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自分を愛する心 主権者として社会と関わっていくために 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

 これを書いている2020年8月、私は開催して間もない吉野弘展(徳島県立文学書道館)に足を運んだ。小規模ながら見ごたえある展示のうち、愛娘に贈った詩「奈々子に」の一節を記した直筆色紙に、長い間見入ってしまった。

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ(吉野弘「奈々子に」より抜粋)

 色紙を前に、ここ1-2年で、「自己肯定感」と銘打つ本がめっきり増えたこととを重ね合わせていた。ビジネス、心理、育児と分野は多岐にわたり、どれも一定の売れ行きを見せる。自分を愛する心の「むづかし」さは、いつの時代でも変わらないのかもしれない。

 大日向雅美『もう悩まない! 自己肯定の幸せ子育て』(河出書房新社)は、主に親御さん、特に母親を想定して書かれているものだが、なぜいま自己肯定感なのか、という社会的文脈も随所にも触れられ、社会評論としても興味深い一冊である。

 子どもの自己肯定感を育むこと、それ以前に母親自身の自己肯定感が大事、と一人ひとりの親御さんの悩みや著者自身の子育て経験の振り返りも交えながら説かれていく。子育て中であるとないとにかかわらず、自己肯定感という言葉が気にかかる方にはぜひお勧めしたい。自分を愛する心が、決して自分「だけ」を愛する心を意味せず、むしろ子どもや他人を愛する心につながっていくのだということがよくわかる。

 この本では、2013年の内閣府「子ども・若者白書」の特集「今を生きる若者の意識~国際比較から見えてくるもの~」が引用されている 。自己肯定感が低いと「社会現象が変えられる」と思えない人が増える、というのは興味深い(図表1、7)。「あきらめ」と言い換えてもいいのかもしれない。

 逆を言えば、まっとうな自己肯定感をもって、あるいは自己肯定感を取り戻そうとして、他者と社会とにかかわりあうようになったとき、私たち一人ひとりは「主権者」としてふるまっているということができるのかもしれない。

 先ごろ亡くなられた森英樹の『主権者はきみだ』は90年代に書かれた。湾岸戦争や戦後50年など、当時の社会情勢を意識して書かれた憲法解説書である。が、誤解を恐れず言えば、憲法解説本として読むよりは、私たちが自分と他者を大切にしながら生きていくための手がかりはどこにあるのか、と読んでいくのがしっくりくると思う。近年とみに話題となった『こども六法』(弘文堂)や『おとめ六法』(KADOKAWA)も、書店員の目からはこうした系譜に属するように思える。

 『主権者はきみだ』に10代後半に接した私も、40代後半に差し掛かる。どこまで主権者たりえているかというと心もとない。「社会現象が変えられるかもしれない」などと言われてもそうは思えない、というのは子どもに限らないことかもしれない。そう考えると、『「社会を変えよう」といわれたら』(木下ちがや、大月書店)は、実にセンシティブな書名である。

 上梓は2019年春。このギリギリの現在までの国内戦後社会運動史を平易な言葉で一気通貫する筆力に驚嘆させられる。ただ、読者として重要なのは、『「社会を変えよう」といわれたら』に対する直接的な答えが、この本の中に用意されているわけではない、ということだ。大まかな「展望」は示されるが、それは決してハウツー的なものではない。

 おそらく著者は、もっと具体的な行動指針を、書こうと思えばいくらでも書けたはずだ。それをしなかったのは、信念にも似た謙虚さなのだろうと私には思われる。

 自分を愛することを通じて他人を大切にし、社会にかかわっていく。一見当たり前に思えるこのことが「かちとるにむづかしく/はぐくむにむづかしい」ことだと、知っているに違いない。

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