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「ナショナルなもの」の見方、あるいは「常識」――高島善哉を通じて 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

混迷を究めている今、現実を踏まえた理論や政策がよりいっそう必要とされている
混迷を究めている今、現実を踏まえた理論や政策がよりいっそう必要とされている

 「日本は遅れている/こういうところがよくない」という主張と、「日本はこういうところが進んでいる/素晴らしい」という主張と。どちらもいつの時代にもあるわけで、どちらか一方だけでは事態を正確にとらえることはできない。求められるのは常に、地に足の着いた思想であり実践である。そんなことを考えさせられる好著が、昨年2020年には2冊も出た。

 中野剛志『日本経済学新論』(ちくま新書)は、渋沢栄一・高橋是清・岸信介・下村治といった実務家の経済思想に焦点を当てた力作。日本近代社会思想史、としても読める。

 「輸入学問」であるところの経済学を、時々の日本の現状に即して深め、文字通りの「経世済民」の方途を模索していく実務家たちの姿を著者とともに追っていくのは実にスリリングである(なお、MMTについて随所に語られているが、筆者は正直よくわかっていない)。

 これら先人の取り組みを総称して著者は「日本経済学」とし、その柱は「プラグマティズムとナショナリズム」と断言する。筆者なりに解釈すれば、施策政策を実現しようとすればプラグマティズムは程度の差はあれ必須であるし、今、ここで誰が何をなすべきかと真剣に考えれば当然ナショナリズムも避けては通れない、ということだ。

 空理空論で満足するつもりがないのであれば、このふたつは避けて通れない。それは定見なき場当たり的な政策でもないし、時の国家・地域とその構成員を無批判に是認することも意味しない。著者の目にかなってここに取り上げられたのが、実務家ならびに現実と格闘した経済学者のみであるのは当然の帰結である。

 こうした先人に学ぶ取り組みをさらに豊かにするもの、と筆者が感じたのは野原慎司『戦後経済学史の群像』(白水社)である。

 内田義彦から始まり伊東光晴にいたるまで、錚錚たる経済学者の思想的格闘の様子を的確にとらえている。いずれも理論の背景にある歴史と当時の日本の状況をしっかり踏まえた記述であり、戦後経済学の流れについて我々の理解を助けてくれる。

 少々私事で恐縮だが、筆者は学生時代、本書で最後に紹介されている伊東先生の発言を拝聴する機会を得たことがある。たしか95年、学内で開かれたシンポジウムに出席されていた。 当時流行の「規制緩和」論者の見識を、理論は政策のしもべである、という表現で問いなおしておられた。借り物の学説によるのではなく現実を踏まえた打開策を訴えるお姿が印象に残っている。

 書名には「経済学史」とあるが、社会科学史であり社会思想史の好著でもある。あとがきに触れられる著者の問題意識には非常に強く共鳴することは一言添えておきたい(この点について、伊東先生がしばしば上原專祿に言及されることを見逃したくないが、これは紙幅というより筆者の力量不足として他日を期したい)。

 さて、この二冊を通じて筆者がどうしても触れておきたいのは、高島善哉の存在である。『日本経済学新論』でも紹介され(どこでどう取り上げられたかはここでは触れまい。ある意味サプライズといってよい)、『戦後経済学史の群像』第3章でも取り上げられた。没後30年を経てなおこうして参照されるほど、今なおその思想は輝きを放つ。ここでは二冊で触れられた部分に即して少しおさらいをしておこう。

 『日本経済学~』では、高島の最重要概念である「生産力の理論」を、『経済社会学の根本問題』(1941年発表、こぶし書房版著作集二)ならびに「統制経済の論理と倫理」(1942年発表、こぶし書房版著作集一)に沿って紹介している(P.359)。著者も参照する「人間が自然に対して働きかける諸力の総括」と端的に生産力を定義した個所は後者においてである。1942年という時期に筆者は注目したい。戦時下の情勢を色濃く反映しながらも「価値を生み出す主体は誰であるか」について堂々と語った、と理解するからである。ここでいう主体とは、日本に住み暮らす生身の人間にほかならない。

 『戦後経済学史~』で注目しておきたいのは、民族と階級についての高島の考察である。高島の至言のひとつに「民族は母体であり、階級は主体である」がある(『現代日本の考察』『民族と階級』など)。ナショナルなものなくしてどうしてインターナショナルでありえようか。詳しくは高島自身の著作にもあたって頂くほかないが、あまたの「マルクス主義」者と一線を画するこの認識は、高島の魅力をいっそう豊かにしている。

 残念ながらいま高島の著作で新刊として流通するものは多くない。が、こうして高島を参照する本は今なお出ている。今後もぜひご注目頂きたいと思う。

 門下生も数多い高島だが、その中でもひときわ異彩を放つ批評家が一人存在することを記しておきたい。村上一郎その人である。

 実は弊社とも縁は深く、一時期出版部の仕事もしてくださっていた。その際手掛けた企画のひとつが恩師高島の『マルクスとウェーバー』であるのは実に興味ぶかい(なお、これが書籍として形になったのは、村上が自刃してまもない、1975年初夏のことであった)。

 村上の評論はいずれも魅力的で、ここでは『草莽論』(ちくま文庫)を取り上げたいのだが、論じようとすると実に難しい。評者としては失格だが、「読んでみてください」としか言いようがないのである。

 草莽(そうもう)とは一般に民間、在野を意味し、「草莽の臣」と表現されもする。しかし村上は「草莽とは、草莽の臣とは違う」と前置きしてからこの一連の評論・列伝を書き起こす。社稷(しゃしょく)・天下と(近代)国家を明瞭に区別するところから説き、ナショナルなものとは何ぞや、と考えさせられる。

 その視座の一端として、例えば戦前の状況に触れた以下(P.37)を引いてみる。

 「国に不忠であることをもってイデオロギーとした共産主義者には、イデオロギーを信奉するから当然、仁義に乏しく、社稷・天下の観念はなかった。彼らは志において草莽のこころをこころとすべき筈のものであったが、翻訳調の近代主義のために、仁や義をバカにし、暴力を道(ことば)にまで高め得ず、彼らの階級戦を真に祖国のものにすることはできなかった」

 このわずか数行の中に、「国家と民族(人民)」「イデオロギーと実践」「歴史理解」「知識人問題」など、あらゆる要素が詰まっている。

 参考までに、師・高島の『民族と階級』(こぶし書房版著作集五、p.70)を引いてみよう。

 「戦後日本の進歩的知識人は、しばらくの間はほとんど無国籍者であった。(中略)当時私は、あるマルクス主義的な大学教授から、彼がモスコーの飛行場へ降り立ったその瞬間に熱い涙がこみ上げてくるのを禁じえなかったという話をじかにきいたことがある。これなどは批判の常識さえどこかにおき忘れた戦後日本の進歩的知識人を漫画化するのに打ってつけの好材料であろう」(本文では「じかに」の部分に傍点)

 論ずる時代は違えども、師弟を貫く「ナショナルなもの」への見方が、感じられはしないだろうか。そしてそれは、決して難しいものではなく、ある意味で「常識」といってよいものではあるまいか、と思う。

 もちろん、「常識」は黙っていて身につくものではない。己の生活と思索の中で鍛え上げていくものだ。再び村上を引こう。(p.31)

 「草莽は、もともとが自任しているのであるから、自からの根拠を常に確かめに確かめて歩んでゆかねばならない。そのためには万巻の書が必要であるし、それに直向う自覚が明晰でなければなるまい。自己分析、自己省察ができなければならぬのである」

 草莽たらずとも、現在を生きる私たちの心に響く呼びかけではないだろうか。

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