人間の歴史には噓が満載 紀伊國屋書店員さんおすすめの本
記事:じんぶん堂企画室
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まずご紹介するのは、『とてつもない嘘の世界史』(河出書房新社)。世界史上に登場する様々な嘘(またはそれに近い誤情報やデタラメ)を分析します。本書によると、真実でないことが真実よりも信じられてしまう要因はいくつかあって、その一つが「確かめる労力の壁」。つまり、嘘か本当か確かめるのに半端でない労力を要するというのは、インターネットの発達した今ならまだしも、過去においては大きな要因だったのでしょう。
本書で紹介される18世紀のアフリカ大陸の地誌や、アメリカの新聞「サン」が掲載した「月にコウモリ人間がいる話」など、当時は反証が困難だったと思います。嘘が広まってしまう他の要因として紹介されるのは、「情報の真空状態(=最初にもたらされた情報を真実と思ってしまう心理)」「希望的観測」「利己心」など。
思えば私たちの日常でも、少し話を盛ってしまうというのはありますね。私たちの知る歴史の根拠とされる記録が多少「盛って」あったり、自分に都合の良い方向に修正されていたりというのは、予想の範囲内ではあります。『君主論』で有名なマキャベリは、「私は心に思っていることを言ったことがない」とまで言ったそうですが(本書第1章)、政治や金が絡むと「盛り」はなお一層です。
次にご紹介するのは『奇書の世界史』(KADOKAWA)。世界史上の「数奇な運命を辿った書物」を紹介しています。いまだもって解読されていない文書「ヴォイニッチ手稿」や、現在の日本円にして2000万円をかけて製本された翌年に、あの豪華客船とともに海に沈んだ豪華本など、歴史の「ニッチ」好きにはたまりません。
この本で紹介される「嘘」は18世紀のロンドンで出版された『台湾誌』。これは間違いというより意図的な「嘘」。フランス生まれの著者サルマナザールが自らを台湾生まれの台湾人と偽り、当時知られていなかった台湾の歴史や習俗、なぜかアルファベットと対照できる「台湾文字」などを妄想てんこもりで創り上げます。
現代ならつまらないフィクションと見なされるでしょうが、上述の「確かめる労力の壁」も作用し、さらには有力なペテン師プロデューサーがバックについたこともあり、『台湾誌』は真実として世間に流布してしまいます。最終的には科学史上にその名を輝かすあの人物に論破されたサルマナザール。彼のその後については本書でお楽しみください。
最後にご紹介するのは、「嘘の歴史・日本史バージョン」たる『椿井文書(つばいもんじょ)』(中央公論新社)です。
椿井文書とは、江戸時代後期、山城国(現在の木津川市)の椿井政隆という人物によってつくられた偽書、つまり嘘の文書や絵図のこと。その数が週百点という膨大な量の「嘘」ですが、こちらの嘘が流布された要因は、上の分類で行くと「利己心」が中心になるようです。土地の領有をめぐる裁判で優位に立ちたいクライアントの依頼を受けて土地の来歴をねつ造したり、家格を上げたい富農に依頼されて家系にまつわる古文書を偽造したり、主に誰かからの依頼を受けて偽書を作成するプロでした。
現代でいうと「公文書偽造」になりそうですが、そこはプロ。現代で例えるなら「令和元年1月」のような有り得ない日付(令和元年は5月から始まる)をあえて文書に付けることで、これは趣味で作ったいたずらだと言い逃れができる工作を施しています。また既存の古文書の弱点を創作で補ったり、自説を傍証するような関連史料をも創作したり、17世紀以降の、当時からすると最近となる「反証しやすい」時代の偽書を創らないなど、入念で巧妙なテクニックは、上述のサルマナザールのようなペテン師とは大違い。
こんなハイクオリティな嘘の古文書も存在する日本史って大丈夫なの?と思いますが、見る人が見れば偽書だと分かるそうです。ああ良かった、ほっとひと息。と思いきや、これら椿井文書は昭和に編纂された市町村の郷土史に活用され、中には偽書と分かっていながら採用された文書もあるとか。
われらが郷土は歴史に名だたる土地柄なんだ、とは誰もが思いたいもの。ここでも「利己心」や「希望的観測」という嘘の要素が登場します。後世の私たちが、「こうあってほしい」と願うところからいつの間にか歴史が創作されてしまうとしたら、私たちも「嘘」の担い手なのでしょうか。ドラマティックで面白い歴史を求めてしまうのも考えものだと思わされる、けれど面白い歴史本。ぜひご一読ください。