世間一般に浸透した「ス体」の持つ非公式性を逆手にとって新たな印象を付与する手法だ。

 「ス体」のカタチも変化している。十年前の常識では語れないし、十年後はどのように話されているかもわからない。新しいものに対してつい反発や批判をしてしまいがちだが、それさえわかっていれば柔軟な対応も可能になるはずだ。これからも広がり続ける新たな日本語を観察していきたい。

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