AIには代行できない直感に導かれる仕事 内田樹編『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』より
記事:晶文社
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「ランティエ」というのはフランス語で「年金生活者」のことです。「そんなの日本にもいるよ。うちの爺さんとかそうだよ」と思った方もおいでかと思いますけれど、そういうのとはちょっと違うんです。
ヨーロッパでは17世紀から第一次世界大戦開戦までの200年ほどの間、貨幣価値がほとんど変わりませんでした。ですから、先祖の誰かが買った国債や公債を相続すると、贅沢さえしなければ、その金利だけで一生徒食できた。親の家に暮らしていたら、家賃は要らないし、家具什器はそのまま使い回しできます。ランティエたちは、高等教育まで受けて、あとはぶらぶらしている。自由に使える小銭があって、暇だけは腐るほどあるという紳士たちが何万人という規模でヨーロッパ各都市にいたわけです。
この人たちはとにかく退屈している。ですから、新しい芸術運動があると聞けば展覧会に通い、新しい文学作品が出たと聞けば朗読会を開き、新しい科学技術が開発されたと聞けば実験し、北極犬ぞり旅行も、成層圏気球飛行も、地底旅行も、「あ、オレ行くわ。どうせ暇だし」と手を挙げた。シャーロック・ホームズも、『盗まれた手紙』の名探偵オーギュスト・デュパンも、『さかしま』の美的生活者フロレッサス・デゼッサントも、みんなランティエです。誰も働かずに、ひたすら知性と感性を磨いて一生を終えた。
残念ながら、この高等遊民たちは、20世紀のはじめ、大戦間期に貨幣価値が暴落したことで、生計の道を断たれました。金利だけでは食えなくなったランティエたちは不本意ながら就職し、給料取りとして生涯を終え、そうやってこの世からランティエというなかなか愉快な集団が消え去ったのでした。
僕はベーシックインカムがうまく定着したら、「現代のランティエ」が再生するのではないかと想像しているのです。必要最低限の生活は保障されるから、生活のためにしたくもない仕事をする必要はありません。うまい具合に親から相続した家に住んでいて、家具什器も着る服も揃っているというような場合には、「小銭があって、暇だけは腐るほどある」という人たちが集団で登場してくる。そうなったら、彼らが芸術上の、あるいは科学的なイノベーションの担い手になってくれるんじゃないか、そんな気がするのです。
イノベーションのきっかけなんて、ほんとにちょっとした「余裕」なんですから。いまだって、勤め人がみんなきちんと週休3日とれるようなゆるい勤務シフトだったら、日本の文化的発信力は一気に桁外れのものになります。これは保証します。日本人は働き過ぎです。無駄な仕事をし過ぎです。いまの半分で十分です。人間、暇じゃないとクリエイティブなことはできません。
ベーシックインカムの話はこれでおしまいです。だいぶ本筋から外れてしまいました。AI導入による大量かつ短期的な雇用消失について話している途中でした。これからどういう仕事がなくなるのか、という話の続きに戻ります。
意外かも知れませんが、これから弁護士も医者も仕事が減ります。
弁護士業務の23%は過去の判例を調べることなんだそうです。いま扱っている事件と似たような事件の判例を調べて、それに基づいて法廷闘争を繰り広げる。たしかにそうですね。アメリカの法廷ドラマを見ていると、弁護士チームが何十冊もの判例集を積み上げて、夜も寝ないで頁めくり続けて、「あった~! これで勝てるぞ」と手を取り合って喜ぶ……というシーンがよくありました。でも、それがなくなります。AIだったら、そんな作業一瞬で終わらせてくれるからです。判例調査や契約書チェックなどの法律業務が不要になり、その分の雇用が業界から消える。
医者の雇用も減ります。みなさんの中には将来医師になろうと思っている方がいるでしょうけれども、これからの医療者の雇用の推移によく注目しておいてください。
検査データの数値をみて、患者がどのような疾病である可能性があるか、その場合にどのような薬剤や治療が適切かという判断はこれまでは医師が経験知と学術情報に基づいて下していました。でも、この判断はAIの方がすぐれている。この検査数値なら、疾病Aである確率が何パーセント、疾病Bである確率が何パーセント、疾病Cである確率が……というふうに可能性のあるすべての疾病とその治療法が一覧される。
もちろん、診断仕事の全部がなくなるわけではありません。医師が患者の疾病を言い当てるのは、必ずしも検査データだけに基づくわけではありませんから。患者の顔色や、服装や、息づかいや、口臭体臭など、通常の検査の対象にならない徴候から、名医は診断を下します。
シャーロック・ホームズのモデルになったのは、アーサー・コナン・ドイルがエジンバラ大学医学部の学生だった頃に師事した伝説的名医ジョセフ・ベル先生です。ベル先生は、患者が診察室のドアを開けて、椅子に座るまでの間の観察に基づいて、患者の出身地、職業、家族構成、既往症から、今日診察に来た理由まで言い当てたそうです。
シャーロック・ホームズは『緋色の研究』の冒頭で、ワトソン医師がアフガニスタンで戦傷を負った軍医であるということを会った瞬間に言い当てますけれど、あれはコナン・ドイルが学生時代に見たベル先生の診断風景に基づくのだそうです。そういう天才的直感は直感している本人も「どうして自分にはそれがわかるのか、わからない」というものなのでたぶんAIには実装できないでしょう。
僕の友人の癌をみつけた医師がいました。その医師は友人が「お腹の具合が悪い」と言って診察に来たので、ざっと診察してから友人の奥さんに電話をかけて「すぐ大学病院につれて行って精密検査をさせなさい」と命じたそうです。「診察した範囲ではとくに異常はなかったが、あんな医者嫌いの男がわざわざオレのところに来るというのは、ただごとではない」というのが理由でした。これも立派な診断だと僕は思います。
医療者たちは実にさまざまな断片から、「データ」とさえ呼べないような微細な徴候から診断を下しております。面白いので、その話をもう少しします。
僕がお会いしたある看護師の方は、「今夜を越せない患者」のそばにゆくと「死臭がする」のがわかると言ってました。ですから、病室に入ってその臭いを嗅ぐと、その患者が「朝までには息絶える」ということがわかる。そして、実際にその通りになる。看護師の同僚に、同じように「今夜を越せない患者」のそばにゆくと「鐘の音が聞こえる」という人もいたそうです。ある日、大きな事故があって、病院に重傷患者があふれてたとき、修羅場となった救急センターで、「そういうこと」を絶対に信じないと公言していた当直のドクターがついに彼女たちに向かって、「どう、この人、臭う? 鐘聞こえる?」と訊いたのだそうです。「今夜を越せない患者」は申し訳ないけれど後回しにして、生き延びられそうな患者に医療資源を優先的に配分しなければならないからです。
「命の選別」というのはたいへんむずかしい問題で、正解はありませんけれども、彼女たちはその難問を診断能力を高度化することでクリアーしようとしたのではないかと僕は思います。おそらく、彼女たちもベル先生と同じように、実際には患者の無数の徴候を超高速でスキャンしていて、その結果として得られた「今夜は越せないだろう」という診断を「死臭がする」とか「弔鐘が聞こえる」とかいう「わかりやすいシグナル」に置き換えて認識しているのだと思います。ただ、その超高速スキャニングのプロセスを、ご本人は意識的にはコントロールしていない。
そういう直感に導かれる仕事はたぶんこれから後も生き残ってゆくと思います。つまり、どうしてそんなことができるのか言葉では説明できないのだけれど、それと知らずに実際にやってしまっている仕事については、マシンに代行させることができない。そして、そういう仕事は僕たちが思っている以上に多い。
現に、看護介護のように患者のそばに寄り添って、実際に身体に触れて行う医療行為については、マシンには代行できません。ちょっと古い統計資料で申し訳ないんですけれど、2010年にアメリカの労働統計局が出した「2010年から20年にかけて雇用が増大する職業ランキング」というものがあります。これがなかなかに興味深い結果です。1位:正規看護師、3位:家庭健康ケア、4位:個人ケア補助、11位:看護補助、21位:医療秘書、29位:内科医・外科医、30位:医療アシスタント。30位までに医療・看護関係の職業が7つ入っています。30位の医療アシスタント(medical assistants)というのは病院で採血や血圧測定といった単純な医療行為に従事する労働者のことだそうです。単純作業なんですけれども、医療行為を通じて「世の中の役に立っている」という実感があるので好まれている職業だそうです。
ですから、みなさんがこれから上の学校に進んで、専門分野を選択するときには、雇用の歴史的な推移ということをよく研究してください。親たちの世代において「よい仕事」だったものがみなさんが成人した頃にも「よい仕事」であり続けるという保証はありません。
※内田樹先生による「見立て」はまだまだ続きます。この続きはぜひ、『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』を手に取ってご覧ください。
※前編「内田樹さんが中高生に伝えたい、ポストコロナ期の仕事について」はこちら