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それこそが就職差別であるにもかかわらず、それは差別として認識されない 『家(チベ)の歴史を書く』より

記事:筑摩書房

original image: Kateryna Kovarzh / stock.adobe.com
original image: Kateryna Kovarzh / stock.adobe.com

 伯父さんは大阪に戻ってすぐに働きはじめた。ナットをつくる工場の雑役(ざつえき)という仕事だった。

──お仕事はどないして見つけはったんですか?

 仕事見つけたんはね、私の同級生で、私よりもっと早よから働いてた人がおったわけや。んだら、彼の紹介で、彼が働いてたそこに知り合いの人がおって、挨拶、一回面接行ってみと、ということで行ったら、もうその当時は、おじさんは誰が見ても、いまでもまあそこそこ、見かけ倒しやないけど健康そのものやし、その当時も、もう体も大きいし、雑役もってこいの、相手にはものすごく好かれたわけや。 (2007年10月7日)

 ここで私は、就職差別はなかったかと質問した。伯父さんはきょとんとした顔ですぐにこう答えた。

 そら特殊な技能の、例えば技術持ってるとか、商社や銀行員とか、そこらは難しいよ。頭いる職業には、まあ行きもせんし、相手も面接しても使こてくれへんし。

──ああ。あー

 その当時の雑役言うたら、誰もそんなする人いないねん。人手不足や。もういつもどっかの会社いったら募集募集の、いっぱいやった。その第一の原因は、いま考えたら、朝鮮動乱やらいろんなことで鉄鋼関係がものすご忙しかった。

──はい

 あとで考えたらわかってんで。その当時は全然知らん。 (同前)

 思い返せば、馬鹿な質問をしたものだ。高校中退の朝鮮人なら、日本の企業で就職などできるはずがないということは、伯父さんにとっては常識だった。

 伯父さんは差別を感じたわけではなかった。ただ、「特殊な技能」や「頭いる職業」に自分が就くということは、想像にさえ上らなかったのだ。自分の意思で、最初からそんなところには行かなかった。仮に自分がそのような職業を志したとしても、相手側が「面接しても使こてくれへん」ことは当然だったのだ。

 インタビュー調査で、聞き手にとっては差別だと感じられる事例について、語り手が「差別はない」と発言するとき、その発言をどう理解すればいいのか、判断に困る調査者がいるかもしれない。しかし、このとき私はまったく迷わなかった。

 差別は「差別」として感じられる以前に、生活するうえで前提となっていた。それは日常の中の違和感や異物などではなく、日常を送る基盤そのものの要素だった。

 伯父さんが何の苦労もなくナット工として就職できたのは、その仕事が「誰もそんなする人いない」からだったにほかならない。そして、それこそが就職差別であるにもかかわらず、それは差別としては認識されない。

 私が「馬鹿な質問をしたものだ」と書いたのは、自分と伯父さんとの間で、「差別」が異なるものであるという当たり前のことを、私がすっかり忘れていたからだ。いまの私は、自分が「頭いる職業」に就けることになんの疑問も抱いていない。企業が私を「面接しても使こてくれへん」ことになれば激怒するだろう。それは私にとって、自分と日本人とが経済的にも学歴的にも同じであることが当たり前だからだ。

 伯父さんにとって、そんな事態は想像もできなかった。私はそんな簡単なことを忘れて、伯父さんは私と同じスタートラインから仕事を始めたと思い込んでいた。そう、伯父さんと同時代の、東大阪にいる日本人労働者とではなく、2007年に大学四回生だった私と。

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